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「最近の若い者は・・・」という愚痴は平安時代にはすでにあったそうですね。
年齢を重ねると様々な常識やルールを身に着けていきます。
それは安全に効率的に社会生活を営むためのものでもありますが、同時に自分を窮屈にしてしまうストレスの源泉にもなりうるものです。
それとどう付き合うか?はやはり自分軸で選択していく必要があると思うのです。
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アラサーになり最近、常識やルールにやたら厳しくなりました。友人のちょっとしたことに「なんか礼儀ないよねー」と思ったり普通こんなことしないよね!と思ったり。
でも、それって私自身が常識やルールを守らなからばならない!と強く思ってるからですよね??
常識やルールを守らなくたっていいじゃないか~♪と根本先生なら言うかな?と思うんですが。
そんなことしたら、人との約束も用事もドタキャンするし時間守らないよ?とってもだらしない自分が出ちゃうよ?人間関係壊れちまうよ!それはまずいよね??と感じます。
なんかこれいい塩梅?ってあるんでしょうか?
どんな向き合い方をすれば自分を楽にさせてあげられるんでしょうか?
教えてください!根本せんせー!
(Hさん)
えー、常識やルールを守らなくてもいいんじゃない?とかは言わないですよ。笑
赤信号無視したらヤバいことになるじゃないですかー。
税金払わないと税務署からきつい追い立てがが入りますしー。
やっぱお店を出るときは「ごちそうさまでしたー」って言いたいですよねー。
・・・まあ、そういうルールとかマナーじゃないっすよね??
そもそも「根本不足」って何だろう?と思いまして、一瞬何かの用語かと思ってchatGPTに聞こうかと思ってしまいましたわ。おほほほほ。
ということで、「あんたも年を取ったんだねえぇ。渋茶でもどうだい?」という話ですかね?(あ、それも違う?)
>アラサーになり最近、常識やルールにやたら厳しくなりました。
けっこうそう感じているアラサー、アラフォー、アラフィフのみなさまは多いんじゃねえかと思いまして。
そして、考えてみるとその背景にはいろんな心理があるよね、ということで今日はここを深掘りしてみたいと思いました。
貴重なネタ、ありがとうございます。
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なんで常識やルールに厳しくなってしまったのか?を考えてみると、たしかに
>でも、それって私自身が常識やルールを守らなからばならない!と強く思ってるからですよね??
ということではあるのですが、なぜそう強く思うようになったのか?というところに注目してみませんか。
ちなみにさすが勉強されてるだけあって常識のようにHさんは書いてらっしゃいますが、これは「投影の法則」から言えることです。
自分が強くルールや常識を守らねば!と思っていると、それを相手にも投影し、「ルールを守りなよ!」と思うようになる、という法則です。
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なぜ年齢と共にルールや常識に厳しくなりやすいのか?というと一つ目には「成長と共にルールや常識は増える」という理由が考えられます。
子どもの頃はルールも常識も知りません。人間としてデビュー間もない子どもたちはそういうことに疎いわけです。
だから「躾」と称して、「あんな、ボケたらツッコまなあかんねんで」などと親や周りの大人たちがルールや常識を教えていきます。
ボケたのに誰もツッコまなかったら円滑な社会生活が形成できないからです(特定の地域でのローカルルールでもあります)。
もちろん、それの教え方や程度も親次第ですので、躾が厳しい親だと百科事典並みのルールを叩きこまれることになり、「お前のツッコミは甘いねん」とか「ボケるんやったら最後までちゃんとボケろや」などと叱責が飛ぶことになり、そうしたルールに縛られれば縛られるほど「なんか生きにくいぜ!」と思いながら成長することになります。
そして、思春期くらいになると誰かからルールを教えられるほかに、自前でルールや常識を整備していくようになります。
そうすると主に通っている学校でのルールや常識を身に着けるようになるんですね。
学生にとっては「学校」が世界の中心を占めるわけでして。
それで「面白くない奴はカーストの底辺をさ迷うことになる」という常識を自ら感知し、何とか笑いが取れるようにボケないしツッコミを研究するようになっていくわけです。
それを元に社会人として就職したりするわけですが、さらに世界は広がって、そこで新たに会社や社会(大人として)のルールや常識を獲得していくわけです。
それで「ボケてもツッコんでくれない人たちがいる」「関西弁のツッコミは特に東日本方面出身の人にはウザがられる」「おもろい奴がカーストの頂点に立てるわけではない」という新たな常識を得ていくのですね。
つまり、年齢を重ねれば重ねるほど身に着けるべきルールや常識って増えていくんです。
それが「生きにくい」と感じる一方で、「人間関係を円滑にするためにはルールや常識を守った方がいい」という体験もしていくわけです。
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で、2つ目の理由というか、1つ目の理由のさらなる深掘りと言いますか、こうしたルールや常識というのは「傷ついた経験」から生まれるものも多くあるんです。
「お前、おもろないな」とバカにされて傷ついた経験があると、「関西に住むならばおもろくなければならない」という“常識”が新たに作られるわけです。
それが時にはコンプレックスになり、「俺、おもろいこと言えないからあんまりしゃべったらあかんねん」という“マイルール”を作る人も少なくありません。
あるいは、そこから血のにじむような努力を重ね、「お前、おもろいやないか!」という最高の称号を得れば自信になる一方で、「おもろくなるためには努力をし続けなければならない」という新たなルールを獲得するでしょう。
そして、その傷の分だけ私たちは他人に対しても厳しくなるんです。(投影の法則ですね)
「面白いこと言えないならしゃべるなよ」と密かに思っていたり、「お前、おもろないな!」と自分が言う側になったり。
そして、当然ながら年を重ねるにつれてこの傷は増えていくものです。
「社会人の常識を知らなくて会社に入ったときにどうしていいのか分からんかった」とか「飲み会での常識を知らなかったからすごい恥ずかしい思いをした」という経験などから常識を身に着けていくわけですが、それも傷つくことで学んだ経験ですよね。
さらにいろんな傷を負いながら私たちは年齢を重ねていくのです。
「納期を守らなかったら取引先にも上司にも偉い怒られて迷惑をかけた」という経験から「徹夜してでも納期を守らねば!」というルールを生み出します。
「いい加減に振舞ってたら友達を失った」という経験から「友達に対しても誠実でいなければならない」というルールを作ります。
「乱れた食生活をしてたら生理が止まった」という経験から「ちゃんと体にいい食事を心がけなければ」というルールが生まれます。
「わがままし放題してたら彼氏に降られた」という経験から「わがままは言っちゃいけない」というルールを作ります。
「突然相手から裏切られた」という経験から「人を信用しちゃいけない」というルールが作られます。
もちろん「日にち薬」でそうした傷が癒されていく部分もありますが、深い傷ほど強いルールを作り出すので、それが自分の人生に影響することも多いものです。
また、自分がそうした失敗をしてきたから後輩にはそんな思いをさせないように注意したい、って愛情も働くことがあるでしょう。
そういうわけで、年齢を重ねるほどルールや常識にうるさくなるわけで、それが自分を頑固にしていくんですよね。
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第3の理由は「ストレスが溜まってる」とか「欲求不満な状態」とかが挙げられます。
要するにイライラしちゃってると人の行動が気になりやすくなるんです。
それはそのイライラを解消するためにそれを向ける矛先を探しているからで、誰かがルールや常識(だと自分が思っているもの)に反した言動をすると、そこに怒りが向かいます。
ルールや常識って「正しいこと」じゃないですか。
だから、それを破る人って「間違ってる」から、それを正す目的でイライラのはけ口にしやすいんです。
正しさの盾を構えて相手を攻撃することが正当化されちゃうってわけですね。
心に余裕があったり、そもそもハッピーだったりすればルールや常識を守らない人に出くわしても「あらやだ」くらいで終わるんですが、自分に余裕がないときって「いらっ!」としちゃうのです。
どうでしょう?
Hさんはアラサーになって社会的・仕事的にも責任が増えたり、忙しくなったり、焦ったりして、心の余裕が前よりなくなった感とかありますか?
もしそうだとするとストレスなり欲求不満なりを解消していく方法を考えるのが効果的かもしれませんね。
また、そもそもルールや常識を守ることが自分のストレスになってる、という場合だって考えられますね。
ほんとうは自由な人なのに、この会社に残るためにはルールや常識を守らなければならない・・・としたら、やっぱり窮屈でしんどくなるでしょう。
そのストレスから「俺も守ってるんだからお前も守れ」という気持ちになってるところだってあるでしょうし、「常識破りな人」に対して嫉妬してしまうこともあるでしょう。
そうした嫉妬から相手に攻撃的になっちゃうことだって多いわけですしね。
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第4の理由は「安全を守る」ということかもしれません。
学生から社会人になったときのことを思い出してみましょう。
特に大学から会社に就職した方などは、生活が一気に“窮屈”になった経験を記憶されてる方も多いと思います。
比較的自由な学生時代から、様々なルールや常識に縛られる生活になったのですから。(少なくとも筆者はそれがめちゃくちゃ苦痛だったことを覚えています。)
でも、そうした会社や社会のルールや常識に慣れ、それを使いこなしていくと平和で安定的な生活を送れることに気づいていきます。
ルールに従ったことでスムーズに物事が進み、常識を守ることで周りから批判されることもなく日々が過ぎていきます。
常識破りの行動ってやっぱり叩かれるじゃないですか。
ルールを守らないと炎上するじゃないですか。
特に日本は同調圧力が強いですよね。
だから、ルールや常識に反することをやってしまったら露骨に攻撃されやすいんです。
だから、様々なルールや常識で成り立っている社会に自分を合わせたほうが「安全」に暮らせることを体感していくんですね。
そうすると何か新しい場面に立ったときに「ここではどういう振る舞いをするのが常識なのでしょうか?」「ここでのルールってどうなってますか?」とルールを確認することになるんです。
安全さを維持するためであり、それは決して悪いことではありません。
そんな中、常識に従わない奴やルールを平気で破る奴は自分の安全を犯す存在に見えるんです。
それでその人に対して「ルールを守れよ!」と攻撃的な気持ちになるわけですね。
そうした気持ちは自らの安全を維持するためでもありますし、「俺もルールを守ってるんだから、ルールを破るような勝手な行動すんなよ。」という同調を求める気持ちでもあります。
で、そうしたルールは常識は年齢を重ねるにつれて増えていくものですから、イライラしやすくなるのです。
逆に言えばそれだけ社会に馴染んだとも言えるわけですし、安全のために保守的になっているとも言えるので、果たしてルールや常識を守ることが自分にとって幸福なのかどうかは分からないと思うんです。
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年齢と共に常識やルールに厳しくなる主な心理を挙げてみましたがいかがでしょうか?
「ああ、だいぶ縛られてるわー」と気付いた方も多いんじゃないかと思いますし、それで「窮屈さ」を覚え、「生きにくさ」につながっている方も少なくないかもしれません。
少なくとも自立系武闘派女子のみなさまはその有り余るエネルギーが社会の常識には収まりきらないことも多いわけで、それで「海外に住みてえ」とか「やっぱフリーランスで仕事した方がいいのか?」などと考える方も多いわけです。
ただ、ルールや常識はすべてローカルルールであり、マイルールなんです。
関西の「ボケたらツッコむ」というのもまさにローカルルールで、一歩、関西を出たら通用しない常識でもあります。
もちろん、飛行機に乗って海外に出れば、日本の常識なんて海外では通用しないことに嫌ってほど気づかされるでしょう。
また、転職したら全然ルールが違っててびっくりした!みたいなことだってあるでしょう?
でも、関西の中で生活していればその常識はみんなが共有しているものですから違和感を覚えることはありません。
同じことがみなさんが生活している世界でも言えるんです。
つまり、「果たしてその常識やルールはほんとうに必要なものなのか?」については一考の余地があるものも多いと思います。
それを自分軸で判断できるようになるのがほんとの大人だと思うのですがいかがでしょうか。
Hさんが危惧されてる
>そんなことしたら、人との約束も用事もドタキャンするし時間守らないよ?とってもだらしない自分が出ちゃうよ?人間関係壊れちまうよ!それはまずいよね??と感じます。
それがまずいかどうかってその人による、とも言えるわけです。
確かに同意できる内容なんですけれど、例えば「海外アーティストが東京公演をドタキャンして母国に帰っちゃった」なんてこともありますよね。それでそのアーティストのファンが激減するかというと必ずしもそうじゃないですよね。
また、ウチナーンチュたちは基本時間は守らないですし、飲み会に「行くー!」って言っときながら「来ない」ということもザラですよね。(今はだいぶ改善されてるみたいだけど)
逆にそれが島の常識になってるまであるわけですが。(19時に予約していた居酒屋に時間通りに入ったら、お店側が全然準備をしてなかったこともある。)
案外社会(人)は優しいもので、「ああ、あいつはそういう奴だから」とだらしないところを受け入れてくれる人もいるんです。
それが受け入れられない人は去っていくし、そういうところはあるけどいい奴だよな、と思ってる人はその人から離れないわけです。
みなさんの所属してる組織の中にもそんな人、いませんか?
そもそも人に興味がない人は人間関係が壊れることをあんまり気にしないでしょうし(そもそも人間関係を構築しようとしない)、何か光る魅力があれば、ルールを守れないことが許される場合もありますし、そもそも芸術家とかに常識やルールを求めるのはおかしなことだったりしますし、要は「自分はどうしたいか?どうするか?」という自分軸の選択になると思ってるんです。
ということで、改めて「自分がどう生きるのか?」というテーマを突き付けられてることは間違いがないと思うんです。
だから、その常識やルールというのは「自分に合ってるのかどうか?自分はその常識やルールをどう扱うのか?」というのをそれに気づいたときに選択していければ、と思うのです。もちろん、自分軸での選択ですが。
そうすると自分で選んだ常識やルールですから、そこまで窮屈に感じずに済むので、より快適な生活が送れるようになると思うのです。
でも、やっぱそれって自分を知るってことなんですよね。
自分がどんな人間かを知ることで、目の前に現れた常識やルールをどう扱うかを選択しやすくなると思うんです。
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●3人の自立系武闘派女子が自分と向き合って幸せになっていく物語。
「ひとりで生きちゃう武闘派女子が頼って甘えて幸せになる50のトレーニング: 「頑張らないこと」を頑張りたいあなたへ」(小学館)
●この記事を読んで「ああ、自分の場合はどうだろう?」と思われた皆さん。そのネタ、聞かせてください!もしかしたらブログ上で回答させていただけるかもしれません!(不採用になっちゃったらごめんなさい!何度でもチャレンジ可!です)
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