怖れが強い、怖がりな人の中にある最後の依存心について。



怖れが強くてなかなか動けない、考えすぎる、という方は本来めちゃくちゃエネルギーが強いからこそ、その分だけ怖れが強くなるんです。
でも、その怖れを作っているのは自分でもうんざりするほどの依存心なので、なかなか向き合う勇気が出ないのです。

怖れが強い人というジャンルがあると思っていて、例えば、このコロナ禍においてはとにかくコロナが怖い、ワクチンが怖い、という思いに支配されているものです。

そもそもが婚活が怖かったり、出会いが怖かったり、異性が怖かったり、仕事はまあいいんだけど転職が怖かったり、起業なんてもっと怖かったりするものです。

引っ越しが怖くもあり、一人暮らしも怖いのでセキュリティが万全なマンションを探します。

もちろん人が怖いので、たくさんの人と交わる場所には足は向きません。

でも、それでいながら外から普通の社会生活を送っているように見えます。

仕事もちゃんとしてたり、友達もいたり、表面上は幸せそうに生きています。

結婚している人ももちろんいます。

でも、何か動こうとすると強い怖れがやってくるのでなかなか行動に移しにくいんですね。

で、そんな風に強い怖れを持っている人というのは、自然と「考えすぎ」な傾向にありまして、コロナのことを考えすぎて鬱っぽくなっている人も珍しくありません。

その他にもあれこれ考えることがいっぱいで、ああでもない、こうでもない、と考えすぎて結論が出せず、結果、一歩を踏み出せなかったり、踏み出すタイミングが遅くなって後悔したりします。

でも、何を考えているか?と言えば、理論的に、分析的に考えているのではなく、ただ漠然と何かを考えている状態なので、正確には「思う」とか「憂う」という方が正しい表現かもしれません。

だから、ああでもない、こうでもない、と行ったり来たりの思考に支配されるんです。

こうした怖れが強い人は、そもそもが感情に敏感で、周りの人の感情の機微などを上手に捉えてしまい、それでまた考えてしまったり、怖くなって動けなくなったりするものです。

そして、バランスの法則に従って、そういう方のパートナーは選りすぐりの鈍感男(女)が選ばれることも多いものです。

そもそもそれくらい怖れが強いということは、潜在的なエネルギーも莫大で、本質的にはエネルギッシュ、パワフル、バイタリティ旺盛、ついでに性欲も旺盛な方が多く、すなわち、生命力=セクシャリティもたいへん豊かなもんです。

だから、ひとたび好きなモノやハマるモノが現れると情熱的に取り組みますし、その情熱が怖れを上回れば非常にフットワークが軽くなります。

なので普段は腰の思い方が急に思い立ってどこかに旅に出たり、急に離婚したり、あっという間に転職したりもします。

だから、怖れが強い人がそのエネルギーを解放すると途端にエネルギッシュにパワフルにバイタリティ溢れる行動をとります。

みなさんの周りにもめちゃくちゃバイタリティに溢れてるんですけど、実はすごく怖がりな人っていると思うんです(特にオーナー社長とかに多いはず)。

要するに自らが持つエネルギーの強さを怖れているんですね。
だから、怖れが強い人と言うのは実は自分自身を怖れているとも言えるんです。

そして、そうした怖れの強さから何かと後悔しやすかったり、でも、そこで惨めさは感じたくないから自己正当化に走っていたりするものです。

また、周りの人を繊細に見ていますからそこで比較競争の罠にハマりやすかったり、逆に比較競争に疲れて周りをシャットダウンして実質的引きこもり状態(心を開けない状態)になったり、秘密主義になったりするものです。

だから、人との間に壁を感じており、ゆえに孤独感も実は強いものです。

さて、そもそも怖れというのは誰の中にもあり、それが非常に強く出てくるといわゆる「不安神経症」などの病名が付く状態になったりします。

けれど、そもそも内側にはたいへん熱く燃える情熱の炎が盛っているので、ふつうの人なら病気になる程度の怖れもある程度は受け止められてしまいます。

なので、こういうタイプは一見クールだったり、知性的だったり、理論的だったり、大人しそうに見えたり、表情があまりなかったり、淡々としていたりする人も多いです。

なので、今日の記事を読んで「わぉ!私のことだー!!これ、私!私!」と目を輝かせて反応し、「刺さるわー!痛いわー!くそー!その通りだから何も言えん!今度会ったら根本さん、●す!!」とむずむずするタイプは、まだ情熱が外に漏れ出ているんです。

それよりも静かに「あっ。痛い」と感じ、「これ、私のことかな?違うよね?でも、私のことだよね?」と思って、生霊を飛ばす、呪いの儀式を執り行う、御恨み帳に「根本、●ね!」と書き込むなどの行動に出るものです。

まあ、要するにちょくちょく私の話に出てきます「フェラーリのエンジンを軽自動車に乗っけて走ってる」という状態になっていることも多く、そんな車の運転って怖いよねえ、という話ですね。

フェラーリのエンジンを持っているのに、無価値感が強くて自分は軽自動車だと思い込んでいたり、罪悪感に支配されて軽自動車の車体を載せる罰ゲームをしていたりするんです。

さて、この怖れが強い人の中も様々なパターンがあるわけですが、その一つに「姫」があります。

分かりやすく言えば、幼少期よりお嬢様として育てられ、家族関係的にはともかく、少なくても外側から見れば「何不自由なく育った」ように見える人が多いものです。

つまり「何かに守られてきた」という姫な環境が実は怖れを強くしてしまうのです。

私の読者の中には当然、「自分の身は自分で守る」「自分以外はすべて敵」「人を見たら泥棒と思え」などの虎の穴で育った筋金入りの武闘派女子も多く、そういう方は幼少期に数々の怖れ(親の暴力、経済的不安、両親の不仲による怖れ・不安、周りの人間関係における恐怖心等々)を“自らの力で”なんとかしなきゃいけない方がいらっしゃいまして、彼女たちは一見お嬢に見えて、中身は武士または傭兵であることも多いものです。

そんな姫というよりは鬼のような奴らに今日の話はあんまり刺さらないはずなので、「ふーん。あたしとは関係ねえ世界だな」と思われた方は、あなたの周りの人を理解する目的で読み進めてもらえると良いかと思います。

ちなみに、現代においては総じて親が優しく、比較的安定かつ安全な社会の中で、安定的な家族関係を築いている家も多いので、「怖れの強い人」は今後ますます増えていくんじゃないかと思います。

さて、そんな怖れが強い人は家族だったり、誰かに守られてきた人生なので、それはそれで幸せなのですが、心の内にどうしてもその「守ってもらいたい」という“依存心”が強く残るものです。

おそらく、このタイプの人は「依存心」をめちゃくちゃ嫌っており、そう言われるだけでうんざりした気分になると思うんですが、ここですごくイヤな気分がした人は・・・分かりますよね?笑

「なんであたしが自立しなきゃいけないのですか?」という疑問を常に持ち歩き、「誰か、私を守ってくれる人はいないかしら?」という目で異性を見ており、どこかに「誰かに何とかしてほしい」「誰かが何とかしてくれるはず」という依存心があるんです。

この内側に強く残る依存心があるがゆえに「てめぇのことはてめぇで何とかするしかねえ」という思いが出て来なくなるので、怖れがますます強くなってしまうのです。

だから、元々怖れが強かった人が子どもを産み、育てていくうちに克服されている人も多いですし、流されて夫や父親の事業を引き継がねばならなくなった時点で克服せざるを得なくなった人もいます。

でもあくまでそれは外部的要因なので、子育てをしていてもどこかにその依存心を持ちながらだと怖れの強さはあまり軽減されないものでもあります。

つまり、怖れが強い人はそれなりに自立的に生きているものの、内側に強い依存心を持ち、そもそもセクシャリティが強いもので、怖れもまた強くなるんですね。

だから、外側から見れば全くそんな様子は見せないのですが、実のところ怖れに支配されていて、こっそりカウンセリングに通われる方も多いんです。

で、某N氏に「あんたはセクシャリティが強いからそのエネルギーとつながって解放していけばいいっすよ」と軽く言われて殺意を覚えたりするものです。

でも、N氏がそんな態度だからか、元々怖れが強くて変化も怖れるからか、カウンセリングもあまり長続きしないか、自分でそれすらもコントロールしようとしたりするかの傾向も見えます。

つまり、カウンセリングの効果が表れていよいよ変化のときを迎えると、怖れに敏感なゆえにカウンセリングから距離を置くわけですし、あるいは、自分がその怖れと向き合わずに済むペースでカウンセリングを利用したり(=コントロール)するんですね。

だから、「自分なりに考えてみます」「自分で何とかしてみようと思います」「あとでじっくり考えようと思います」などの発言がまた増えていきます。

なので、こういう話を赤裸々に書いてしまうと、「あ、これ、私のことを言ってる」と思われた方は「こいつのカウンセリングだけは受けねぇ」と固く決心してしまうかもしれないのですけど。。。

そうすると我が家の家計に多少なりとも影響を与えてしまってヤバいので、そういう方々がどうしていけばいいのかをかいつまんでお話してお茶を濁してみようと思います。はい。

カウンセリングであれば、まずは自分のエネルギーを解放していきましょう!という方向で話を進めていくことが多いです。

対面なら特にそれを「実感」するためにどんどん自分を開く、解放するって方向に進めていきます。

だから、あんまり心理分析的なことはせずに実践的なワークを心身からアプローチしていきます。

ただ、本質に目を向けようと思えば、その根っこに強く残る依存心を断ち切る必要がありまして、これを私の言葉では「根切り」と読んでます。

ただ、この依存心を切るんですから、自立的なアプローチが必要で、ちょっとここは頑張って乗り越えていただく課題が必要になります。

だから、ちょっと過酷に感じられるチャレンジをしていただくこともあります。

「お母さんとは連絡を取らない」とか「毎日感謝の手紙を書き続ける」とか「筋トレを日々こなす」とか「1日1回オナニーすることを習慣づける」とか「月商○○円を3か月以内に達成する」とか「自分がリーダーになる機会を作る」とか、人それぞれですが。

そうして依存を切って「自分のことは自分で何とかするしかない」という境地に一度立っていただくことを目標とします。

依存心に対しては「頑張って自立する」ということが目的なので、ちょっとしんどいかもしれませんが、ただ、この場合、その先のヴィジョンがはっきりしている(パートナーシップ、ライフワーク)ので、頑張る意味・意義は感じられると思います。

「お母さんとの癒着を切って自立して、自由な自分を取り戻すために」連絡を取らないようにするのです。

そして、あれこれそのモチベーションを作りながら依存心を切り離していきます。

だから、いきなりそんな過酷な課題に取り組むのは難しく、ヴィジョンをちゃんと描いていく必要があるわけですね。

エネルギーを解放しつつヴィジョンを描き、ライフワークを見つけたのち、そこに向けて必要な依存心を切っていく、というイメージでしょうか。

そういうわけでこのテーマはけっこう長丁場になることが多いのですが、元々がエネルギッシュで情熱の女なわけですから、一度火がついてしまえば案外あっさり克服できたりします。

ほんまはフェラーリなのに、自分は軽自動車だと思っている誤解が解ければ早いですね。

そうすると真っ先に「自由」を感じられるようになります。(つまり、依存心というのは自由を思い切り束縛するものなのです。)

「自由」を感じられるので「視野」が広くなり、「視座」も高くなります。
可能性を自分に感じられるようになるし、出来ることがたくさん見えてきます。
もちろん、ヤリたいことや好きなものにかける情熱もどんどん湧き出てきます。

ちなみに、その頃に出てくる決定的な効果は「若返り」です。笑

そして、自分で自分のエネルギーを怖れることがなくなるので「与える」ということが喜びになり、どんどん人に与えたくなっていきます。
人の喜びが自分の喜びとなり、リーダーシップを取れるようにもなっていきます。

だから「与える」という段階に入るとこの問題はもう解決したも同然です。

そもそもがエネルギーが強く、それゆえ依存心も強く、怖れが強くなっていたわけですから、そのエネルギーを怖れなくなれば、自由が手に入り、好きな人生を創造していくことが可能になるんです。

逆に言えば、それだけの可能性を秘めているからこそ、それにブレーキをかけるべく怖れが強くなっていると言えるのです。

ということで、ひそかに今日の記事を「あたしのことだ・・・」と読まれた方、そんなあなたの次のステップは「さて、どうする?その怖れを克服する?それとももうしばらくそこにいる?」かの選択になりますね。


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 『恐れが強い、怖がりな人の心の中にある依存心について
 


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