*
その答えは「自己嫌悪」があるから。人は心の鏡です。自分の嫌なところを相手が見せるとその相手のことが嫌になるんです。友達ならばそこで距離を取ればいいけれど、パートナー、家族、職場ではそうはいきませんよね。
だから、自分を許してあげると、その人のことも大丈夫になるのです。
*
知り合った当初はとてもいい人に見えたのに、話をたくさんして、会う回数が増えて、距離が縮まって来て、親密になればなるほど「嫌なところ」が目に付いて、なんか接するのが嫌だなあ、と思うようになったこと、ありませんか?
それが友達関係ならば、そこで距離を取ることもできるのですが、恋人・夫婦、家族、あるいは、職場の人間になると、必ずしもそういう訳にもいきませんよね。
だから、その嫌なところを巡ってケンカしたり、攻撃したり、我慢したり、引きこもったり、陰で悪口を言ったりしなければならなくなります。
だから、必然的にカウンセリングの相談も、恋人、夫婦、家族、職場の人間関係の問題が多くなるわけです。
なぜ、距離が近づくと、相手の嫌なところが目につくようになるのでしょう?
(ここから嫌な話が始まりますので、今、気分が良くない方は後ほどお読みください。)
それは【自分のことが嫌いだから】です。
正確には【自分の中にある嫌いな要素を相手の中に見るから】です。
ピンと来ます?
来ないですよね?
はい。私もこれを初めて知った頃は全然信じられませんでした。
は?
って感じでした。
これには昨日に引き続き「投影」について理解を深める必要があります。
距離が近づくと、その相手はだんだん相手ではなく「自分」になります。
皆さんも「人は鏡」という言葉を聞いたこと、ありませんか?
身近な人って自分を映し出す「鏡」なんです。
『その人を知りたければその友達を見ろ』と言われるのも、その投影から来る格言です。
例えば、あなたが自分の中にある「きちんと片付けができない」という部分を嫌っていたとしましょう。
その部分を何とか直そうと今まで頑張ってきましたし、職場のデスクも「きちんと片付けができない人」と思われないように、なるべくきれいにしています。(これもストレスです)
でも、人目に付くところはいいけれど、自分の部屋はつい放っておいて、家に帰るたびに、散らかってるテーブルの上を見て「ほんとに自分はダメなんだから」とげんなりすると思って下さい。
さて、そんなあなたにスマートな彼が出来ました。
身なりもきちんとしているし、見た目もいいし、とても優しいし、穏やかで、とてもいい人です。
お互い惹かれ合って好きになって行きました。
もちろん、彼ができれば自分の部屋はいつ彼が来ても大丈夫なようにきれいに整えます。
だから、彼の目には「きれい好きな彼女」として映るようになります。
それは嬉しいことだけど、ちょっとプレッシャーも感じます。
そして、順調に交際が進んでいるある日、彼のおうちに遊びに行くことになりました。
もちろん、お泊りセットもしっかり持って。
さて、その部屋が・・・とても残念なことになっていたら、どう思います?
シンクには数日は放って思しきコップが放置されています。
おそらく昨日着ていたと思われるシャツがイスの上に置いてあります。
洗濯物もずっと部屋の中にかかったまま。
そして、床には本やCDが転がり、テーブルの上は飲みかけの缶コーヒーがそのまま置かれてます。
初めての日は「もう仕方がないんだから!」と張り切って掃除をするでしょう。
片付けだって頑張ると思います。
むしろ、自分のいいところをアピールする機会だと思って。
でも、心にはふと一抹の嫌な感じが漂っていることに気付きませんか?
もし、2人で住むようになったら?
もし、結婚したら?
もしかして、この人、こんな部屋でも平気で住める人?
元々あなたがお掃除・お片付け好きなら、彼のために彼の部屋をきれいにしてあげることは新たな喜びとなるでしょう。
でも、あなたはお片付けが嫌い、できない・・・それをずっと責めてる・・・。とすると、距離が近くなった彼に、その部分で文句を言いたくなります。
「どうしてこんなに散らかすの?よく平気で生活できるね?」
始めは飲み込めるその言葉も、親密さが増してきた後では止まらず口を付いて出てしまうでしょう。
友達なら「家に遊びに行かない」という選択によって、その部分を見なくて済みます。
外で会う分にはとてもいい人ですから。
でも、恋人となればそうはいきません。
ましてやいずれ一緒に住む間になるとしたら大問題です。
そうすると、自分が「お片付けができない」部分を嫌悪している分だけ、同じ要素を持つ彼にも嫌悪感が募っていくのです。
*
また、これが職場だとどうなるでしょう?
春になり、後輩が入ってきました。
あなたの隣の席になり、あれこれと仕事を教えます。
とても聞き分けのいい、頭のいい子でとても助かりますし、すごく慕ってくれる人懐っこい子であなたも大好きになりました。
でも、お片付けができない自分を責めてるあなたは、人に対しても「片付けができてるかどうか?」はチェックポイントになります。
自分が気を付けているから、特にそこが目につくんですね
だから、隣の後輩のデスクをついチェックして、「もっときれいにしておいた方が仕事がしやすいよ」「心の乱れはデスクにも出るみたいだからきちんとしときなさいね」というお小言が増えます。
そして、でも、そんないい子の彼女なのにどんどん嫌いになっていったりするんです。
自分が自分の要素を愛せないばかりに。
*
「お片付けができない」というのはある意味目に見えるところの欠点です。
そこを責めていると、【人からは隠そうとし、見えないところで露呈する】ことになりますし、人のその部分がすごく気になって、そこにばかり目が行きます。
内面でも同じです。
あなたが自己嫌悪している要素はあなたの接する人をチェックするポイントになりますし、そこが自分と同じようにできていない人に対しては、自分にしているのと同じ攻撃を向けるんです。
すなわち、「恋人がいないことを情けないと責めている人は、無意識に、同じ境遇にある人をバカにする」のです。
距離が遠ければ、接点を減らせばいいんです。
でも、距離が近いと、どうしても我慢しても限界がやってきます。
だから、距離が固定化されやすい恋人・夫婦、家族、職場の人間関係にこの問題が多いのです。
あなたの周りに嫌な人、嫌いな人がいる・・・
お母さん、お父さん、パートナーに嫌いな要素がある・・・
それはすべて【自分自身が自分を嫌悪しているところ】と思って間違いはありません。
自覚する、しないに関わらず、また、一般常識に関わらず、です。
「だらしない自分」を嫌ってる人は「夫のだらしなさ」が鼻につくのです。
*
じゃあ、どうすればいいのでしょう?
そういえば、先週そのヒントを書きました。
「欠点は直すものではなく広めるもの。」
もし、あなたが「お片付けができない自分」をオープンにできたとしたら・・・。
(そこでは相当の抵抗があると思いますが)
その彼と「一緒に部屋を片付ける」あるいは「ま、このぐらい平気よね」という生活ができるようになります。
隣の後輩のデスクが乱れていても、自分のデスクもたいがい乱れてるので「似た物同士だね!」って笑いあえます。
先輩に「お前、もうちょっときれいにしろよ!」って言われても、「私、お片付け苦手なんですよー。先輩、手伝ってもらえます?」と頼めます。
本当は嫌悪する必要なんてないんですね。
でも、お母さんに怒られた、周り人からバカにされた、そんなんじゃ人に嫌われると誤解した、という“心の痛み”から嫌悪に変わるだけなんです。
だって、赤ちゃん、散らかし放題でしょ?
きちんと脱いだおむつを丸めて捨ててる赤ちゃん、見たことあります?
片付けだけでなく、すべての要素に言えることです。
すぐに広めることは難しいでしょう。
だから、嫌悪しているところを見付けたら“頑張って”“敢えて”こう言ってみてください。
【それでいい!】と。
「片付けができなくたっていいじゃない!」
「だらしなくてもいいじゃない!」
「恋人がいなくてもいいじゃない!」
と許してあげるんです。
できれば、笑いながら、しかも、大声で!
*
なんだか明日(5/25)の名古屋での自分嫌いの講座(東京は6/22!)の宣伝が続いているような気がするのですが、と思った皆さん。
きっと気のせいですよ(笑)
でも、ぴんと来られた方のお越しをお待ちしています!(^^)(やっぱり宣伝やん!)