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義務や禁止は心を縛り付けるので不自由になり、強いストレスとなります。
それを敢えて辞める勇気を持ってみませんか?
さらにそこに「愛」が入ると、心が解放され、「したく」なるのです。
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いつもお話ししていることなのですが(そして、それはその話をいつも聞いてる私に最も当てはまることだと思うのですが)、どうも、私たちは「○○しなきゃ」にだいぶしばられているようです。
会社に行かなきゃ。
この書類を処理しなきゃ。
打ち合わせに出なければ。
取引先にアポを取らなければ。
笑顔で話をしなければ。
家族のための料理をしなければ。
ちゃんと掃除洗濯しなければ。
家の片づけをしなければ。
しかも、「代わりがいないから」「自分がしなければならないから」「義務だから」という理由で、さらには「そうしないとクビになる」「必要とされなくなる」「価値が無くなる」「そもそも価値がない」等の怖れを使います。
二重三重に自分を縛り付けているのです。
これは確実にストレスとなり、自分の心身を圧迫します。
縛られていながら動くわけですから、やがて動かなくなりますね。
「辞める」という勇気を持ちましょう。
“敢えて”辞める、んですけどね。
きっと「しなくても何とかなる」という経験をすることができるでしょう。
でも、同時に「なぜ、しなきゃ」と思っているかの理由も現れてしまいます。
それが嫌で、「辞める」ということには猛烈な勇気を必要とするのです。
しなくても何とかなる・・・とすれば、私なんていなくてもいいのでは?→1
しなくても何とかなったら、じゃあ、何をすればいいの?→2
しなくても何とかなるんだったら、これから先もしたくなくなる・・・。→3
そんな風にね。
それはこんなことを教えてくれているのではないでしょうか。
1.あなたの価値はそれをするからではない、ということを学ぶ機会ではないでしょうか?あなたには愛される、必要とされる価値は他にもふんだんにあります。
2.本当にしたいことをしなさい、というメッセージではないでしょうか。
3.それだけ疲れている、あるいは、したくないことだった、ということではないでしょうか。思い切って誰かに委ねてみる、のも一つの手ですね。
そうして、心を解放していくと(解放する手段は「辞める」以外にも色々あると思いますが)、次のような意識を持てると思います。
会社に行かなきゃ。→ 会社に行った方がいい。
この書類を処理しなきゃ。 →この書類を処理した方がいい。
打ち合わせに出なければ。 →打ち合わせに出た方がいい。
取引先にアポを取らなければ。 →取引先にアポを取った方がいい。
笑顔で話をしなければ。 →笑顔で話をした方がいい。
家族のための料理をしなければ。 →家族のための料理をした方がいい。
ちゃんと掃除洗濯しなければ。 →ちゃんと掃除洗濯をした方がいい。
家の片づけをしなければ。 →家の片づけをした方がいい。
must → may への変換ですね。
だいぶ、余裕が出てきます。
そこにさらに一つ「愛」というスパイスを入れてみましょう。
「誰のためにするの?」という姿勢です。
例えば、
誰のために会社に行くの?→家族、同僚、お客さま、自分のため
誰のための書類を処理するの?→同僚、会社、取引先のため
誰のための打ち合わせなの?→上司、取引先、会社のため
誰のためにアポを取るの?→お客さま、自分のため
誰のために笑顔で話をするの?→相手、自分のため
誰のために料理をするの?→家族のため
誰のために掃除洗濯するの?→家族のため
誰のために家の片づけをするの?→自分、家族のため
そんな他者への、自分への愛が入ると、「~しなければ」は無くなります。
会社に行かなきゃ。→ 会社に行きたい
この書類を処理しなきゃ。 →この書類を処理したい
打ち合わせに出なければ。 →打ち合わせに出たい。
取引先にアポを取らなければ。 →取引先にアポを取りたい
笑顔で話をしなければ。 →笑顔で話をしたい。
家族のための料理をしなければ。 →家族のための料理をしたい。
ちゃんと掃除洗濯しなければ。 →ちゃんと掃除洗濯をしたい。
家の片づけをしなければ。 →家の片づけをしたい。
愛が入れば、「○○しなきゃ」は存在しえないのです。
もし、あなたが日々「○○しなきゃ」に縛られているとしたら、今一度、愛を思い出す必要があると言えます。
なんせ、しんどくなるのは「愛」と切れてしまってるから、に他ならないのですから。