「ここに居てはいけない」と言う罪悪感/無価値感



罪悪感は自分を「毒」のように扱い、大切な人を遠ざけます。無価値感は自分の存在を不必要なものと決め付け、とても惨めな思いを感じさせます。
内なる愛に気付き、外にある愛を受け取ることでこれを手放すことができます。

ご質問と感想を頂きました。(私も送ってみたい、という方はこちらのフォームから根本宛で

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日々根本カウンセラーのコラムを楽しみにさせて頂いているのですが、9月25日の「本当の問題って何?~目に見えない地中に問題の本質は隠れているのかも~」はとくに興味深く、自分に置き換えて考えたいなと思えました。

コラムの中では例えとして「癒着」についてお話されていました。癒着のパターンは私も持っていると思ったのですが、それ以上に問題を感じるのは「ここに居てはいけない」という感覚だなと思いました。これは、分離…?感でしょうか。それとも罪悪感なんでしょうか。心地良くても悪くても結局のところ「ここに居てはいけない」と思うようです。

良い時は「こんな甘えた環境に居てはいけない」だし、悪い時は「ここに居る資格はない」といった感じです。まぁ、問題になるのはとくに後者ですが^^; どっちにしろ自責しておりますね。

根本さんが何度かコラムで書かれた「一日5つ自分を褒める」を今2ヶ月程やっております。自責をストップするかなり有効な手段になっていると感じます。いつかコラムで「ここに居てはいけない」という感情についてとりあげて頂いたら幸いです。それではいつも心を潤して下さるお話をありがとうございます。(Tさん)
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ありがとうございます。

「1日5個自分を褒める」の成功例をほんとうによく耳にします。続けて下さってありがとうございます。
これ、だいたい2,3週間でとん挫、1か月で効果なく諦め、という方も多いようです。
2,3週間目で「効果がないな」と辞めたくなるのはある種のデトックスなんですね。
だから、そう思って続けて頂けると嬉しいです。きっととても効果的な結果がやってきます。

さて、本題は「私はここにいてはいけない」という心理についてですね。

いくつかのケースが考えられます。

まずは、Tさんも書かれているように“罪悪感”はとても大きな影響がありそうです。
心理学講座で『142.罪悪感の心理学3~“自分は毒である”という観念~』という記事をかつて書かせて頂きました。

「自分の存在は毒である。大切な人を傷つけてしまう存在だ。だから、私はここに居てはいけない」というものです。

私がいるとみんなを傷つけてしまう、みんなに迷惑をかけてしまう、という思いですね。

罪悪感という感情はとにかく自分を罰することが大好きで、そのために様々な苦難を自分自身に与えます。
「愛さない」「愛を受け取らない」というのはその最たる行為ですし、それ故に「愛させない」ための防衛にも抜かりはありません。

自分を毒(他人を傷つける存在)とすることによって、人から距離を取るのです。

Tさんの場合は『良い時は「こんな甘えた環境に居てはいけない」だし、悪い時は「ここに居る資格はない」といった感じです。』と書かれてますから、明らかに罪悪感パターンじゃないかなあ、と思われます。

でも、お気づきでしょうか?
その背景には、愛が隠れていることを。

自分を毒として扱い、大切な人たちを遠ざけようとするのは、その人たちを守りたいが故とも受け取れます。
あるいは、周りの人たちのネガティブなものを一身に引き受け、そして、そんな自分を周りから断絶させるわけですから、周りの人への深い愛を感じることもできます。

※そのやり方がいいかどうかは別ですが。

だから、この人たちを守りたい、という思い、愛している、という思いを感じることができれば、自分を毒扱いせずに済むようになります。(それを許しと言います)

もう一つ、「ここに居てはいけない」という気持ちにさせる感情として“無価値感”というものがあります。

「自分なんて何の価値もない存在。だからいてもいなくても関係がない。だとしたら一緒にいるだけで惨めになるし、辛くなる。だから、ここに居ない方がいいんだ」という思いです。

自分の存在を否定するもう一つのパターンです。
罪悪感が実は自分の存在の大きさをどこかで感じている(影響力があることを感じている)一方で、無価値感は自分をまるで不必要な存在として感じているところに特徴があります。

その裏側には、誰からも愛されてこなかった、誰も自分を愛していない、という気持ちで、愛されないということはきっとそれだけの価値や魅力がないからなんだ、という思い込みが働いています。

もちろん、これは誤解なんですね。
そう思わなければいけない状況にあったことは確かなのですが、本当にそこに愛は無かったか?あるいは、他に本当に愛してくれた人はいなかったのか?という問いかけが必要なのです。

だから、自分を愛してくれた人(優しくしてくれた人、気遣いをしてくれた人、信頼してくれた人、あてにしてくれた人、祈ってくれた人、大切に思ってくれた人、等々)のことを“探す”ことがポイントです。

「いない」のではなく「いる」ことを前提として。

そうして、自分にもちゃんとその価値があることを受け入れて行くことで、居場所を作ることができるようになります。

どちらのパターンにも、カウンセリング的には掘り下げの作業を行っていきます。
どうしてそう感じるようになったのか?
どうしたらそこを抜け出せるのか?
を見つめて行くんですね。

その一方で、日常的にできることもあります。
無価値感のところに書いたこともその一つです。

そして、Tさんが実践なさってくださっている自分を褒めるということはとても効果的。

他にもまだまだ方法は無限にありますが、よし、やってみよう、と思う方法を見付けて実践してみてください。

必ず、この思いは抜け出すことができます。

罪悪感も無価値感も誤解から生まれます。
誤解せざるを得なかった状況は確かにありましたが、でも、それを癒すこと、手放すことは可能です。

その希望を持って、自分自身と向き合い続けてくださいね。
応援しています(^^)

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