母の死がお互いのつながりを切ったのではなく、ほかならぬ自分自身が死を理由に母とのつながりを切ったのです。



だから、もう一度つながりを取り戻せる、という話です。
そして、つながりを取り戻せれば、孤独感も癒されるし、彼氏に母を求めなくていいし、彼氏の言動に振り回されることもなくなっていくのです。
ただ、それを受け入れるのはちょっと難解かもしれませんが。

バツイチ彼氏の「娘」に嫉妬する問題 では取り上げていただきありがとうございました。
後日、彼と人生設計や老後のお金の話になった時に、話の流れで「一緒に住みたい」と伝えたら「それは全く考えたこともなかったし、今は仕事のことも考えたい、一人の時間も欲しい、今より家賃が安い遠いところに住もうとも考えていた」と言われ、と玉砕しました。
数ヶ月前はできるだけたくさん会いたいとあれだけ言っていたのに、、あと今でもそこまで家同士近くはないのに、さらに遠くなったら私は出不精だし会いに行けなくなりそうです、、
私は都内にマンションを所有しており、一緒に住むにも十分な広さだし、今売ったらなかなかのお金にもなりそうな立地でもあります。
その日の晩に感情が大暴走し、号泣して「私は不倫相手と同等じゃん!セフレ以下の存在だ!もうどんどん自分が嫌いになる」と訳わからないことを喚き散らすという最悪なことをして、罪悪感と自己嫌悪で翌日は廃人になり仕事も一切手をつけられなくなりました。。
一人で泣きながらB4の紙いっぱいに御怨み帳代わりに書き殴っていると、最後には「一人はもう嫌だ寂しい一生一人は嫌だ死にたいもう一人は嫌」しか出てこなくなり、ここまで自分の人生が孤独感でいっぱいなことに気づき、やはり泣きたくなりました。
母は私が二十歳の時にガンで他界、父は仕事人間だったのと、兄弟は上と下が男同士なので仲が良く、そのため私は一人遊びが多かったのですが、母が親友のように接してくれて私の性格も才能も見出してくれて一番理解してくれる人でした。今でも母の遺影の前が一番自分の弱音も本音も吐き出せる場所になっています。

大爆発の後でも、彼は今まで通り接してくれているのが救いではありますが、依存的な自分、そして孤独感も増してしまい、苦しいです。
7月の1dayセミナーには参加したいです、、
(Sさん)

すばらしいパスをありがとうございます。

◎7/20(土)東京、8/10(土)大阪:1DAYリトリートセミナー~ライフワークやパートナーシップと向き合い、自分を深く知る1日を~
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/50757

こちらですね。7月ということは東京ですね。
宜しくお願いしますね!

◎7/20(土)東京、8/10(土)大阪:1DAYリトリートセミナー~ライフワークやパートナーシップと向き合い、自分を深く知る1日を~
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/50757

これですね。大阪のみなさまもぜひ!お待ちしております。笑

さて、1DAYなんて話になりますと、すっかりモードはそちら側になりまして、ああ、やはり母とのことを決着付けねば先には進めないのかもな、という見立てをするものです。

おそらくお母さんとのことはあれこれやっているかと思いますけれど、この辺はずっと続くものですので、「これでもう終わり!」にはならないものです。それくらい両親、特に母の影響というものは根深いものなのです。

で、その話に行く前に私たちの心の法則をひとつご紹介したいと思います。

それは「いつも同じところにたどり着くパターンってないですか?」という話です。

Sさんの話で言えばここ。

>最後には「一人はもう嫌だ寂しい一生一人は嫌だ死にたいもう一人は嫌」しか出てこなくなり、ここまで自分の人生が孤独感でいっぱいなことに気づき、やはり泣きたくなりました。

この「孤独感」というのがSさんにとってパターンになっていないかな?ということなのです。

というのも同じような状況に陥ったときにみんなが「孤独感」にたどり着くとは限らないからです。

例えば、最近、とあるクライアント様がSさんと同じような目に遭ったのですね。
「彼のマンションの更新時期だから一緒に住めるチャンス!」と期待してたのですが、彼はあっさり更新したらしく、「は?前はもうすぐ一緒に住めるねー!とか言ってたじゃん。あれどうなったわけ?」と暴れておりました。

そして、彼女は「どうせあたしは選ばれないんだー。ふん」と机に突っ伏して拗ね拗ねモードでして、「まあ、拗ねてる○○ちゃんもかわいいよねー」と敢えて地雷を投下してみたのですが、「そんなこと言われても嬉しくない」と素で返されまして、コトの深刻さを自覚したわけです。

彼女のパターンは「あたしは選ばれない」というものです。

みなさんもそういうのありません?
何かあると行き着くところはこの気持ち、というもの。

ある人にとっては「結局あたしが全部悪い!」という罪悪感にたどり着くでしょう。
またある人は「やっぱり見捨てられるんだわ!」という感情がいつも出てきます。
そして、多くの人は「幸せになりそうになると怖くて逃げてしまう」というパターンを持ちます。親密感への怖れってやつですね。

こうした慢性的なパターンはなかなか強力でして、自分でもそれが当たり前だと思っているし、全人類が同じだと思っているので、そもそもそれが問題だと気づかないことも多いくらいです。

そして、恐ろしいことに、私たちは何かとその感情に導かれてしまい、その感情を感じざるを得ない状況を自ら作り出すのです。

Sさんのような「孤独感」を強く抱えていると、その孤独感を感じるように状況が動いていくのです。

まるですべての迷路のゴールが「孤独感」のように。

だから「結局」「いつも」「どうせ」「決まって」「やっぱり」という副詞が伴うようになるのですね。

なぜ、そんなことが起こるのか?

それはSさんの潜在意識がその孤独感を癒したいからです。

その孤独感を癒すために、その孤独感を強調してくるのです。

「ここに傷があるよー!癒した方がよくね?ねー、癒そうよー!」と潜在意識が言ってるわけですね。

そして、それくらい強く働きかけてくるということは「慢性的な問題」と言えるわけでして、てことは、人生を変えてしまうほどのインパクトを持つ感情とも言えるのです。

だから、こうした慢性的な問題の陰にはライフワークに通じる才能や価値が隠れているものでして、それでリトリートセミナーというのはそこにフォーカスを当てることにしてるのです。

個人セッションでももちろん同じようなことはするのですが、やはり人がたくさんいるパワーというのはすごいものでして、グループの方が圧倒的に効果的なんです。

さて、となりますとなぜSさんは孤独を抱えてきたわけ?という疑問が生まれてくるものです。

となると、やはり親友のように接してくれた母が亡くなったことが孤独感につながるのかもしれません。

>今でも母の遺影の前が一番自分の弱音も本音も吐き出せる場所になっています。

という一言が何とも言えぬSさんの寂しさを表しているように思います。

でも、子どもの頃から寂しかったんですよね?孤独を感じてたんですよね?とはいえ、母が親友のように接してくれてたんですよね?

そのあたりはまたちょっと詳しく聞かなきゃ分からないので、今日はやはり母の死についてのお話をしてみたいと思います。

Sさんにとってお母さんというのは、

>母が親友のように接してくれて私の性格も才能も見出してくれて一番理解してくれる人でした。

というほどの存在ですから、その母の死というのはリアルに「1回人生終わった」というできごとになると思うんです。

それはまるで体を引きちぎられるような、心臓を引き抜かれるような、全身がバラバラになるような、そんなショックを受けたとしてもおかしくありません。

今でも「もし、母がいてくれたら・・・」と思うことはありませんか?

ちなみに、田舎に逃亡しようとしている彼氏の件を母に話したら、母はなんて言ってくれると思います?

やはりSさんと同じく武闘派である母ならば「は?そんな男さっさと斬りなよ。あんたにゃもっといい男がいるって」と諭してくれるでしょうか?それとも「あんたも女だったらその男を地の果てまで追いかけなさい!」と叱咤激励してくれるでしょうか?

あるいは、母がいてくれるならそもそも今の男になんてハマらないですか?

「死」というものを私たちはたいへんよく扱うのですが、そうした中で私がひとつたどり着いた考え方は「生きてる人が死を作る」というものです。

肉体的には確かに触れることも会うことも声を聴くこともできません。

しかし、目を瞑ればその人の声を聴き、肌に触れ、存在を感じることはできます。

でも、それでは満足できないので、自分の中からその存在を消そうとしてしまいます。

それが死を作ることだと思っています。

「もう会えない、声を聴くこともできない、触れることもできない」という“思い込み”が死を作り、そして、壁を作るものです。

そして、絶望を感じます。

「母を自分の心の中で生かしてあげよう」とすることはできるんです。

ただ、変な話ですが、そのためには死を受け入れるということも大切なプロセスになります。

つまり、今までとは違う形、やり方、場所で、母と出会い、母とつながる、ということです。

直接母と手をつなぐことはできないと考えてしまいますよね?
確かに3次元の物理法則ではそれは難しいものです。
しかし、母と手をつないだ感触をSさんの体・心は覚えていますね?
だとしたら、その感触をありありと思い出すことで、「今」母と手をつないでいる感覚を得られます。
それは驚くほどにリアルなモノです。

でも、自分が「そんなの無理、怪しい、意味ない」と思ってしまっているのであれば、その感覚を得ることはできません。

もし、そう思ってしまうのであれば、まだ死を受け入れていないと解釈できます。

そうして、母を感じることができ、つながりをもう一度感じることができるならば、その「孤独感」は癒されると思いませんか?

それが「心の中で母を生かしてあげる」という状態なんです。

このあたりは私たちが実は霊的な存在であることに気付く必要があり、現在の思考的、理性的な捉え方からは少し離れなければいけませんから、抵抗のある方も多いでしょう。

私たちが認識しているのは3次元の世界であって、より高次な世界では捉え方が全然変わるんですよ、ということを体感的に理解する必要もあります。

なぜ、その提案をするのかと言うと、「母探しの旅」をもう終わらせるためです。

よき理解者であり、何でも話せる親友であり、心を開いてつながれる存在を失ったダメージはものすごく大きいですよね。

そうすると私たちはその代わりの存在を必死に探し始めるのです。

「母はもういない」と思うから、「母のような人」を探すんです。

もちろん、そんな人はいません。

でも、少しでも母を感じたいために、母を感じさせてくれる人を探し、でも、母じゃないので、そのことで幻滅します。

そして、母がいないことで嘆き、悲しみ、そして、お約束の孤独感に行き着きます。

人によってはそこで母を恨むでしょう。
また、人によっては自分をほんとうに消したいと思うでしょう。

しかし、母とのつながりを切ったのはほかでもない自分自身なのです。

この真実を直視しなければなりません。

死によって母に見捨てられたのではなく、母を見捨てたのは自分であると気づく必要があるのです。

だから、もう一度、母とつながる、ということがヴィジョンになります。

そうして、母とのつながりを取り戻すことができれば、彼氏にそれを求めることがなくなるでしょう。

この話ってけっこう誤解を招きやすいので危険なんですよね。
しかも、かなり難しいというか、厳しいものでもあるので、表現することも難解です。

ちょっと想像してみてください。

Sさんが母とのつながりを取り戻し、孤独感が癒されたと思います。

そんなとき、彼が今より遠いところに住みたい、とほざきました。

そのときのSさんは何を感じると思いますか?どうそれを捉えると思いますか?

やはり「うへへへへ。地獄の果てまで追いかけてやるぅ♪」と思うでしょうか?
それとも違う思いが出てくるでしょうか?

「きっとこうするだろうなー!」と思うのであれば、母とのつながりを取り戻し始めてますね。そんな感じで、よりリアルに感じられるようになったらだいぶ変わるんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。

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