*
何かの折に私たちはつい「正解」を探し求めてしまうようです。
その背景には幼少期から刷り込まれてきた「正解がある」という思い込みであり、自信や不安の無さがよりどころとして「正解」を求める気持ちがあるようです。
正解なんて無い、と思えば、新しい世界が広がるのではないでしょうか。
*
子どもの頃からの勉強の影響でしょうか。
家庭での躾も大きいのでしょうか。
私たちは無意識に「正解」を探し、求めてしまうようです。
「どうするのが良かったのでしょう?」
「どうれすばいいのでしょう?」
そんな疑問には、どこかにあるはずの正解を探し求める気持ちがにじみ出ています。
だから、
「好きにしていいんですよ」
「どうしたいですか?」
という“自分の気持ち”を問う返事をしてしまうと、まさにパニック!になりますね。
正解って無いんですよね。
変な話、1+1=2だって正解とは限らないです。
だって2進数の世界では答えは「10」ですから。
クイズだったら「田」が答えってこともありえますから。
見方ひとつで世界は変わってしまいます。
「どうするのが心地よいのだろう?」
「どうするのが自分らしいのだろう?」
そんな風に心に問いかける時間を作ってみることが大切ではないかな、と思うのです。
*
自信のなさ、不安、がきっと「正解」を求めます。
これが正しい、と思えば安心しますから。
そこをよりどころにしたいんですね。
私も無意識的に「答え」を探す癖があります。
気付いたら「ちゃう、ちゃう」とそこで首を振るのですが、なかなか気付きにくいのもありますね。
*
だから、逆に言えば「正解」を疑うことで、新たな世界が広がる、ということかもしれません。
*
「答え」は「自分しだい」
「答え」は「好きなように」
「答え」は「自分らしく」
「答え」は「何でもあり」
ということを受け入れられるようになりたいですね。