「ほど良い」と現状を受け入れることで自分にもっと素直になれる。



最近よく「それが今の自分にとってはほど良いんだよ」という話をあちこちしているのですが、それはあくまで「現状肯定」「自己肯定」のための解釈で、結果論なんです。
だから、初めから「ほど良い」を目指していくと、チャレンジしたいことからも逃げてしまうことになります。そこで大事なことは「自分の本音」なんです。

自分軸を確立すべく、人間関係に距離を置いてるので根本さんのたくさんの発信にとても支えられています。
さみしくなったら聴いたり読んだり、さみしさが緩和されるだけでなく、自分軸への強力なアシストになるのでこの上ないです!
有難うございます。

先日の「不満があってもそれが丁度良いのかもね」あいたた…と耳痛かった(特に前に出る恐怖とか)ですが日を追うごとに腹に落ちてきて「確かに…受け入れるとなんか楽になる」と思いました。
そして新たな疑問符というか、これってどうなの?というのが出てきまして、色々過去記事など読み返して頂きながら考えていました。

「ほんとは何がしたいの?」「ほんとの自分が好きなもの」「自分を大切にする」などなどの自分軸へのマスト問いかけがありますよね。

それらに日々お世話になって問いかけているのですが、上記の「丁度良い」の納得感と合わせると…
例えばですね、ほんとの私が喜びそうな上質な深煎り珈琲と燻銀のマスターの美しい佇まいより、フラッと入れる近所のチェーン店の淡白なコーヒーとマニュアル対応の距離感が「丁度良くて」「満たされる」のかな…?と。

ほんとの私、自分を大事にする、の基準で選択してたらいつも満足できた近所のコーヒー店など足が向かわなくなって、でも思いきって高いコーヒー店入ったらなんかモゾモゾして楽しめなくて…。

また人間関係も素敵な人とご縁あっても(恋愛限らず)遠くで見てるのが今の私には心地よい…ならお誘いお断りしても、それで良しなのかな?などなど。

このモゾモゾザワザワのハードルを少しずつでも越えて行かないといつまで経っても「いつものダメな自分のぬるま湯」から抜けだせないのかな?

それとも今の自分に「丁度良い」「満たし方」をすることが無理なく自愛になって結果として、私で言えば「前に出る恐怖」などにも向き合っていけるのかな?と。

「どちらでもお好きな席で。以上ごゆっくり」と他人軸にさせないちょいSなダンディマスターの根本先生が浮かびながらも深煎り根本ブランド一杯お願いしまっす。
(Kさん)

いいネタをありがとうございますー。この「ちょうど良い」とか「ほど良い」ってのはとても曖昧かつテキトーな話なので、「これはどうなの?こういうケースはどう?え?え?え?わけわからん!」と混乱されることもあろうかと思います。

ってことで、今朝はグァテマラを淹れてまいりましたので、そいつを片手にお話を進めていこうかと思います。BGMは坂本龍一氏で。明るい外の光を視線の隅に感じつつ。

どうでもいい話ですが、私はコーヒー専門店でもバーでも料理店でも「いつも隅っこにいる常連」の席を狙うタイプで、マメだけどガサツで落ち着きのない私はカウンターの内側の世界は怖くて入れません。(ほら、グラス割る、とか、話に夢中になって抽出しすぎる、とか、嫌な客を追い出しちゃう、とか、常に動き回ってるからお客さんが落ち着かない、とかするから)

で、何の話でしたっけ?笑

そうそう「ほど良い」「ちょうど良い」って話でしたねー。(すぐ忘れる)

Kさんの話はいくつかのテーマが重なり合っているので、その辺をひとつひとつほぐしながら話をしていきましょう。

ちなみにKさんの耳に噛み付いた記事はコチラです。

「現状に不満があっても心の中では、それが「ほど良い」状態なのかもしれない。~「今」を肯定して問題の本質に迫る方法~」

ここで言う「ほど良い」っていうのは、あくまで「現状」であり「結果」についての提案なんですよね。

あれこれ不満があったり、退屈してたり、ムカついていたり、このままじゃダメだと思っていたり、寂しかったり、つまんなかったりする状況にあったとしても「案外、それが今の自分にとってほど良いんじゃね?」という話です。(かなりざっくりした話です)

だから、最初から「ほど良い」を狙っているのではなく、あれこれ頑張ってみたんだけどうまく行かないってことは、案外今の状態が「ほど良い」と思っているのかもよ、という解釈をお勧めしているのです。

つまり、これは「自己肯定感」であり、「現状を受け入れる」なんです。

昨日の話にもつながりますが「今手に入れているものが自分が望んでいるものであり、手に入れていないものは望んでいないもの」という心理的な前提があります。

「男が欲しいのになんでできないの?どこにいるの?ねえ!どこにいるの!?早く出して!」と鼻息荒くしていても、今、男が手に入っていないってことはそれを望んでいるんじゃねーの?というわけです。(それが昨日の話ですね

「起きていることはすべて正しい」のであり、「すべての問題は自作自演」である、という考え方があって、それを理解し、受け入れるために「今がほど良いってことだよね」という現状肯定・自己肯定的解釈なんですね。

その上でKさんの心の叫びにお答えしていきたいと思います。つまり、今から揚げ足取りをするってぇことですわ。

>例えばですね、ほんとの私が喜びそうな上質な深煎り珈琲と燻銀のマスターの美しい佇まいより、フラッと入れる近所のチェーン店の淡白なコーヒーとマニュアル対応の距離感が「丁度良くて」「満たされる」のかな…?と。

どっちもアリでいいんじゃないかと思いますけどねー。
あるときは専門店でダンディで無口なマスターが淹れてくれる深煎りの濃厚な味に「ふむふむ」と唸ってもいいし、あるときはドトールの狭いカウンターで200円でたっぷり飲めるライトなコーヒーを味わってもいいし。(個人的に私はチェーン店ではドトール派です)

ある時は専門店が「ちょうど良く」、またあるときはチェーン店に「満たされる」という風に。

>ほんとの私、自分を大事にする、の基準で選択してたらいつも満足できた近所のコーヒー店など足が向かわなくなって、でも思いきって高いコーヒー店入ったらなんかモゾモゾして楽しめなくて…。

で、ここがポイントなんですけれど、すごく大事なところなんですけれど、「自分を大事にする」ということで高いコーヒー専門店がいいと思ったなら、それがたぶん正解なんですよね。

ただ、Kさん、「自分を大事にする」ってことに慣れてましたっけ?
もしかして、若葉マーク付きですか?

「自分を大事にする」=「高いコーヒー店」という思いがあって、勇気を出して扉を開けたとしたら、最初は落ち着かないですよね。
だって、「慣れない」から。

「自分を大事にする」ということ自体、初心者だったら「モゾモゾして居心地悪い」もんです。

でも、そのコーヒーの味、雰囲気、マスターの人柄、店の調度品、カップ、お水の味、他のお客さんの雰囲気、BGMなどはいかがでしたか?モゾモゾしたけど居心地よかったですか?ぶっちゃけ、その店は「好き」でしたか?

それが自分に合ってるのかどうか?
つまり、この空間に自分をまた連れてきてあげたいか?ということです。
「慣れなくてモゾモゾしちゃったけど、こういう店に似合う自分になりたいなあ」とか「何度か通ってマスターに顔とか覚えてもらいたいなあ」とか思ったなら、きっとその店はKさんに合ってるんです。慣れてないだけで。

もしかすると「高いコーヒーの店」が合わないんじゃなくて、「そのお店」が自分に合わなかった可能性もあります。

例えば、私はバーホッパーなので神楽坂だけでも30店ほどバーを巡ってるんですけど、当然そこでは合う/合わないってのがありまして、「ここいい雰囲気だけど、なんか合わないなあ」とか「ここの店主、なんかナマイキだけど好きだなあ」とか「好み」が出るんです。

また、「自分を大事にする=たっかいコーヒーを豪快にがぶ飲みする」という仮説をKさんは立てられたわけですが、実際行ってみたら「違ったわー。落ち着かんかったわー。これならドトールの方がいいわー」と感じたなら、きっとその仮説は正しくなかったという判断もできます。(繰り返しますが、私はドトール派です)

そこは「自分の素直な気持ちに正直になろうぜ!」って話になるんですね。

>また人間関係も素敵な人とご縁あっても(恋愛限らず)遠くで見てるのが今の私には心地よい…ならお誘いお断りしても、それで良しなのかな?などなど。

「どっちでもいいっすよー!」って根本先生はたぶん答えられるのだろうと思いますけれど、そこもやっぱり「素直な気持ち」ってのが大事でして。

素敵な人と出会ったって聞いたとき、根本先生はたぶん「ぶっちゃけその人とどうなりたいと思った?」って聞くと思います。

「遠くで見てるだけで十分」なのか「近づきたい」のか「正直、一発ヤリてぇ」と思ったのか。

「ちょうど良い」とか「ほど良い」ってのは結果論なので、「素敵な人と知り合ったんですけど、ちょっと勇気が出なくて近づけなくて。それで疎遠になってしまったんです」って話を聞いたなら、根本先生はたぶん「そういう風にするのが今のあなたにとってちょうど良かったんでしょうね」と答えると思います。

で、Kさんがその素敵な人とご縁があったときに「近づきたいんだけど、なんか勇気が出なくてー」とおっしゃったなら、「どうしたい?近づけるようになりたい?」って本音を根本先生はたぶん聞くでしょう。

それで「近づきたいっす!!」ってことなら、どうしたら近づけるようになるかを一緒に考えていきましょう。

で、Kさんの話、再び。

>このモゾモゾザワザワのハードルを少しずつでも越えて行かないといつまで経っても「いつものダメな自分のぬるま湯」から抜けだせないのかな?

「・・・としたらどうしたいですかー?抜け出したい?乗り越えたい?
乗り越えなきゃいけないって考えるんじゃなくて、乗り越えたいのか?そうじゃないのか、どっちだと思う?」

「でも、そもそもそこってぬるま湯なん?よく武闘派な女子はそうおっしゃるんだけど、実際入って見たら“温泉津温泉か!”ってくらいめちゃくちゃ熱かったりするんだけど・・・」

てなことを根本先生はたぶんお話しすると思います。

>それとも今の自分に「丁度良い」「満たし方」をすることが無理なく自愛になって結果として、私で言えば「前に出る恐怖」などにも向き合っていけるのかな?と。

それが今の自分にとってちょうどいいんだよね~と思うのであれば、それが自分を愛することになりますし、無理なく自然体でいられると思うんです。
だから、それも全然OKっすね。

ただ、その一方で「それって逃げてるだけでは?」とか「もう少し頑張って成長してみたい」とか「そんな自分を変えたい」とか何か思うところがあるのであれば、少し気合を入れてみてもいいかもしれません。

でも、結局のところ「前に出る恐怖」ってのが引っ掛かってるんですよね。
その恐怖と向き合いたいのか、でも、今の自分をもっと愛することがしたいのか、どっちなのかなあ、と。(もちろん、その両者はどこかで出会うのだけど)

ってことで、たぶん、ここからは「前に出る恐怖ってどんなもんなん?どこでそれを感じるの?いつからあるの?」などと質問攻めにしていきたいと思うのです。

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「ほど良い」と現状を受け入れることで自分にもっと素直になれる
 


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