なぜ、親は要らんというのにあれこれ宅急便を送ってくるのか?~モノを見るか?気持ちを見るか?~



「宅急便」というモノで見るのか、そこに込められた気持ちを見るのかで現実はどんどん変わってきます。
これは「おばあちゃん家に行くとご飯を死ぬほど食わされる」とか「なんで彼氏はセンスの悪いプレゼントをいつもくれるのか」などの問題にも通じるのです。

根本先生、こんばんは。
いつもメルマガを楽しみに拝見しています。
現在、根本先生の本を読みながら自分と向き合うワークを行っているのですが、躓いています。

それは「親からの宅配便」問題についてです。
実家から離れて暮らす人によくある、「母親が何度要らないといっても、食べきれない量のお米や野菜を送ってくるのをやめない」というあれです。

私の母親もまさにこれです。
昔から母は人の話を聞かない人ではありましたが、彼らは何故こんなことをするのでしょうか?
ちなみに私は「要らない。食べないし、腐らせるから、送ってこないで」と全力で拒絶しています。(そして送ってこられた場合、もういっそ〇してやりたいというほどイライラします)

自分が自分を尊重できていないのかな?というところまでは分かりましたが、自分を尊重しようと思い、ハッキリとNOを伝えている場合もそうなのでしょうか?(言っても聞いていませんが…)

それから、最近依存について勉強したのですが、他人に必要とされたい人は他人の要求に応えた方が自尊心が満たされるのではないのだろうかと思いました。
どちらも嫌な思いをするのに、どうしてこんなことをするのか理由が良く分かりません。
癒しを進めるために、彼女たちが何故こういうことをするのか、原因が知りたいです。
ネットを漁っても、宅配便問題に関しての詳しい説明はなかったので是非先生のご意見を聞かせていただけると嬉しいです。
いつも的確でクスっと笑える返信に気持ちがホッとします。ありがとうございます。
これからも応援しています。
(Mさん)

お、ユニークな角度からのご質問ありがとうございますー!!
確かに「親の宅配便問題」というのはあまり扱うことがないかもしれませんねー。
とはいえ、けっこうサクッと終わっちまいそうなので、何とか水増しする方法を考えながらこの記事を書いている最中でございます(笑)

さて、「なぜこんなことをするのでしょう?」という疑問にぶち当たることってこの問題以外にもよくあると思います。
しかも、こちらははっきりNoを伝えているのにも関わらずー!つい、武闘派女子としては、手元の刀を掴んで「おい、表出ろや!」とやっちまいそうですけど、ヤマトや佐川のお兄さんにそんなことしても意味ないか、相手は遠方だしな、と思いとどまることが多い今日この頃かと思います。

でも、この問題を味わえるのって親が元気で、かつ、親が愛情深いときだけなんですよね。だから、この記事をお読みの皆さんの中には「うちはそんなこと一切してこねーよ」とか「そんなことしてもらいたくても親がいねーんだから」という思いを抱かれてる方もいらっしゃるかと思います。

そういう方は「行きつけの定食屋のおばちゃんがいらんと言うのにいつもご飯を大盛りにしてくれる問題」などに置き換えて見られると良いと思います(そんな経験もないか(笑))。

まあ、ありがた迷惑なんですけど、そこをちょっと深入りしてみようと思うわけです。

多く「なんでそんなことするんだろう?理解できない」というケースにおいて重要なのは、「私は何も知らない」という謙虚なマインドです。

つまり、自分が考えられる範囲の外に答えがある場合、私たちは「なぜそんなことをするのか?」が理解できないし、むしろ「単なる迷惑?いやがらせ?」とすら解釈してしまうことが多いものです。

例えば、沖縄には「カメーカメー攻撃」という言葉があります。
今ではそんな風習もだいぶ少なくなってきましたけど、かつて、おばあちゃん家に遊びに行くと、これでもかー!!と飯を食わされるってことを指し示す言葉です。
沖縄に限らず、日本の田舎、もしくは、実家などでもよく起きてる現象だと思います。(ちなみに私もかつておばあちゃんの家に遊びに行くと、死ぬほどご飯を食べさせられておりました。)

ダイエット中だからいらん!と言っても、おばあちゃんは悲しい顔をするだけで、やはり次も大盛りのご飯を出してきます。

なぜ、おばあちゃんはそんなことをするのでしょう?

それにはちょっと悲しい物語が隠れています。
おばあちゃんがもっと若かった頃、つまり、お母さんだった頃、戦争やら貧乏やらで十分子どもに美味しいものを食べさせてあげることができなかった時代がありました。

私のおばあちゃんも食糧事情からちゃんとおっぱいが出ずに、子どもをちゃんと育てられなかった悲しい経験がありました。

貧しさゆえに自分の子どもに不憫な思いをさせてしまったおばあちゃんはたくさんいると思います。

だから、おばあちゃんにとって「ご飯をたらふく食べさせてあげられること」というのは、他に代えがたい「愛情表現」になるのです。

同じ理由で、いらんと言ってもいい大人にお小遣いをあげようとする祖父母・父母もいます。
同じ理由で、いらんと言っても畑で採れた野菜やら漬物やらを宅急便で送ってくる祖父母・父母もいます。

それは時代背景や彼らの実体験による愛情表現のひとつなのです。

話は急に転じますが、「なぜ、男が贈ってくるプレゼントはセンスが悪いものが多いんだろう?」という問題があります。

「私は小さくてかわいいアクセサリが好きで、彼とデートするときもいつもそんなピアスや指輪をしてるんですけど、こないだ彼が誕生日に買ってきてくれたのはビックリするくらい大粒のピアスで、思わず引いちゃったんですぅ」なんて体験したことありませんか?

「悪気がないのは分かるんですけど、せっかくもらっても身に着けられないし、そもそも似合わないし、何でそんなもの買ってきたんだろう?と思っちゃうんです。」と彼女は言います。

まあ、ごもっともだし、こちらとしては「そうなんよねえ、ほんとセンスないよねえ」と苦笑いするしかないんですけど、それも「親の宅急便問題」と似たような問題でもあるんですよね。

ファッションに詳しくない男子は「自分なりに良かれと思って」彼女のためにピアスを選びます。
そのとき、視覚で愛情を感じる男子は「大きいものはいいもの」とか「派手こそ美徳」とか「大は小を兼ねる」という独自の理論を持ち出して、アクセサリショップで「とにかく目立つもの」を選びやすいわけです。

また、そこに「俺って特別だろ?」という謎の上から目線が入ると「ユニークかつ珍しいもの」に意識が向くので、「こんなピアス、どんな服に合わせろって言うの?もしかして、アフリカの民族衣装でも着せようと思ってるわけ?」というセンスを発揮したりします。

もちろん、好きな彼から頂いたプレゼントですから、そこは女子特有の演技力を駆使して「わあ、ありがとう!きれいー!」ととりあえずその場では身に着けてみたりするんですけど、心の中では「これメルカリで売れるかな?無理だろうなあ」などとそろばんをはじいているわけですよね?

でも、恋愛においては「好きな彼からもらったもの」という喜びはあるので、実際身に着けなくても、自宅の壁に飾った水牛の角にぶら下げてみたり、玄関先の鎧兜に着けてみたりして、何とか活用方法を見出そうとすると思います。

ま、アクセサリですから腐らないですしね。

で、そうした問題で大切なことは「モノではなく、モノに込められた思い」を受け取ることでして、それは親が送ってくる宅急便でも、彼氏がくれたセンスのないピアスでも同じことが言えます。

「これがあいつらにとっての愛情なんだべ」ということがポイントなんですね。

つまり、Mさんの御両親(お母さん?)は「愛情」を贈りたいのであって、「モノ」が重要ではないのです。

で、Mさんがそれを拒否することは、すなわち、お母さんの愛情を拒否することになりますから、とても悲しいですよね?

そして、肝心なのは「お母さんはそうする以外、娘に愛情を示す方法を知らない」ということなのです。

まあ、不器用な方なのかもしれないし、その他の手段で愛情を示す方法を思いつかない、もしくは、断たれてるのかもしれませんが。

ところが、Mさんはそれを愛情ではなく(愛情もあることを察知しているかと思いますが)、「腐るじゃん、いらないものじゃん、あたしの嫌いなものじゃん」として「モノ」をどうするか?という風に受け取るわけです。

そこでコミュニケ―ションにおける「すれ違い」が生じています。

※これを私はセミナーなどでは「アンジャッシュ現象」と呼んでいるのですが、参加者のみなさんはあまりお笑いに興味がないのか、あまりウケないんですけど・・・。知ってます?アンジャッシュってお笑いコンビ・・・。

で、ここからさらに一歩踏み込んで、ちょッとチクッという話をするとですねえ、「Mさんとお母さん、どっちもガンコでしょ?」という話になります。

※似た者同士というと怒られそうなので、ガンコって表現にしてみました(あはっ)。

そこでは「母vs娘」のバトルが展開されているわけです。

「わしの愛情を受けて見んかいー!」と宅急便を送ってくる母。
「そんなもんいらんのじゃー!」とそれを拒否する娘。
「それがわしの愛情なんじゃ!娘なら受け取らんか―い!」という母。
「そんな愛情いらんのじゃー!わしの欲しい愛情を送らんか―い!」という娘。
「この分からずやが!!親の愛情を拒否するとは何事じゃー!」という母。
「そんなん愛情違うわ!迷惑なんじゃ!ボケ!」という娘。

がっぷり四つに組みあって、なかなか見ごたえのある取り組みではないですか!!

ここで嫌でも受け入れた方がよいということは、こうした問題は「お互いの似てるところが衝突してややこしくなっている」という現実でして、母も娘もガンコでお互い引かないものですから、「会話が通じない」「言っても分かってもらえない」「相手の気持ちが分からない」という状態になります。

つまり、お互い自分の意見ばかりをぶつけて相手の気持ちを考えようとしないところにこの問題が生まれるわけですね。

そこでさっきのセンスのない彼氏のプレゼント問題のように「このピアス、床の間の日本刀の脇に置いたら少しは格好がつくか」という応用ができなくなり、自分の主張をいかに相手に認めさせるか、という虚しい状態になってしまうのです。

さて、そんなときどうすればいいのか?

この記事をお母さんに送り付けて改めさせようとするのは効果ないことは明瞭ですよね。

ということで、向き合うべきは自らの頑固さ、もしくは、不器用さ、なのかもしれません。
そんなパターンが起きてるのってお母さんとの関係だけでしょうか?
職場で、友達で、パートナーシップでも起きていないでしょうか?

私がおすすめするのは「お母さん、ありがとう」と受け取っておいて、「お母さんは愛情をものを贈ることで示したい人なんだから、足りない物や欲しいものを贈ってもらえば喜ぶじゃん」という“受け取り上手な私”を目指すことです。

彼氏のプレゼント問題にしても、彼にセンスがないことが分かったら、こちらから「こういうのがほしいな~」と言ってあげればいい、というのと同じですね。

こういうの「受け取り上手」とも言いますし、「愛させ上手」という風にも言えますし、「愛され上手」への道だと思います。

ということで、ちょっとチクッとする箇所もあったかと思いますけど、もし個人セッションを受けられたら「あら、そんなにもお母さんのことが大好きなのね!」とニヤニヤしながら言われたりしますのでご注意くださいね!(笑)

今日の話を無料アプリのvoicyで音声でラジオみたいに聴けます!
 
「コミュニケーションのすれ違い~モノとそこに込められた気持ちと」
https://voicy.jp/channel/962/75528
 

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