私たちは問題が起きたときだけ自分に注目するので「私は何も変わっていない」と思いがちなのです。



そもそも私たちは何も問題がないときは「ふつう」だと思っています。でも、それが自己肯定感が高い状態だったり、自分のことが好きな状態だったりするのです。
しかし、ひとたび「不快」な感情が起こると私たちはそこに意識を向けます。そうすると、自分は何も変わってない、ずっと自己嫌悪が強いまま、と感じてしまうのです。

こんばんは。
かれこれ勝手にもう8年ぐらいお世話になっています。
不倫や夫婦仲や子育てなど、辛い時にいつもふわっとした光を見せてくれて、何度も何度も救われました。
昔に比べたらずいぶんと自分を好きになれたし、大人になったと思うのですが、やっぱり時折自分を責める事象に出くわし、こうなれたらいいな、と思うのに、結局なれない自分に疲れてきました。
8年前と本質は変わらなくて、この負のグルグルが死ぬまで続くかもしれないと思うと辛すぎていたたまれなくなります。
自分を本当に好きになるって難しいですね。
もっと気楽に穏やかに深く考え過ぎないで毎日に感謝なんかして、素敵に生きていきたいけど、結局変わらない自分に疲れて、変わる努力もだんだん出来なくなってきました。
そうすると、どうしようもないのに、自分の生い立ちのせいにしたくなるし、でもそれって他責じゃんって、また自分を責めるの繰り返し。
結局自分の心根次第てわかっているけど、それがまた辛いのです。
根本さん、聞き飽きたんだと思いますが、他に言える人もいないので、許してください。
私の未来に素敵な自分はいるのでしょうか。
(Yさん)

例えば、8年前とは言わず、4年前のYさんはこのセリフを言えたでしょうか?

>根本さん、聞き飽きたんだと思いますが、他に言える人もいないので、許してください。

こういう声をお聞きすると「お前も偉なったのぉ」とほほ笑むのが私の趣味でございまして、でも、なかなかそういうのって自分では気付けないものでしょう?

自己肯定感をあげる方法としてお勧めしているものに

「3か月前、半年前、1年前の自分と比べて成長したところを定期的に探す」

というものがあります。私の自己肯定関係のワークショップを受講された方は皆さん、そんな課題を出されたと思います。(それ、続けてますよね?みなさん?ねえ?続けてますよね???)

自分の変化ってなかなか気づかないので、意識的に「どこか変わったところはないか?」という視点で見ないと分からないってことなんですね。

だから、ほとんどの方が自分の変化を感じるのは何か“事件”が起きた時になるんです。

「あれ?彼から返事なかったら前はめちゃくちゃ落ち込んでたのに、今は案外平気だわ」

「え?前は上司から説教されたら1日泣いてたけど、今は復活するの早いな」

「そういえば前はお母さんのことすごく鬱陶しいと思ってたけど、今は一緒にいても大丈夫になったな」

という風にね。

とはいえ、自己肯定感があがるのを“事件”で気付くってのも嫌でしょ?だったら、普段から「どこが変わったのか?」を意識しておくといいんですよね。

Yさんの場合は8年という年月があるので、その間に起きた変化ってめちゃくちゃたくさんあると思うんですよ。
それをひとつずつ数え上げていくことも「自分をますます好きになる方法」だと思います。

さて、Yさんのように元々自分いじめが趣味で、気が付けば自己嫌悪業に精を出しちゃう方々の場合、そうして「意識的に見つけた変化・成長に価値を見出せない」という問題が次に出てきます。

「たしかに1年前の自分と比べたらそりゃあ変わったと思うけど・・・、でも、未だに自己嫌悪しないわけじゃないし、最近周りの人からきれいになった、色っぽくなったって言われるけど、彼氏は全然できないし」てな感じでね。

ほら、今、「いたっ!」「どきっ!」とした人、多いでしょ?そう、お前らの話だよ!(笑)

そう、そこでは「自分が自分に期待する問題」とか「完璧主義の問題」などが出てくるんです。

以前、すごく苦しかったときに期待したんです。

「自分のことを好きになったらもっと楽になれるし、もっと自由になるはず」

「自己肯定感があがったら自己嫌悪して苦しむこともなくなるし、彼氏だってできるに違いない」

ところが、実際、前に比べれば自分のことは好きになれたし、自己肯定感もあがりました。けれど、その当時期待していた成果は出てないのです(正確には「出てないように感じている」ですが)。

そこで「完璧主義」が出てきます。

「自分のことを好きになったら、苦しむことなんてない」

「自己肯定感があがると、自己嫌悪は完璧に消滅する」

この「期待」と「完璧主義」が出てくると、当然ながらみなさん同じセリフを吐くようになります。

「ちょっとはマシになりましたけど、全然変わってません!」

ほら、今、「いたっ!」「どきっ!」とした人、多いでしょ?そう、お前らの話だよ!(笑)(2回目)

つまり「自己肯定感があがる」とか「自分を好きになる」ということに対して革命的変化を期待し過ぎちゃっているのかもしれません。

自己肯定感が高い人も自己嫌悪します。けど、そんな自分を受け入れられます。
「まあ、自己嫌悪くらいしちゃうよね~」って。
だから、そこで自分を苦しめることをやめられます。

つまり、自己嫌悪している時間は、自己肯定感があがるにしたがって減っていくんです。けど、なくなるわけじゃありません。

自分を好きになったからといって、何事もうまくいくわけではありません。
けど、うまくいかなかったときの思いが違っています。
「ま、こういうときもあるよね。次また頑張ろう」と思えます。

自己肯定感がくそ高い人も彼氏に浮気されることもあれば、仕事で失敗して社長から大目玉食らうこともあるし、ジョギング中にウンコを漏らしそうになることもあるのです。

ただ、そのときの心の持ちようが違うだけなんですね。

「へえ、その女の方がいいんだー。あたしはあなたのことが好きだけど、あなたがそっちがいいって言うならいいよ、そっちに行って。あたしはあたしで、また素敵な人と出会えるから。」

「すいません!自分なりに先方に誠意を込めて説明申し上げたつもりなのですが、まだまだ力不足でした!今日から滝行の時間を10分伸ばして更に精進致します!」

「昨日、食物繊維たっぷりの晩飯かっ食らったし、家出る前に踏ん張ってこなかったからしゃなあいよな。やべぇ、やべぇ。漏れるぅ。お!あそこにコンビニがある!!めちゃくちゃラッキーやん。あたし持ってるわー!」

あ、この反応が「正解」だと思わないでくださいね。
あくまで数百万はある反応のうちのたった一つを紹介しているだけですので。
(もしかしたら、自己肯定感が究極に高いツワモノは「野グソ」という禁断の技を平気で繰り出すかもしれません。なんせ、この私だってまだ沖縄の草むらで1回したっきりです。)

つまり、よく勘違いされることなのですが、自己肯定感があがると問題がなくなる、のではなく、問題は起こるけど、そこの向き合い方が変わってくる、という話です。

さて、そうした上で、Yさんにとってはまことに残念なお話をしたいと思います。
というか、今日はこれをお伝えしたかったのですが、ここまでだいぶ文字数をかけてしまいました。
相変わらずしつこく長い前戯ですいません。

「ああ、自分を好きになった!」とか「おお、今、自己肯定感めっちゃ高いな!」と自覚することって、たぶん、よほど意識を向けない限りありません!!

例えば、皆さんの周りに「この人、自分自身のことがめっちゃ好きだよなあ」という人がいると思うので、そういう人にこう聞いてみてください。

「○○さんって自分のこと、めっちゃ好きですよね?」

そうすると彼らは何て答えるでしょう?

「え?自分のこと好きかって??う、うん。まあ、そうだよな。俺、自分のことけっこう好きだよ。でも、なんで?みんな、そうじゃないの?」

と「???」多めで答えられると思います。

Yさん、みなさん、チョコレート好きですか?酒は好きですか?ファッション好きですか?男は・・・大好きですよね?(笑)

好きなものってふだんどれくらい「好きだぁ(はあと)」って意識しているでしょうか?
好きになり始めの頃(ロマンス期と言います)は、はっきり意識できると思いますけど、何年も経った頃には

「好きなことが当たり前すぎて、ふだんは好きだと意識しない」

という状態になると思うんです。当たり前にチョコを食うし、酒を飲むし、服をよく見ているし、男を漁っています。それが「ふつう」になっているのです。

これは私たちの心の仕組みがそうなっているのですが、そもそも私たちはふだんから「不快」なことに意識を向けるようになっていて、「快」のときは「ふつう」と感じて特に意識しないものなんです。

心の防衛本能がそうさせるとも言えますが、自分の心身に危険が迫る「問題」には大きく反応し、それを何とか解決しようとしますが、その「問題」が起きていなければ私たちは「ふつう」に暮らしてしまうのです。

まあ、災害などで今まで当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなったときにその価値に気付くってことってほんとよくあるでしょう?

携帯が繋がらなくなったら私たちは大騒ぎするんですけど、ふつうに繋がっているときは別に何とも思わないんです。

だから、私たちがあれこれワークをするなどして自己肯定感があがっていくと、その状態がふつうになるので、別に「わお!自己肯定感、今日も高値キープだね!いい感じだね!」などとは思わなくて、ふつうに今日一日を過ごすわけです。

ところが、そこに何か問題が起きたり、古傷が疼いたりして、自己嫌悪しちゃったときに思うんです。

「ああ、散々自分を好きになろうと頑張って来たのに、また自己嫌悪しちゃった。全然あたし変わってない」と。

そういうもんなんですよね。つまり、タイトルそのものですが、私たちは問題が起きたときだけ自分に注目するので「私は何も変わっていない」と思いがちなのです。

なので、Yさんに改めてアドバイスするとしたら、

>昔に比べたらずいぶんと自分を好きになれたし、大人になったと思うのですが、やっぱり時折自分を責める事象に出くわし、こうなれたらいいな、と思うのに、結局なれない自分に疲れてきました。

ま、そんなもんだから完璧さを求めようとしない方がいいんじゃね?
自分を責める事象に出くわすのは当たり前だし、こうなれたらいいな、と思う自分の姿はどんどんレベルアップしてるはずだし、ね。

前に比べてそんなにも変わったんだからいいんじゃないの?そんな頑張らなくても。

それに・・・たぶん、バイオリズムとか体調とか季節の変化とか月の満ち欠けとかそういうのの影響受けるから、日によって気分が変わるし、そもそも気分屋でしょ?だから、日によって浮き沈みがあるから「今日は自己嫌悪しやすい日なんだなあ」くらいで受け止めるのがいいと思うよ。

そんな頑張って変わろうとするよりも、変わった自分を褒めたたえてあげたらいいと思うのよね。もちろん、それができる日にやればいいんだけどねー。

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「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

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「私は何も変わってない」と思ってしまう理由。
 
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