「何を捨てる?」「何を諦める?」「それは何のために?」



もっとゆったりとした生活を送りたいな、とずっと思ってきました。(というか、今も思っていますけど)

朝はゆっくり目覚め、朝日を浴びながらのんびりと朝食を作って家族と食べてから、食後のコーヒーを飲みながら本を読む。
時間が来て着替えて仕事へ。
仕事の前にカウンセリングルームの空気を入れ替え、好きな音楽をかけながら朝一番のお客様をお迎えする・・・。

しかし、現実と言えば・・・、


目覚ましと共に起きだして寝ぼけ眼のまま味噌汁やおかずを作り(私は和食担当)、お弁当の準備をしながら、娘に朝ごはんのリクエストを聞き、一緒にご飯を食べて時間に追われながら学校に送り出す。
ベランダから娘を見送った後にのんびり本でも読みながらコーヒーを飲もうとすると、お腹を空かせた息子が起きてきて、朝食を準備していると出かける時間となり、着替えて家を飛び出す。
仕事の前はカフェで飲み物を頼んで仕事の準備をあれこれしながら時間が来ればカウンセリングルームへ。

これでも時間には余裕のある生活をしているはずなのだが、どうも現実はばたばたしてしまう癖がある。

小さい子供がいるからね、と自分を慰めるものの、実はそうでないことくらいちゃんと知っている。

「何かしなきゃ」という意識がずっと私の中にあり、じっとしていることができない性分である。
しかも、誰かが動いているときに自分一人がぼーっとしているのは、とても気分が悪いので、結果的に余裕をなくしてしまっている。

きっと今日にでも、小さい子供がいようが、小学生の娘を決まった時間に送り出さなきゃいけなかろうが、ゆったりとした生活は送れるはずである。

それを許していない自分が確かにいるのである。

そして、その思考を変えるには、余計なものを捨てたり、諦めたりする必要があるんだと思う。

例えば、仕事前、カフェでゆっくりコーヒーと読書を楽しむ時間を作るために、家でのんびりすることは“諦めて”、自ら“望んで”ばたばたして過ごし、カフェでは一切仕事をせず、読みたい本のみをテーブルの上に出す。仕事のことが頭を過っても、その思考は容赦なく“捨てる”。

当然、仕事の進捗遅れとか準備不足とか、そうしたことは覚悟しなければいけないと思う。

というか、仕事のスケジュールが多少遅くなっても「ごめーん!」で済ませられる性格になれってことだな。
つくづく完璧主義が邪魔をするなあ。

以前、私の友人が2週間バリに旅行した際、帰国したのちに「いかに自分が無駄なところに力を割いていたかが分かった」と言っていたことが今も印象に残っている。

本来すべきところにエネルギーを割けず、目の前の“やるべきこと”に囚われてしまっているのだろう。

時間のやりくりをしたり、作業効率を高めるのももちろん大事だと思うが、やはり、行動を断捨離するのもすごく大切なんだろうと思う。

「何を捨てるか?」「何を諦めるか?」「それは何のために?」

しばらく、この問いを自分に投げかけてみようと思う。


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