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人から全く期待されないのもつまんないのですが、期待をかけられると嫌悪感、プレッシャーを感じて重たくなるものでもあります。
ほど良い塩梅ってどこにあるんでしょう?
どうしたらそれを見つけることができるのでしょう?
その謎を解いていきたいと思います。
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ここ最近やっと、執着の本を買いました。ですが、夫が先に読みたいとのことで順番待ち中。そんな夫との関係も、先生のおかげで修復されつつあり、ありがたい気持ちでいっぱいです。
怒りっぽい性格が嘘のように穏やか。私も変わってこれたのでしょうか!!
さて、今回は「他人からの期待に嫌悪感がある」ことについてご相談です。
夏頃にいま在籍中の場所を離れ、異動の予定があります(どっちかというと、栄転のほう!)でも嬉しいような、素直に喜べない自分もいます。
異動先の希望は?という選択権まであり、大変ありがたいのですが…私がとある部署に移ると社内で噂になっており、「Yはいつこちらに?」といまの上司にまで回ってくるほどでした。
今の仕事は楽しいけど、実は別部署での仕事に挑戦してみたい気持ちもあったので、「Yはそこに行くこと確定」みたいな過度な期待や、噂話にガッカリしてしまいました。
誰にも期待されなかったら、それはそれで寂しいのに、なぜなんだろう?
そして、挑戦してみたいけど、失敗したらどうしようという不安もあります。何かあったときに「ほら、やっぱり私、失敗したじゃん」と自分で思っちゃったら、挑戦したことを後悔しそうです…
自分の心の中では、自分はどうしたいのかがおそらくもう決まってます。でもそれすらもなかなか上司に言い出せなくて…
期待への嫌悪、で伝わるかしら(伝われ)。
どうしたら、私は後悔のない自分軸な決断をできるのでしょうか?
(Yさん)
夫氏、素晴らしいですねっ!!!ありがとうございますー!!(手もみしながら)
ということで、「期待される」ということについてのお話ですね。
全く期待されないというのも人は寂しいものでして、かといって過度に期待されるとプレッシャーにもなるし、嫌悪感にもなる、ということで、ちょうど良い塩梅が欲しいもんです。
「期待される」ということは「やる気」や「情熱」につながる一方で、「重たい」「プレッシャー」「嫌悪感」をも作り出すものです。
Yさんもお気づきの通り、異動先の選択権がある、ということや、噂の異動先が喜んでくれてる、というのは間違いなくYさんの優秀さを物語っており、そこはおいしく頂きたいところです。
一方で、「いつ来るんだ?」みたいな感じで噂が出回ってしまうと「おいおい、まだ何も決まってねーよ」と思うし、「いやいやそんな期待されても応えられるか分からないし」と重たく感じちゃうわけです。
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他人からの期待というのはその「おいしくいただく」という意識がとても大切でして、その期待に100%応えようとすればただただ重たい荷物を自ら背負うことになってしまいます。
そして、100%じゃなくてもそれなりに期待に応えないと失望される・・・「ああ、Yってもっと仕事できる奴だと聞いてたんだけどなー、この程度かー」とか「ま、そんなもんだよね。俺たちが妙に期待しすぎちゃったってことよ」なんて声が頭の中にこだまして「うわーーーーーっ」な気分になるものです。
ここで確認しておきたいことは「それって現実じゃなくて頭の中で作り出したファンタジーだよね?」という事実です。
そう思われたら嫌だ!という思いが様々な幻想(ファンタジー)を作り出してしまうわけで、「それって別に現実じゃないよね?」ということを確認するわけです。
「今の自分にできることしかできない」
という当たり前の事実をここで再確認しましょう。
すなわち「自分軸」です。
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期待されると人は何とかしてそれに応えたいと思うわけです。
そして「Yが来てくれてほんと良かった!」とか思ってもらいたいわけです。
そして実際に何とかその期待に応えられるよう頑張るんですが、その期待値が高ければ高いほど、そりゃあ、疲れるよねー燃え尽きるよねーというプロセスをたどります。
でも、お気づきかと思うのですが、そのやり方、その生き方ってのは「他人軸」なわけですね。
「まあ、勝手に期待してもらうのはあっしの実力を評価してくれてるっちゅうことでありがたい話なんすけど、別にあっしには関係ない話なんすよね」
というくらいで受け止めないといけないわけですね。
これが「ちょうど良い塩梅」であり、「おいしくいただく」という領域です。
そして、その塩梅は「ご自身の趣味と興味とその日の気分で決めて良い」ことになっているのです。
「この煮付け、ちょっと薄味なんじゃねえの?」と文句を言われても、「あたしはそれがちょうどいいの!」と言い返せってことです。
仮に相手が自分に「100」の成果を期待していたとしても、それを受け止めたうえで、「いやあ、あっしは70くらいでちょうどいいんすよ」という風に思えばいいのです。
向こうが勝手に「100」って設定してるわけで、それを「150」にしようが「70」にしようがこっちの勝手で決めて良いってことです。
それを相手がどう評価するかは自分にはどうすることもできないことですから。
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「自分にできることと、できないことの区別をする」
これは自己肯定感をあげる方法のひとつです。
人からの期待なんてのは勝手なものでして、自分では応えられてるつもりでは相手からすれば不満かもしれないし、逆に自分では全然応えられてないと思っても相手からすれば「十分期待に応えてくれてる」ということもあります。
勝手なもんですよね、人って。
だから、そんな他人の言うことを真に受けるなんて人が良すぎるわけですね。
それもまあ魅力の一つっちゃ一つなのですが、そういう方ほど「自分軸」は必須です。
そういう意味ではアスリートとか政治家とかテレビタレントとかは大変ですよね。
医者だって弁護士だって研究者だって営業マンだってしゃちょーさんも大変ですよね。
あくまで「自分が今できること」にベストを尽くすしかできないわけですから、そこに意識を向けることが解決のカギになるのです。
カウンセラーさんだって大変です。
「根本さんにお会いすれば瞬時にすべての問題が解決すると思って来ました。」
そう言われたことも何度かあります。
「そんな神様みたいに思ってくれてありがたいんだけど、それはあなたが判断してくださいよー。こっちはやれることはやりますけど、それをどう感じるかはあなた次第っすよ」
とお伝えしています。
大事なことはベストを尽くしたかどうか。
それが相手の期待に添わなければ「ごめんなさいねー」と素直に言えます。
「この程度なんすね」と言われても「そうなんすよー。すんません。」と言えます。
でも、そこでベストを尽くしていなければ、そこに罪悪感が生まれますから、その相手の反応で傷ついてしまいます。
だから、相手の期待に応えるよりもはるかに重要なのは自分がベストを尽くしたかどうかの自己判断なのです。
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さて、そうするとベストを尽くしたかどうか?って判断が難しいと感じられる方も多いのです。
「自分なりにはやってるつもりだけど、もっとできたんじゃないか?もっと他にできることがあったんじゃないか?と思ってしまう」という。
ベストを尽くしたはずなのにそう思えないってことですね。
まあ、確かにその判断は難しいです。
けれど、その瞬間瞬間の自分が良かれと思って選択したのであればそれは正解にしましょう。
「たしかに他にもできることはあったかもしれないけど、その日の自分はベストを尽くした」と思ってよい、ということです。
そして、そこで浮かんだ「ほかにもできること」は、今だから言えることです。
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先日、久々にテレビ(といってもABEMAだけど)の生放送に専門家枠で呼んでいただいたんです。
そうするとやっぱり爪痕残したいし、いいこと言いたいし、出演者や視聴者にも満足してもらいたい、グッドボタンをもらいたいという気持ちが出てくるわけです。
けど、幸いなことに長年の経験から「そんな思い通りにはいかねーよ」ということも知っています。
「この話したい!」と思っても流れが来なくてやきもきすることもありますし、終わった後に「ああ、あのときこう言えばよかった!」と思うことも当然あります。
でも、毎回そんな経験をしているので、その流れの中でベストを尽くすことしかできない、できなかったらできないでしゃあない、という開き直りができるようになりました。
「まあ、あれでよかったことにしよう」と思うことにしています。
評価は相手がすることで、私にとってベストを尽くしたことを評価してもらえればまた呼んでいただけるでしょうし、そうじゃなければこれっきりのご縁になるでしょう。
そもそもスポーツ選手なんてその極みじゃないですかね?
ほど良いシュートコースにパスが来ることなんてマレですよね?
「絶好のボールが来た!ホームランだ!」と思ってバットを振ったらボテボテのゴロだったってこともしょっちゅうですよね?
みなさんの仕事でもそうじゃないでしょうか?
そこで悔しい思いをするのだけど、でも、「次こそは!」と思わなければやっていけないですよね。
つまり、今回の反省点は次に活かすのみ、であり、自分を責める必要はまったくないものです。
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で、そこで考えていただきたいんですよね。
「ほんとうのところ、誰が誰に期待しているのでしょう?」
自分はこれくらいのことができるはずだ。
自分はこれくらいの結果は残せるはずだ。
自分は相手の期待に応えられるはずだ。
そう、自分が自分に期待しているのです。
相手が「Yさん、期待してるよ!」と言われたときに、その言葉を「まあ、ベストは尽くしますから評価はそっちで勝手にしてください」と思えずに、「何とかその期待に応えなければ」と思うのは、その時点で、自分が自分に期待をかけちゃってるってことです。
つまり、相手が自分に過度の期待をかけてるのではなく、自分が自分に過度の期待をかけているのです。
ややこしい日本語になりますが「自分は相手の期待に応えられるはず、という期待を自分にかけてしまっている」のです。
まあ、自信のないときにはそう思っちまうのも仕方はありません。
けど、そこで「できることしかできない。今できることに意識を向けよう。今できることにベストを尽くそう」と思うことで、地に足が着き、自信が生まれていくものです。(自己肯定感も上がります)
そうすると相手が自分に期待をかけてくれたときに「その期待を何とかして上回りたい!」という思いも出てきます。
「100」の期待に対して、「150」のパフォーマンスを発揮してやろう!とやる気になるものです。
虎視眈々とチャンスを狙う、みたいな。
これは自分に自信もあるし、自分軸の態度ですね。
そうすると「期待されればされるほど燃える体質」になっていきます。
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ということでYさんのお話に戻るわけですが、期待されることに嫌悪感を抱くってことは、今までお話してきた心理とは別に、「ずっと人からの期待に応え続ける人生なんじゃないの?」という疑惑が生まれます。
期待をされると反射的にそれに応えなければ!と思ってしまう体質なんじゃねえかと思うわけです。
だからこそ、自分軸のあり方はすごく大事だし、今こそ、そこに意識を向けるときではないでしょうか?
「まあ、期待をかけてくれるのはうれしいんだけど、あたしの人生なんだから、あたしが勝手に決めさせてもらうぜ!」などと思っておいてください。
なのでここは一択ですよね。
もちろん「別部署での仕事に挑戦して」みるってことです。
では、武運の長久を祈る!
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