「社会人になって○年目なんだから、この程度のことはできなければダメ」
「大人の恋なんだから、このくらいで凹んでるなんて弱すぎる」
「30代にもなれば、自分の感情はある程度コントロールできなきゃダメ」
「相手の考えもちゃんと尊重できてこそ大人なんだから」
自分自身に掲げた理想であり、期待。
カウンセリングでは「それができない」というご相談が数多く寄せられます。
まるで「大人検定」「社会人検定」「恋愛検定」というものがあり、それぞれに基準が定められていて、「大人3級」とか「恋愛初段」とかの段位が与えられているような、そんな世界観にも見えます。
特に「きちんとしたい」「ちゃんとしなければ」「人の期待に応えたい」「人に失礼があってはいけない」「空気を読まなきゃいけない」などの、人と比較(競争)しやすい心理にあると、そのようなことを考えます。
自分は自分、人は人、がわがままのように感じられるし、それでは人とうまくやっていけないと思うのです。
でも、そうして掲げた理想は、今の自分(現実)よりもずっと上のことも多く、勝てない競争をし続けているような感じになるのです。
そうすると、連戦連敗となりますよね。理想の自分には勝てません。
そうして、激しい『自己嫌悪』に襲われるのです。
むしろ、自己嫌悪、自己攻撃するために「理想」を掲げてるんじゃないか?というくらいなのです。
そうすると、自分自身も辛いし、苦しいのですが、新たにもう一つの問題も作り出します。
それは、その理想を求める姿を他人に投影し、その人にも理想を求めるからです。
パートナーに投影されれば、「理想のパートナー像」を彼/彼女に求めます。
「メールの返信はきちんとしなきゃダメ」(自分もそうだから)
「お互い貯金は責任もってしましょう」(自分もしてるから)
「相手のいいところを見つけて、褒めて、高めあう関係でいましょう」(自分がそうしたいから)
「お互いの時間も尊重し、大人の関係を築きましょう」(自分がそうしたいから)
そうすると、お互いになぜか“息苦しい”関係になってしまいます。
自分のことも縛るから、相手のことも縛ってしまうのですね。
一時的な「緊縛プレイ」ならば楽しみも見いだせるでしょう。
不自由さがロマンスを掻き立てたり、愛情を際立たせることもあります。もちろん、性的興奮も。
しかし、それがずーっと続いてるとしたら、単に辛くなります。
「緩和」が必要です。自分にも、相手にも。
理想を持つことは悪いことではありません。
でも、そこに至るプロセス(階段、ステップ、マイルストーン)をちゃんと考えた上での理想ならばいいんです。
でも、それがプレッシャーや義務感や当然の目標になってしまっては、自分で自分を縛り上げているだけになってしまいます。当然、達成されにくいですよね。
まるで、いきなり世界記録を狙うような跳躍はいらないのです。
まずは今の自分に飛べる高さからスタートし、少しずつバーを上げていくことで記録は達成されます。
緩和。
「今日はオフの日」
「今日の私はいけてない日」
「自分を野に放つ日」
週の半ばの水曜日、そんな1日にしてみてはいかがでしょうか。