話をしていてつい言ってしまいませんか?
「ま、私が悪いっちゃ悪いんですけど」
「そう思っちゃう私がいけないんですけど」
「私がそう受け取っちゃってるからダメなのかもしれないんですけど」
謙虚と言えば謙虚、謙遜といえば謙遜。
「そんなことないですよ」という言葉を期待する振りと言うこともできます。
だから、一度や二度、会話の中に出てきてもそれほど気にしないのですが、ただ、何度も何度も繰り返されるとそれは“自己否定”では?と思ってしまうんです。
なぜかというと、頭の中で常にそういう姿勢でいるから言葉になるんだろうと思うから。
例えば、仕事の打ち合わせ。
相手はそういうつもりはないかもしれないんだけど、取引先の部長から何となく責められているように感じる・・・
特に進捗上、問題が発生しているわけではないんだけど・・・
そんなシーンてあると思うんです。
そこで「何か私の態度や発言に問題があったのかもしれませんが、先方から少し責められてるように感じてしまいまして。いや、私の解釈が間違ってるかもしれませんけど」と、言ってしまいます。
こういうことって結構“あるある”だと思うんですが、いかがでしょうか?
“私の態度や発言に問題があったのでは?”とか“私の解釈が間違ってるかも”などと自分を疑ったり、ちょっと否定してみたり。
もちろん、そういう見方が悪いわけではありません。
実際そういうこともありますし、相性ということもあるでしょう。
ただ、そうした発言の裏には
「自分はちゃんとしていない」
「自分は十分ではない」
「自分は相手に迷惑をかける存在だ」
「自分は実力不足、能力不足だ」
等の自己否定が隠れていることもとても多いと思うんです。
そうした自己否定があると、
「なんか部長の言葉、棘があったよなあ。なんかあったんかな?機嫌でも損ねたかな」
と気楽に捉えることができなくなります。
パートナーシップでも良くありますね。
パートナー(あるいは現在狙っている相手)の行動や態度がネガティブなものだと「私がいけなかったのか?」「自分が何かしたのでは?」と思ってしまうもの。
もちろん、相手が悪い、自分が間違ってない、と言うことを言いたいのではありません。
それでは同じことになってしまいますね。
どっちかが悪いとかではないんです。
カウンセリングでこのことを指摘するとほとんどの方が「気付いていませんでした」と答えられます。
自動化されてるわけですね。
まずは自分を疑え!
自分が間違ってると思え!
お前はすぐにミスをする!
お前はすぐに人を不快にする!
と言う思い込みがまかり通ってしまっているんです。
そんなことはしなくてもいいんです。
自分の不十分さ、不完全さを許してあげればいいんです。
誰もが不十分で、不完全です。
そして、だからこそ、人間は面白いし、いとおしい存在になります。
その弱さを愛し、不十分さを補える人もまた存在します。
そうするともっと気楽に物事を捉えられます。
もっといい方向に解釈できます。
そして、自分を責めなくて済みます。
相手を攻撃しなくて済みます。
とても安全で、安心できる世界になります。
つい言ってしまう口癖に意識を向けてみませんか。