無力感について。



「うちらの仕事は無力感との戦いやねん」
うちの師匠がかつて何気なく教えてくれた言葉。

助けたくてこの仕事をしているのに、助けられない人が出てくる。そして、そこに横たわる無力感という感情。
 自分は何をしているんだろう?
 他の方法があったのではないか?
 他の人だったら助けられたのではないか?
そんな無力感が次々と襲いかかるのがこの仕事。
だから、2、3年で辞めてしまう人も多い。

そもそも「助ける」ということに「傲慢さ」を感じることもあれば、「助ける」ことなんて可能なのか?という議論もあるが、ここではこれらの意見は横に置きたい。


目の前の人が笑顔になって欲しい、楽になって欲しい、希望を持って欲しい、という思いを持つことも、ある意味余計なお世話である。
が、そのお節介をするのも私たちの仕事であると心得る。

「お前に何ができんねん」と言われて、「そうですね。何もできないかもしれません。でも、何かできるかもしれません。」とその場に居続けるのは勇気。
覚悟と自信がなければできないこと。

一方で、助けたい思いが突っ走って背負いすぎることもあるでしょう。
「癒着」してしまったり、「執着」が生まれたり、相手をコントロールしたり。
そして、共倒れしそうになって、切ってしまうことも。そして、また罪悪感に苦しむ。

カウンセラーって心を扱うので、その効果は目に見える形には表れにくい。
数字になってくれたらいいのに、と思うことも多い。でもまあ、数字になんてできないから面白いのだけれど。
私もカウンセラーになって何年も「結果を出せていない」「どうしたらもっと効果がでるのだろうか?」ということに不安になり、躍起になり、焦った時代もあった。

今では「結果は信頼。効果は絶対」みたいな思い込みでやっている。

できることしかできないし、できることに今ベストを尽くせば、そこに出てきたものが最善の結果である、という見方。

そうすれば、無力感からもある程度は脱出できる。

とはいえ、それがエゴの声だと知っていても、やはり無力感が付きまとうのが、この仕事の常なのかもしれない。
気が付けば自信を失っていて、彷徨い、不安になっている。自分よりも素晴らしいものばかりが目につくようになり、劣等感の塊になった自分がいたりする。
逃げたくなるけれど、逃げられないから、何とかもがいていると、新しい何かを学んでまた復活する。
その繰り返しである。

逃げられない、というのは、私の中にはちょっとおバカというか非常に単細胞な部分があって「好きなものは好き。嫌なものは嫌」という至極分かりやすい回路が存在している。
そのレベルで「今の仕事はなんだかんだ好き。今のところをクビになっても一人で辻立ちしてでもきっとやっている」と知っているのである。
言い方を変えると、そこには諦めに似た思いがあり、だから、逃げられないし、逃げたいと思っても、その部分が「どうせ、逃げる気なんてないでしょ?」と言うのである。だから、逃げられない。

でも、結局は評価を外に求めるからダメなんだな、と思う。
誰かに認めてもらいたい、誰かに褒められたい、という欲求が無力感の底にあると思う。

自分に嘘つかず、自分なりにやれば、それでいいんだけどな・・・と答えは分かっているのだけれど。
なかなか悟りの道は厳しいのである。

今日のカウンセリングのテーマが無力感だった。私も無縁ではない感情なので、インスパイアされて、書いてみた。

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