先日、「気を使うことは優しさではないけれど、優しい人が気を使う」というブログを書いたところ、「気遣い」について教えてください、というメッセージを頂きました。
なるほど!と思ったので、書いてみたいと思います。
そのブログの中では「気を使う」=「したいことをしていない」=「ストレスがたまる」というお話の対比として、「気遣い」=「優しさ」=「疲れない」という紹介をしました。
私が考える「気遣い」というのは、相手を喜ばせてあげる所作のことです。
こう言ったら喜んでくれるかな?
こんなことしたら嬉しいと思ってくれるかな?
などの「与える」姿勢です。なので「気遣い」=「与える」と思ってもいいのかな、と考えています。
与えるわけですから、それ自体が喜びです。
いわゆる「おもてなし」ですよね。
「花を置いたら喜んでくれるかな?」と思って、お客さまを招き入れる部屋に花瓶と庭で摘んだ花を生けたとします。
それは部屋の雰囲気を華やかにしたり、柔らかくしたりする、気遣いです。
でも、お客さまは全然花に触れないし、気付いてもいない様子。
そこで“がっかり”してしまうとしたら、それは「気遣い」ではないですよね。
お客さまに何か言ってもらうことを「期待」していたからで、それは「与える」ということにはなりません。
お客さまは気付いていないようだけれど、きっと気付かないところで和んでくださったはず、とか、気付いていたけれど恥ずかしくて言えなかったのかな?などと前向きに解釈して、また、自分自身がその花によってお客さまの来訪をさらに嬉しいものにできた、としたら、それが「気遣い」になります。
自分のためだけでなく、相手のために何かをしてあげること。
相手を喜ばせてあげて、自分も嬉しいと思うことをしてあげること。
それが「気遣い」で「与える」ことと考えます。
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もちろん、純度100%の「与える」は難しいことです。
自分自身の心が安定し、お客さま本位にならないと、人間ですから、どうしても気付いてほしい、分かってほしい、褒めてほしい、喜んでほしい、と思うものです。
ただ、そうなるようになりたいな、成長したいな、とも思います。
だから、自分は100%与えていない!と思って自己嫌悪する必要はありません。気付いたら、修正して、成長しようとすればいいわけです。
そのためにも、ちゃんと自分の心、気持ちを見てあげる必要があります。
相手のことばかり考えると「気を使う」という状態になりやすいんですね。
疲れてるのに「ちゃんと話を聴かなきゃ顧客に申し訳ない」と気を使うのはすごくストレスになります。
この場合、まずは「疲れてる」状態を解消することが肝心ですよね。そして、「疲れをとる」ということも広い意味での「与える」になると思います。
でも、ちゃんと顧客の話を聴かなきゃノルマが達成できないと焦ってするのでは、「気遣い」は到底無理だと思うのです。
だから、「与える」「気遣う」ためには、まず自分の心のケアをちゃんとしてあげなきゃって思っています。
好きなことをする、楽しいことをする、自然と笑顔になれることをする、わくわくするような場所に行く等々、自分自身にまずは与えてあげることって重要ですよね。
心理学では「自分を愛せると、相手を愛することができる」という格言ができます。
自分に与え、自分に気遣いができて、初めて人に与えられる、気遣えるものかもしれません。
だから、堂々と、胸を張って、好きなことをしてほしいと思っています。
ということで、意気揚々、今夜も飲みに出かけたいと思います!(笑)