自己受容って別に心だけの問題じゃないんですよね~ヴィジョンは現在地を受け入れて初めて描けるもの~



ヴィジョンというのは現実感が大事なんです。
ということは、現在地を受け入れてなければわくわくする未来もファンタジーになってしまいます。
そのためには「今」を受け入れることがとても大切なのです。

ビジョンを描けても身体がついてこないとき、どうすればいいのでしょうか。

私には、力をいつも3割くらいしか発揮できていないようなストレスがずっとあります。
でも、本気で頑張ろうとすると、決まって怪我や病気をしてしまう…。

本当は、会社も経営したいし、旅にも出たいし、世界も見たいし、やりたいビジョンがたくさんあります。なのに、身体がついてこなくて、日々を浪費しているような焦りがあるんです。

先日、怪我をして整体に行ったとき、こんなことを言われました。
「前世は筋肉隆々で、やりたいことが何でもできる男性だったようですね!でも、今世は何か意味があって『か弱い女性』として生まれたのかもしれませんね。」
さらには
「怪我を治したらまた走っていってしまうから、身体が触ってほしくないと言ってるみたいですよ。」と…(結局、そこでは怪我を治してもらえませんでした苦笑)

最近は、「せめてお金があれば…」と思うようになりました。
お金があれば、身体をケアしながら、やりたいことができるかもしれないな、と。
でも、お金を稼ぐために働くと、また身体を壊してしまうというジレンマです。
結果、金銭的には夫や親に頼りながら生きている状況です。

私はどうしたらいいのでしょうか?

追伸
根本先生の本やお弟子さんに出会ってから、家族や恋人(夫婦)関係が革命的によくなり…プライベートはとても幸せです。本当にいつも感謝しております。
(Rさん)

やりたいことがいっぱいあるのに体が付いてこない、というのは何とも絶望的な気分になるものでして、葛藤したり、嫌悪したりしてストレスが溜まりますし、それでまた体調を崩してしまうという悪循環にドハマりしてしまいそうです。

で、プライベートが幸せならば、それでいいじゃない?という見方もあるのですけれど、逆に、だからこそ、ライフワークに突撃したい気持ちになるのかもしれません。

それで今日は少々厳しいことをお伝えしなきゃならないのですけれど、「ヴィジョンを描けても身体がついてこないならば、それはヴィジョンではないんじゃない?」というお話です。

「身体」を「お金」に置き換えて考えてみたらどうでしょうか?

ヴィジョンが描けてるけどお金がない!

果たしてそれはヴィジョンなのでしょうか?

ヴィジョンというのは「現在地」から「わくわくする未来」への導線が見えている状態で、ただ、「わくわくする未来」が見えているだけでは、それが現実とつながっているかどうかが定かではないのでヴィジョンかどうかは言えないのです。

しかも、身体が付いてこない!と思って、自分の身体を嫌っていませんでしょうか?

もっと丈夫だったら!!
あの人みたいに元気だったら!!

と思い切り自己否定して、比較して、自分を責めまくっていませんでしょうか?

となると、Rさんは「現在地」(現実)をまだ受け入れられていないということが言えますよね。

だから、それはほんとうにヴィジョンなのか?と問われたら、Noと言わざるを得ないと思います。

身体も大切な自分の一部です。

だから、身体の声を聴くことは、心の声を聴くことと同等に大切なものです。

また、心理的に見れば、身体に現れる症状は心の問題を表していると言います。

「頑張ろう!」と思っても身体が付いてこないのであれば、自武女小説に出てくる卯月さんのように「積載容量オーバーのトラック」を運転している状態と見ることができます。

「今の自分にできること」が見えず、それを受け入れられないので、あれがしたい、これがしたい、とファンタジーを描いてしまっているのかもしれません。

整体の先生の言葉を借りるのであれば、前世の記憶にとらわれていて「なんでも自分はできる!」と思い込んでいて、それで自分に負荷をかけ過ぎようとしていると考えられますね。

また、筋骨隆々の男性だったならば、なんでも「力技」でやっていた前世かもしれませんね。それこそ、気合と根性と体力でなんでもやりこなしていたわけで、その感覚がまだ残っているのかもしれません。

まあ、前世はベンチプレスで100kg上げるのは余裕だったので、今のRさんも同じくらい上げたくなっちゃうし、それくらい上げられねば!と思ってしまってるのかもしれないわけです。

ということで、か弱い女性として生まれた目的を探る、というのはいかがでしょうか?

ヴィジョンというのは「現実感」が必要なんですね。

だから、少なくとも今現在の自分を受容できていないと描けるものではありません。

今の自分を否定している状態で描いた未来は「ファンタジー(幻想)」なんです。

旅行に行くにも「現状」を受け入れてなければ計画すら立てられないでしょう?

「往復ファーストクラスでヨーロッパに行きたい!
 5つ星ホテルのスイートルームを渡り歩きたい!
 せめて3か月くらいは滞在したい!」

そんな風に思ってわくわくしたとしても、

・少なくとも3000万円の手元資金
・3か月休暇が取れる環境
・パスポートを取得している
・飛行機に乗れる

などの「現在地」にいなければ実行するのは難しいでしょう。

「身体」も同じなんです。

私の家族にもお客様にもか弱い体の持ち主がいらっしゃいますが、やはり体を受け入れるのは心を受け入れるのとは違った抵抗があるものです。

やはり、目に見えるもの、であることが大きいです。

体力がある人と体力のない人を比べてしまう、健康な人と持病のある自分を比べてしまう、という「比較」があちこちで起こりやすいです。

例えば、「下戸なんだけど酒場の雰囲気が好きな人」っていらっしゃいますよね?

大人になった今はウーロン茶で酔える術を身に付けられたかと思いますが、それまでどれだけ苦労されたでしょう?

何とか飲めるようにならないか努力された方も多いと思います。

でも、やっぱりだめか!くそ!と挫折を味わいつつ、「酒は飲めないけど楽しめる術」を身に付けられていったと思います。

そのタイミングが「下戸である自分を受け入れた瞬間」でしたね。

始めはどんな気持ちだったでしょう?

屈辱感、敗北感、自己嫌悪が渦巻いていたかもしれませんが、それが現実なんだから、と受け入れるしかなかったわけです。

そこから、それなら酒は飲めないけどその雰囲気を楽しめるようにしよう!と気持ちを切り替えられるまでどれくらいの時間がかかったでしょうか?

その体制を続けるうちに慣れてきて、「酒が飲めなくても楽しめるよ!」と笑顔で言えるようになったんだろうと思います。

「酒が飲める」という目に見える人がいると分かりやすく比較してしまうし、酒が飲める方が良いことで、飲めないことが悪いことのように考えてしまうし、なんか自分は欠陥品のような気がしてしまうし、自己嫌悪が次から次へと湧いて出てきます。

分かりやすく「酒」で例えてみましたが、それが「病気」だったら、「体質の弱さ」だったら、「障害」だったらどうでしょう?

今の自分を受け入れることに対してひたすら葛藤しか感じないかもしれません。

私のお師匠さんの一人は後天的に障碍者になった方で、車椅子の生活に慣れるまでには筆舌にしがたい葛藤を抱えていました。

私が師事した頃は事故から10年くらい経っていましたが、「正直、俺はまだこの状態を受け入れられてへんねん」と時々弱音を吐いておられました。

元々活発で、イケメンで、ヤンチャだったがゆえに、小5から一人暮らしをしながら新聞配達をして生活費を稼ぎ、夜はバイクで集団走行するグループで大活躍されていたそうで、「俺、チャリ乗るのめっちゃ上手やったからバイクもすぐに乗れてな。警察から逃げるのもうまかったでー!」とよく自慢されてました。

だから、車椅子になってからはあれこれ精神的にヤバいことになって何度も生きることをあきらめかけてました。

それがだんだん受け入れられるようになると「お前はセミナーでもしゃべって笑わせな、ツカミができひんやろ?たいへんやなあ笑。俺はこの姿で出て行くだけでツカミはOKやねん。まあ、せいぜい頑張れよ」と煽ってくる偉大な(?)師匠になっておりました。

彼のその転機は「この俺やなかったらできひんことがあんねん」ということに気づいたからです。

彼は自殺未遂のプロでしたから、死にたくなる気持ち、そこから這い上がるまでの思いを語ることに「天命」を感じたんですよね。

まあ、そんなことはもう一人の師匠も周りの仲間も10年以上前からずっと言ってたことなんですけど。

つまり、彼は「一生歩けない体で生きていく意味」を長年かけて見出したのです。

Rさんにとっても、その体で生まれ、生きていらっしゃるわけですから、そこにも何らかの意味を見出すことができるでしょう。

この身体だからできること、を見つけていくんです。

「この身体でも」じゃないですよ。
「この身体だからこそ」ですよ。

この身体と一緒に生きていく、という覚悟をまずは固めましょう。

この身体が教えてくれていることをひとつひとつ学びましょう。

もし、それでも経営や旅にわくわくするならば、これこそが、ほんとうのヴィジョンです。

そうすると発想が今とだいぶ変わるはずです。

この身体で会社を経営するにはどういう方法が考えられるのか?
この身体で世界中を旅するにはどういうやり方をしたらいいのか?

この質問は「身体」を受け入れたからこそ出てくるものなんですね。

「自己受容」って心だけの問題じゃありません。
身体だって当然そうです。

ということで、今までずっと一緒に生きてきてくれた身体をいたわり、感謝するところから始めてみましょうか。

また、この身体を持つ自分を受け入れ、支え、愛してくれている家族や周りの仲間たちに感謝を捧げましょう。

今、プライベートがすごくよくなったわけですから、むしろ、家族の協力を得て、今、ここに生きていられていることも実感されてると思います。

他にも自分を助けてくれた人、応援してくれる人の顔が浮かぶかもしれません。

また、この身体だからこそ、身に着けたスキル、成長した部分ってないでしょうか?

身体が弱い方は「口が達者」だったり、「お願い上手」だったり、「頭の回転が早い」だったり、「愛され上手・受け取り上手」だったり、別の長所を持つものです。

身体が弱い分、健康に関しては本が何冊も書けるくらい知識が豊富になった、ということもあるかもしれません。

そうして、か弱い体に生まれたことを受け入れ、なおかつ、感謝したり、そこに価値を見出せたりすると、いよいよヴィジョンを自由に描けるようになるものです。

Rさんだからこそ、できること。

それをぜひ探しに行きましょう。

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