「許し」はなぜ大切なのか?どんな恩恵が与えられるのか?~自分の生き方に選択肢を増やし、生きやすくする重要なアプローチ~



「許し」もまた「愛」の表現のひとつであり、自分自身を解放し、より自由な生き方を与えてくれる大切なアプローチです。
それはまさに「才能発掘」のプロセスと呼べるもので、人生を大きく一変させてしまう力をも持つのです。

根本先生こんばんは。
Youtubeやブログ等で勉強させていただいております、29歳男です。

ズバリ、相談です。
職場の同僚(年上)へのイライラが収まりません。

彼は年齢が20コ上で肩書もしっかりあるのに、とにかくやる気がありません。(というか、そう見えてしまう)

最近仕事の引き継ぎを行なっているのですが、
物覚えが非常に悪く、メモも取らない、何度指摘をしても同じ所で間違える等、ストレスが半端じゃありません。

「すみません」とは言うものの度々ミスを繰り返すので、逆に嫌がらせされとんのけ?と思ってしまうぐらいです。

どうしたらこの同僚の仕事力はUPするでしょうか、、、という相談は上司に致します笑

私がお聞きしたいのは、なぜこんなにもイライラしてしまうのかという点なのです。
一度イライラし始めると、彼が今後するであろう行動までをも妄想してしまいイライラします。

ただ、不思議なのが他の方が同じようなミスをしてもイライラしません。
特に気にならない…というのが本音です。

自分なりに分析をしてみようと過去を振り返ってみると、父親が関係しているのかなと考えています。
夫婦仲は悪く、私が5歳ぐらいの時に父親は出ていきました。
それからは時々会って一緒に出かけたりはしていましたが、小6からは一切会っていません。

家庭を壊した、仕事をちゃんとしなかった、ということが同僚に投影され、今のイライラに繋がっているのかなと勝手に思っております。
ただ、父親に対しての感情は「無」に等しいです。

長々と申し訳ないのですが、分析的にはこんな感じで合ってるのでしょうか?
もしそうだとしたら、どうすればこのイライラにピリオドを打てるのでしょうか?

どんなお言葉も拝受いたしますので、
何卒宜しくお願いいたします!
(Hさん)

そうした分析で間違ってないと思いますよ。

その20歳上の同僚に「父」を投影してるので、父に対して怒りがあるように、その先輩にイライラしてしまうのでしょう。

他の人にはイライラしないのに、その同僚にだけイライラを募らせるということは、まさにその同僚に「父」を見ていることを表します。

よほどがっちりハマってるのでしょう。

ということはこれは大きなチャンスと言えるんですけど、それは後々お話ししましょう。

ただ、これは誰しもが少なからず持っているもので、男の子であれば父親との葛藤を社長、上司、先輩、年上の人に投影してしまいますし、さらには「社会」「政治」「店長」「先生」「リーダー」等に対しても同じようなイライラを抱えやすいかと思います。

そして、その父親との葛藤を持ち続ける最大のデメリットは「自分がそうなることを許せない」という点にあります。

Hさんにとって最悪のストーリーは、自分が上の立場になった際に「仕事ができない」「やる気を見せない」「無責任」「いい加減」だと下から思われることです。

つまり「お前も結局はオヤジと同じだな」という評価を怖れるわけです。

それゆえ、“決してそう思われないように”「仕事を頑張る」「やる気を見せる」「責任感が強い」「ちゃんとしてる」という風に振舞わなければいけなくなるわけです。

また、Hさんのお父さんを「家庭を壊した」と見ているならば、Hさんは家庭を持つことを怖れるようになるかもしれませんし、また、仮に結婚しようもんなら「完璧な夫・父」を志してしまうことは想像に難くありません。

そうしたプレッシャーはけっこうなストレスになる場合も少なくないものです。

とある男性クライアント氏は「家族を路頭に迷わせた元社長の父」を許せなかったがゆえに、「安定したサラリーマン」になり、父親を反面教師にして頑張ってきたのですが、どうやらそれが彼の本質には合わない生き方だったようで30歳過ぎに燃え尽きてしまいました。

そして、その燃え尽きて何もできない自分に「会社を倒産させたあとの父」を重ね合わせたがゆえに、非常に強い自己嫌悪を抱えることとなり、人生に絶望していたものです。

結局のところ、彼自身が父と向き合い、許し、認めていくプロセスにおいて、自分も経営者を志すこととなり今ではけっこう成功しているみたいです。

例えば、「仕事をちゃんとしなかった父」を未だに許せていないとしましょう。

そうすると「仕事をちゃんとしなければならない」というプレッシャーを自分にかけ続けることになります。

それがプラスに出れば「Hくんはほんと仕事頑張ってるよな!上からの評価も高いぞ!これからもよろしくな!」と上司に認められる存在になると思います。

もちろん、それは自分にとっても嬉しいことなのですが、実はそれは“父が仕事をちゃんとしなかったから”こそ得られた恩恵とも言えます。

いわば、父を反面教師にしたがゆえに得られた評価ですから、ここは父に感謝できるポイントでもあります。

ただ、その一方で「ちゃんとしなければ」という思いが強くなりすぎて、「ちゃんとしてない自分を許せない」となっちゃうんですね。

女性のように生理周期がなかったとしても人にはバイオリズムもありますし、忙しすぎて疲れてしまうことや、与えられた仕事がつまらなくてやる気が出ないこともあるでしょう。

「常にちゃんとする」ということはなかなか難しいことですが、「ちゃんとしてない自分」を許せないですから、自分自身に大きな負荷をかけ続けることになります。

それが燃え尽きたり、精神を痛めたりする原因になるわけです。

「許し」がなぜ必要か?というと、誰かを許せない分だけ自分の許容範囲(器)が狭くなってしまうからです。

これがかなり重要なポイントでして、「基本的に仕事は好きだから頑張るけど、疲れちゃったときは休むことも大事だよね」という考え方が頭では理解できても、心が受け入れられなくなって、常に頑張り続けるようになっちゃうんです。

さらに言えば「父を反面教師にする」という生き方はとても危険なんですね。

なぜならば「人生の基準は父」になるからです。

反面教師の生き方と言うのは「父が右に行ったから自分は左に行く」という生き方ですし、「これは父みたいな言動じゃねえだろうな?」と常に自分をチェックし続ける生き方です。

つまり、今の自分のあり方を判断する材料が「父」になるわけですから、それは「父」を目標にして、「お父さんみたいになりたい!」と思っているのと“全く同じ”なんです。

父に反抗するあまり、父と同じような生き方をしてしまう方って珍しくないものです。

ちなみにこれは男子に限った話ではなく、もちろん「父」に限った話でもありません。

とはいえ、反面教師にしてしまうことが悪いというわけではなく、先ほど述べたようにメリットもありますから、「始めはそういう動機で構わないけど、徐々に反面教師を手放し(許し)、違う動機を持つようにしたいよね」というのがよろしいかと思います。

さて、ここから少し深掘りしていきたいと思うのですが、まず、

>ただ、父親に対しての感情は「無」に等しいです。

というところですが、この「無」は「怒り」と置き換えて差し支えないと思います。

じゃなかったら同僚にイライラすることもありませんから。

つまり、「感じたらヤバいほどの怒りを持っているがゆえに、それを感じないように抑圧して“無”にしている」と解釈するわけです。

父に対しては感じられないけれど、その怒りはちゃんと心の中に存在しているので、父に似た同僚に対してイライラを覚える、という仕組みです。

さて、ここからは質問交じりにお話をしていきたいのですが、

なぜ父親が家庭を壊したと思っていらっしゃるんでしょうか?
同様に父親が仕事をしなかったことをなぜ知っているのでしょうか?

5歳のときに家を出て行き、その後は時々会ってらしたようなので、父親と触れ合う機会はとても少なかったかと思います。

5歳の男の子にとって「父が働かない」「家庭を壊したのは父だ」と判断するのはかなり無理がありますから。

なので、その判断は「母」やその両親、周りの人たちから“聞いて覚えたこと”ではないかと推測されるわけです。

となると父に対してHさんが持っている怒りというのは、母や周りの人の感情を引き受けている状態じゃないかとも考えられます。

つまり、Hさんが個人的に父に対して怒りを覚えていたのではなく、母や周りの人たちが父に対して怒りを持っていて、それにHさんが同調したんじゃないか?というわけです。

もちろんそれは自然なことでして、「離婚後、母や祖父母が父のことをぼろくそに言っていて、だから父の印象はすごく悪かったんですけど、大人になって父に再会してみるととても母が言うような悪い人には思えなくて、それで色々話を聴いているうちに確かに父も悪いところがあったけど母も母で問題があったんだと思うようになりました。」みたいな話はよくある物語ですね。

よく「歴史は勝者によって作られるもの」と言われますよね?

戦争に勝利した者が自分に都合がいいように事実を作り出しているから、それが真実とは限らない、というわけです。

両親の離婚についても同様のことが言えるのですが、5歳の子どもにとっては母の言うことがすべてだと思えば、父に対して誤解を抱くのも無理はないことかと思います。
(実際、それが誤解かどうかはケースバイケースですけど)

そして、ここからはあくまで可能性の話であり、心理的な話ですのでHさんに合致するかは分かりませんが、「無」になるほどの怒り、そしてその「イライラ」というのは、父が家庭を壊し、仕事をちゃんとしてなかったからだけなのか?という疑問が湧くわけです。

本当はお父さんがのことが大好きだったのに突然会えなくなってすごく寂しく辛い思いをしていたけれど、母と共に生きていくにはそんなことを言えるはずもなく、5歳の男の子はひとり、その寂しさと辛さを心の中にしまい込んできたのかもしれません。

もちろん母のことも大好きだったし、母の味方でいたかったから、父を悪者にしてきたけれど、実は父のことが大好きな自分もいて、その自分は父に対して知らず知らずのうちに「罪悪感」を抱えるようになったのかもしれません。

母のことが大好きで、その母を守ろうと頑張ってきた5歳の男の子にとって父は悪者なのだけど、その一方で、そんな父のことも嫌いになれない自分がいて密かに心の中に葛藤を抱いてきたのかもしれません。

私たちは感情を抑圧するときに「怒り」を使うものです。

感じたくない感情を感じてしまったときに「怒り」を使って感情を切るのです。

大好きな人にデートをドタキャンされたとき、悲しくて辛くて寂しいけれど、それを認めるのが嫌なので「大丈夫よ!」と強がったこと、ありませんか?

その「大丈夫よ!」はまさに怒りを使って自分を強く見せたものです。

みなさんも好きな人と買い物に行ったときにおもちゃ売り場もしくはお菓子売り場にて「やだやだチョコ買ってよ!」と床に転がって駄々を捏ねるときがあるかと思いますが、それでも買ってもらえないときに「もういらない!チョコなんて一生食べないもん!」と怒りで欲しい気持ちを抑え込むこともよくあるんじゃないかと思います。

そういう風に考えれば、Hさんが「無」になってしまうほどの怒りには、父が酷い奴だったどいうだけでなく、そのほか、父への思いを抑圧するために使った怒りも含まれているんじゃないか?と思うのです。

この辺はすぐにはピンと来ないと思いますし、“認められない”“認めたくない”という抵抗もものすごいと思いますから、しばらくは深く考えない方がいいです。

でも、もし、この私のアイデアを必死に否定したい自分がいるならば、たぶんそれは大正解!ということになるでしょう。

そういう見方をすれば、Hさんの怒りの本質は「父に会えなくなった寂しさ」であり、さらに言えば「父のことを愛せなくなったことへの怒り」であるかもしれません。

愛する人を愛することができない状況になったとき、私たちはそんな自分に、そんな状況に対して猛烈な怒りを覚えるものです。

その怒りが相手に向くこともまたよくあることです。

「あたしにひどいことをした元カレに対して怒りが止まらない!」という話もよく聞くのですが、その真実は「大好きだった元カレのことをこれ以上愛せなくなくて辛い」という心理が生み出すものなんです。

だから、父、母、きょうだい、パートナーなどに対する「怒り」を聞くたびに、「それだけの怒りを抱えるほどの価値をその人に感じていたのですね?」と婉曲的に伝えたのち、「それくらいあなたはその人のことを愛していたのですね?」と核心を突くことにしています。

多くの人はそれを素直には受け取れないものですが(無理もありません)、ただ、そういう前提に立って人生を振り返ってみると色々と辻褄が合ってくるんです。

だからHさんに対しても他の方同様に「そっかー、実はファザコンなんだね」とお伝えするかと思います。

そういう風に愛のレベルまで降りていくと今まで見てきたのと全然違う景色が見えてきます。

その過程では父のことを憎んでいたけど、ほんとうのラスボスはおかんだった・・・という衝撃の展開が待ち受けることも珍しくありません。

とはいえ、それもまた母との関係を見つめ直していくことで解消されていくでしょう。

そうして「父(母)を許す」というプロセスを進んでいくと、今まで拒絶していた父からのエネルギー的なサポートを受け取ることができるようになります。

それは別に父が何かしてくれるとかではなく、父が持っていた価値・長所・才能を息子として受け取れるようになるんです。

例えば、仕事はちゃんとしてなかったけどコミュ力は抜群に高かった、とか、女にだらしない人だったけどすごくモテる人だった、とか、お金のことにはいい加減だったけど義理人情に厚い人だった、とか、今まではネガティブな側面しか見えてなかったのが、ポジティブな部分も見えてくるようになります。

そして、その要素は自分も引き継いでいる可能性があり、その能力を自分も使えるようになっていくものです。

そもそも長所というのは短所の裏返しであり、両者は表裏一体です。

ある角度からはネガティブに見えても、別角度からはポジティブなものになります。

そうすると「いい加減でちゃらんぽらんな人」が「自由人」という風に意識が変われば、父を許すことが結果的に「自由な生き方」を手に入れられるようになります。

もちろん、そこには母の影響もあり、また自らが人生で学んできたことがあるので、父と全く同じようになるわけでなく、今の自分に「自由」の要素が加わると思った方が現実的ですね。

さらに深いレベルついでに言えば「許せない(=怒りを持ち続ける)ことは同時に罪悪感を増やし続けることになる」という重要な問題もあります。

この辺はまったく自覚できない深い層にあるものですが、「誰かを許していくプロセスで、どんどん心が軽く、楽になっていくことを実感した」という声は必ずと言っていいほど出てくるもので、それは許しが進むほどに罪悪感が解消していくからなのです。

ということでHさんが父と向き合っていくプロセスにおいてはこのような今からは想像もできないような恩恵が得られると思うわけです。

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なぜ「許し」が必要なのか?大切なのか?〜それは自分の生き方とか考え方とか価値観が広がって自由になるから!?〜


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