私たちは内なる優等生ちゃんの正しい発言によって罪悪感を覚えさせられている



私たちは賢い人ほど、真面目な人ほど、「正しい答え」に惑わされて、「素直な気持ち」を無視しがちです。それで罪悪感覚えて、犠牲しまくって、しんどくなって、イライラしちゃうこと、多くないでしょうか?
やっぱり「もっと自分を愛すること」じゃないかな、と思うんです。

根本さん、こんばんは。

次から次へと悩みは続き、ついに罪悪感本買いました!光のシャワーで浄化されていくイメージワークが気に入りました!
悩んでる暇があるならつべこべ言わずにこのワークやろう!って思いましたが質問させてください。

先日、私が一人暮らしを始めるまで一緒に暮らしていた祖父が亡くなり、そのせいか、祖母の物忘れ?認知症?が悪化し(昼間やった葬式を夜には忘れていた。洗剤の誤飲も経験済み)、家族も、私も精神的にしんどい中にいます。

その中で私は、このまま1人だけアパートで自由に暮らしていていいのだろうか?寂しい。実家に帰りたい。今の仕事はどうしてもやりたくてやってる仕事じゃないし、やめたい。
実家に帰ってお母さんを助けたい。だけど祖母と一緒に暮らすのは正直しんどい。そんな思いが出てきました。
で、友達や鍼の先生、派遣会社の営業さんと話してる中で、私は私で幸せになると決めました。実家へ帰るか、仕事をどうするかは今は決断しないってことに決めました。

ここで問題です。私の幸せって何だろう?って考えたときに、幸せを願うことだと気付きました。愛する人の幸せを願うこと。やっぱり、お母さんを助けたい。お母さんの側にいたいと思います。これって癒着でしょうか?愛でしょうか?

そしてもうひとつ。愛する人の幸せを願うことが私のライフワークでは?と思いました。そのライフワークをお金に変える具体的な方法(職業、仕事)の見つけ方を教えていただけませんか?
(Tさん)

ま、とりあえず、その光のシャワーのワークをやろうってことやね!(笑)
この本の192ページね。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)

さて、Tさんのような葛藤というのは多かれ少なかれ皆さんあるんじゃないかなーと思います。

家がしんどい状況なのに、家族をおいて、自分ひとりでのうのうと暮らしていていいのだろうか?

お母さんが大変なときなのに、自分はあまり実家にも帰らずにこっちにいていいのだろうか?

おばあちゃんのお世話を家族に押し付けて一人暮らしをしていていいのだろうか?

まあ、これって罪悪感なんですよね。

で、しかも、Tさんの中に住む「優等生ちゃん」はこうささやくんです。

「お母さんを助けたいんでしょ?だったら実家に戻っておばあちゃんの世話を手伝ってあげるのがいいんじゃないの?それに寂しいんでしょ?」

この意見はものすごく正しいです。正しいだけに反論しがたいです。しかし、その一方で、

「ええ、でも、それってしんどいし・・・。今は一人暮らしがいいし・・・」

という正直な気持ちがあります。で、これらが葛藤するんです。

この「優等生ちゃん」の意見が正しいと思う分だけ、自分の正直な気持ちを否定する、ということを私たちはよくやります。
そして、そこに罪悪感が生まれます。

すなわち、私たちは「内なる優等生ちゃんの正しい発言によって罪悪感を覚えさせられている」というわけです。

これって、めっちゃよくあることじゃない???

現実的にはそこでどう折り合いをつけるのか?ということになるんですけど、私がお勧めしてるのは「正しさなんて捨てちまいなよ。優等生なんてやめちまいなよ」ということです。

あ、これ、だからってお母さんを見捨てろってことじゃないですからね。

正しさを捨てる、ということです。

言い換えれば、思考を捨てる、ということです。

優等生ちゃんが言う正しさに沿って行動するとどうなるか?

それは犠牲や補償行為というものなので、疲弊します。あまり得るものはありません。むしろ、イライラすることの方が多いと思います。

それも皆さん、よくご存知だと思います。

「頭で考えて、こうした方がいいと判断して、やってみた。けど、なんかめっか疲れたし、お母さんにイライラしちゃったし、やってあげてるんだから感謝してよ!とか思っちゃったし」という風に。

それで「で、どうしたいの?」という本音の気持ちに迫る方がいいと思います。

自分の気持ちに沿って行動する、というわけです。
人の迷惑省みず!ですね。

で、Tさんの哲学的命題です。

>私の幸せって何だろう?って考えたときに、幸せを願うことだと気付きました。愛する人の幸せを願うこと。やっぱり、お母さんを助けたい。お母さんの側にいたいと思います。これって癒着でしょうか?愛でしょうか?

癒着なの?愛なの?って思ったら、こう考えてください。

「どっちもあるんでしょうねえ」

そして、「幸せを願うことが私の幸せ」という気付きはとっても素晴らしいです。
それでお母さんを愛しているから助けたい、その幸せを願いたい、と思うのもステキなことです。

ただ、そこで「私」を忘れてません???

「私の幸せを願う」ということ、忘れてません???

お母さんの幸せを願うこと、も大事だけど、私の幸せを願うこともすごく大事ですよね。

「私を愛する」ということ、ついつい忘れがちです。

これをすっ飛ばしてしまうと、愛からの行動が犠牲に変わりやすくなるんです。

 お母さんのことを愛しているから、お母さんの幸せを願っている。
 だから、お母さんの側にいてお母さんを手伝いたい。

それは素晴らしいことなんだけど、そこに「私」をちゃんと入れなきゃいけないんです。

 私はお母さんのことを愛している。私はお母さんの幸せを願い、私も幸せになる。
 だから、私は私のペースでお母さんの側にいて、できる範囲でお母さんを手伝いたい。

こんな意識を持つと自分軸がより強く持てます。

お母さんを助けたいと思っているのに、そう思っている自分がバテてしまったら元も子もないでしょう?
そしたら、ちゃんとマイペースで関わることがすっごく大事なわけです。

愛する人、大切な人に接するときほど、忘れがちなルールなのかもしれませんね。

で、続いてのご質問。

>愛する人の幸せを願うことが私のライフワークでは?と思いました。そのライフワークをお金に変える具体的な方法(職業、仕事)の見つけ方を教えていただけませんか?

これまた元も子もないことを言ってしまえば、すべてのお仕事ってそうじゃない???と思うんですけど。

営業職やサービス業ならば目の前のお客様に愛を贈る。
事務職ならば職場の人たち、そして、その向こう側にいらっしゃるお客様に愛を贈る。
専業主婦なら家族に、経営者なら従業員と顧客と株主に、愛を贈るわけです。

そして、その人の幸せを願うこと=お仕事だと思うんですよね。

だから、何でもいいっちゃ何でもいいんです。

今のTさんのお仕事はやりたくてやってる仕事じゃないかもしれませんが(←これについては後で痛い話します(笑))、でも、そこで関わる人たちの幸せを願うことってできますよねー?

「愛する人の幸せを願うライフワーク」を生きようと思うならば、今、目の前の人を愛し、その幸せを願うことがそのライフワークにつながります。
(その辺の考え方は本を読んでね)

今できること、の延長線上にライフワークがあるわけですからねー。

「つい「他人軸」になるあなたが7日間で自分らしい生き方を見つける方法」(あさ出版)

で、予告しました痛い話を最後にさらっとしてお別れしたいと思いますー!ヒット&アウェイですー(笑)

>今の仕事はどうしてもやりたくてやってる仕事じゃない

もし、Tさんが自分のことを愛しているのならば、なぜ、愛する人に「やりたいわけじゃない仕事」を与えているんでしょうね????

・・・ということで、やっぱり今のTさんの課題は、もっともっと自分を愛すること!!!じゃね???

前に比べれば相当マシになってきてると思うけど、まだまだその課題は続くみたいですねー!!(笑)

★自分を愛するレッスン。

『自己肯定感をあげる3daysプログラム』

名古屋:10/19(土)、11/16(土)、12/15(日)
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