自己評価と他者評価がすれ違う理由とその対策。



「自分は自分のことを○○だと思っているのに、周りは自分を△△だと思ってる」
そんな経験ありますよね?
そんな自己評価と他者評価がすれ違うシーンってよくありますので、その理由と対策について考えてみました。

根本先生、いつもありがとうございます。

女性性の解放について質問です。
離婚直後、セフレ沼にドボン中の30代半ばの隠れ武闘派女子です。

再びシングルになってしまった為、いい男をひっかけるべく、自分いじめを卒業して、女性性の解放やら外見磨きにも力を入れたい今日この頃です。

とはいいつつ、結婚していた時から、職場の一部の男女から、不倫しそう、やら、男好き、みたいな事を言われていた事があり、周りからそう思われる事に抵抗と悲しさがあります。
全てが悪意があるものではなかったと思うのですが、フラットにみても近い印象があるというのもまた切ないところです。。
特に職場で狙っていた人がいた訳でもないのに、、

男が好きか嫌いかと言われたら、そりゃ好きですが、得意ではないし、だからこそ外見を磨きたいし、どちらかと言うと正統派?清純系の見た目なハズなんですけど、、。
(ちなみに離婚はしたけど、不倫はしていませんw)

自分が1番内面を認められていないからこんな事に悩むのでしょうか?

よければこんな私にアドバイスをいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
(Yさん)

自分としては「清純派・正統派」のつもりでも、周りからは「不倫しそう・男好きそう」とか言われたら、そりゃあ、事務所の戦略はどうなってんだ!とマネージャーを呼び出して説教したくなりますよねー。

でも、なんでそんな風に言われちゃうんでしょうね?

火のないところに煙は立たない、と言われますが、、、でも、SNS全盛の現代は「火のないところにも煙が立つ」そうなので、何とも言えないですけど。

「不倫してそう」とか「男好きそう」とか言われるとイヤな気分になるんですよね?
なんでイヤな気分になるんだと思います?

不倫してる女子ってダメだと思う?
男好きな女子って気持ち悪いと思う?

それよりも「周りから誤解されていること」に対して反発を覚えますか?
「あたし、そんなんやないねーん!!」って。

あるいは「なんか期待に応えなきゃいけない気がする」とかありますか?

Yさんと同様に「不倫してそう」「男好きぽい」とよく言われるある女子は「うん。よく言われるのよね。全然そんなことないのにね。でも、それだけ色っぽいとかいい女ってことってことだよね?」とサラッとポジティブに解釈されておりました。

どう解釈するか?ってのは重要で、そこにYさんのキャラが存分に出てるんだと思います。

例えば、Yさんが「ちゃんと自分を理解してほしい」と強く思う人であれば、他人から誤解されることは許せません。「違うのにー!」と主張したくなるものです。

あるいは、Yさんが潔癖なタイプであれば「不倫しそうとか男好きとかめっちゃ遊んでるっていうか、淫乱なイメージですよね?そんなん嫌だ!」と思うかもしれません。

また、正しさを主張するのであれば誤解は許せませんし、人の期待に応えてきたなら「え?不倫とか興味ないのにー。」とガッカリするでしょう。

なぜ、イヤなんだろう?ということを思い浮かべてみると、自分のことをまた深く知ることができてまた成長できますね。

自己評価と人からの評価(他者評価)が思い切りすれ違うってこと、Yさんに限らずちょくちょくお話を伺います。

Yさんと全く同じことを主張される方も実はいっぱいいるんですよー。

他にも「彼氏、全然いないのに『男には不自由しなさそう』て言われるのムカつく!」とか「全然お嬢様じゃないのに『○○ちゃんはお嬢だもんね』ってどこに行っても言われるのは辛い」とか「仕事全然できないのにバリキャリ扱いされるんです」とか「あたし、全然武闘派じゃないのに根本さんからは『超絶バリバリの武闘派』と紹介されて殺意を覚えるの(はあと)」などという声をよくお聞きします。

なぜなんでしょう?

実はいろんな見方ができるので一概には言えないのですが、よくあるケースを紹介してみたいと思います。

●自己評価は間違えやすい?

いきなり否定的な表現をしてしまいましたが、でも大事な法則。
自己評価って間違えてることが多いんですよね、という話。

私たちって自分のことは自分が一番分かってるように思ってますが、実は自分のことが一番分からないんです。

鏡に映る自分って左右対称でしょう?だから、ほんとの自分じゃないですよね。
しかも、私たちは自分の頭とか背中とかって一生自分の目で見ることができません。

心もそれと似ていて私たちは自分のことを分かっているようで分かっていないものです。

ある例をご紹介しましょう。

東京・世田谷区のとある高級住宅街で育った武闘派女子のクライアントさんです。
ええ、そんなハイソな地域にもそんなバリバリの武闘派は生息しているのですね。

彼女曰く「ふつうのサラリーマン家庭」で、「周りはガチのお金持ちがたくさん住んでいる」とのことです。
そして、中学からは「お嬢様学校」と呼ばれる一貫校に進みました。
そこでもガチなお嬢様がたくさんいて「私とは全然違う」という思いを抱くようになりました。

ところが彼女は大学に進学して以降、周りから「お嬢様」と言われることが増えました。
彼女はそのたびに「あたしは違うのー!周りはそういう人いるけど、あたしは違うの―!」と主張されてきたわけです。

ちなみに彼女に「そのエリアってけっこう固定資産税も高そうだけどお父さん何してるの?」というと「サラリーマンです」とのことですが、会社名や役職まで突っ込んで聞いてみると「それって“ふつうの”とは言わないかもねー」という名前が出てきました。

で、彼女が間違ってるわけではないんです。
彼女が「あたしは絶対お嬢じゃない!」と思う気持ちも分かりますね。

だって彼女は「学校まで大きな車で送り迎えされている同級生」や「テニスができるんじゃね?というくらい広いリビングで生活している同級生」を知ってるからですね。

けれど、そのとき彼女が見落としているのは「一般的な視点」です。

彼女が生きてきた社会の中では確かにお嬢ではないと思いますが、一般社会から見ればお嬢に見えてしまうのです。

似た例はたくさんあります。

「僕なんてほんと頭悪いんですよ。勉強もできないし」とおっしゃる東大出身者。

「あたしなんてほんとブスで。全然美人じゃないです」とおっしゃるモデルさん。

自分がいる世界で周りの人と比較すれば確かにそうかもしれないけれど、社会一般で見れば全然そうじゃねーよ!という話です。

つまり、自己評価ってあくまで自分がかかわりを持つコミュニティにおいて言えることで、ときにそれが狭い小社会となって一般社会と分離してしまうことがよくあります。

これをYさんの話に当てはめれば、自分は全然そんなつもりはないんだけど、ふだん接している友達とか、今まで付き合ってきた男たちとか、自分の男女関係に対する意識とかが、社会一般からズレてしまっているかもしれない、ということです。

Yさんの周りの人と比べれば「清純派」だけど、一般的に見たら・・・なのかもしれません。

セフレ沼にドボン中らしいので、やっぱりそういう雰囲気は出るんじゃないのかなあ?と思うんですけどどうでしょうね。

●自分がこうありたいという姿が強すぎる?

「思い込みが強い」タイプの人はよくこの罠に引っ掛かります。

「自分ってのは誰がなんと言おうが清純派なの!!聖子ちゃんなの!!!年がバレるけど!!!」という激しい主張をされる方がいます。

自分がこうあるべき。
自分はこうありたい。

という理想が明確なのはいいんですが、そうであることを思い込んでしまっていると、当然ながら周りの人とズレが生じます。

北新地を歩いていて黒服のお兄さんから「出勤、ご苦労様です!」と声をかけられる女子が「清純派」を名乗るのはちょっと無理がありますよね。

でも、「自分は高級ラウンジでパンツ見せながらホステスやってるけど、ほんとは清純派なんだ!!」と思い込んでいるのです。

ちょっとこれはさすがに極端な例なのですが、Yさんにとっては「清純派」であることにこだわりが強すぎたり、その思い込みが強かったりすると、周りの人の評価にショックを受けることが多いでしょう。

そのときも「周りの人は全然自分を理解してない。分かってくれない。」と思うので、なかなかその誤解に気づけません。

むしろそういう風に思う方こそ、このケースに当てはまるのかもしれません。

なのでほんとうのところは「清純派を演じるホステスさん」が落としどころになるのかな?例えば、ですけれど。

だから、時には周りの人の声を聴くことが大切です。

「我が強い」とか言われたことありませんか?

そこで正しさで競争するんじゃなくて、ひとつの見方として周りの声に耳を傾けることも大切かと思います。

●他者評価はそんなに真剣じゃない?

さて、これは法則というよりも知っておかなきゃいけない話なんですけど、Yさんを「不倫してそう、男好きそう」と評した方々は言うほどYさんに強い興味を持っているわけではありません。

少なくてもYさんが自分に興味を持つほどには彼らはYさんに興味がないのです。

当たり前のことですけど。
でも、忘れがちな大切なこと。

だから、客観的に見てテキトーなことを言います。

「他者評価なんてある種いい加減なもんでね、みんなその発言に責任なんか全然持たないのよ。けど、言われた方はそこで傷ついたりするから理不尽なことなんですよ」

そんな話をすることも多いです。

だから、彼らがそういう風にYさんを評したとしても、それはけっこう軽い気持ちで、深い意味はないと思います。

ただ単にそう思ったから言っただけ、ということ。

だから、真剣に「そうじゃないです!全然違います!なんでそう思うんですか?悔しいです。悲しいです。」なんて反発すると彼らはもれなくドン引きされるだろうと思います。

「ごめん。そういうつもりじゃなかった。軽い気持ちで言ってしまった。すまない」て反応を示すだろうと思います。

だから、無責任なそんな発言は「ふーん、その人にはそう見えるのねー」とか「それってイジってるってことなんかなー。あたしをイジるとはええ根性しとるなー」とか客観的に受け止めておくのがお勧めなのです。

つまり、真に受けるなよ!ってことです。

●で、結局どうすればいいのよ!

で、自己評価は間違ってるし、他者評価も怪しいし、ってことになると何がほんとうなのよ!どうすりゃいいのよ!って思われるかもしれません。

そこで大事なのは「どっちかが正しい」わけではないということを知ることです。

自分は清純派だと思っているし、それでいいんです。
でも、周りの人たちはそういう風に思ってるんですが、それもまたいいんです。

「ふーん、そういう風に見えるのね。なんか違うよねー」という風に“双方を”受け入れることがお勧めです。

何が正しいのかではなく、そういう見方があるんだ、ということを受け入れるのです。

特に、多くの人から「男好きそう」とか言われるのであれば、「確かにそういう風に見えることがある」ってことは間違いないです。

ただ、それって「そういう風に見える」だけであって「そうだ」というわけではありません。
「不倫してそう」って見えるだけで、「不倫してる」というわけではないんです。

もちろん、それで変な噂を流されてイヤな思いをするのは避けたいですが、けど、それもまた自分には関係ないところなのですよね。

というか、自分にはどうすることもできないんですよね。

自分は「ふつうだ」と思っているのに、周りからは「お嬢様だ」と言われるときに、相手の思いをひとつひとつ変えていこうとするのってめちゃくちゃエネルギー使うじゃないですか。
その割に得られるメリットってあまりないですし、今後出会う人みんなにそれを主張していくのもしんどいでしょ?

だから「そういう風に見られるのよねー」と受け入れてしまった方がずっと楽だし、もっと大事なことにエネルギーを振り分けることができます。

戦わないことです。
正しさの争いをしないことです。

そのためにも次のルールを適用するといいと思います。

●すべては良きことかな、という受け取り方をする

さっき「解釈」の話をしましたが、要するに全部「良い方向に解釈する」「自分がうれしい解釈をする」「自分が幸せな受け取り方をする」ことをお勧めしたいと思います。

Yさんの場合は「それだけあたしっていい女ってことよねー。色っぽいし、セクシーで、魅力的で、男が放っておかないからそういう風に思われるのねー。ぐふふふふ」とよだれが出るほど思い込んでおけばよいと思います。

こうしたポジティブな受け取り方、解釈の仕方ってのは頭を少しアホにしないとできないこともありますが、そのアホになった分だけ楽しくなるので、なおさら良いのです。

だから「すべては良きことかな」という視点で周りからの評価を解釈すると良いと思います。

それができたらけっこう楽になるし、むしろ誉め言葉に聞こえてきますから不思議ですよねー。

ということで、長くなってしまいましたが参考にしていただければ幸いです。


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自己評価と他者評価のすれ違いはなぜ生まれる?
 


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