見守るのと踏み込んで愛してやるのと違いって何ですか?



ここは踏み込んだ方がいいのか?見守る方がいいのか?という選択はロックマンを相手にしたときに限らず、様々な場面で登場する葛藤かと思います。
自分軸で考えようぜ!とは別のお話を今日はさせていただきましょう。
結局は同じことかもしれませんけど。

ロックマンネタ失礼します

仕事で自己実現が何よりも大事な彼。
経営者の自立男は従業員にも自立っぷりで、店が上手くまわらず2年、失うものも多々あったようです

私も放置されまくり、コミュニケーションとるのも一苦労の2年です
付き合ってるの?って感じですが、放置に対抗して「ですけど何か?」って思っており、お互い様です

『「会いたい 心細い 泣いてしまった」と伝えてもノーリアクションな彼をどのように調教したらいいでしょう?』
の「何を言ったらいいのか分からない」ということになり、見事既読スルーになってしまう
→彼もそんなこったろーなと

『話し合いもできずに別れて、その相手が同じ職場の場合の立ち直り方を教えてください。』
の「返事をしない」という返事をする彼なりの「やり方」を採ったのです
→結果も出してないし今更する返事もないのだろーなって

『気を使い合う夫婦はお互いの愛が見事にすれ違う』
の、お互い肚の中の思いを溜め込んだまま、自分ひとりで考えて行動しちゃうんですよね
→お互い悪気はないんだよなーって

オンラインスクールのロックマンネタ
→完全納得です

誰にも迷惑掛けたくない、ろくに相手をできないのなら何もしない、期待させたくないって良かれとやっているのであろー彼のやり方

自立女だから彼の気持ちも解る
私も一人で頑張るのが良い事だと思ってきたし、気分を概してでも近づいてくるおせっかいな両親でもなかったし、関わらない事を善としている2人だなって

でも自分が人を当てにできるようになったりで、彼もこっちにこれたら楽になるかなって思うけど、それも私の勝手な想いだしって踏み込む事もできず

見守るのは得意だけど、何年経っても進まない(一度同じような理由で別れているので)

放っといて欲しいの反面で
「どーしよもない俺を誰か何とかしてほしい、けど、どーしていいかもわからん」
って彼もいるんじゃないかと思うんです

よくドラマでおせっかいで近づいてバーーン!ってなるけど上手くいくケースあるじゃないですか?
それも良いなって思うんです
ドラマにあることって、よくあるケースなんだと思うんですよね

見守るのと踏み込んで愛してやるのと違いって何ですか?
慣れてない分、踏み込むことが良い事に思えない
武闘派だから粉々にするのが怖いのかもしれませんけど
(Rさん)

本文中に出て来る記事はこちら。

『「会いたい 心細い 泣いてしまった」と伝えてもノーリアクションな彼をどのように調教したらいいでしょう?』
https://nemotohiroyuki.jp/manwoman-psychology/20871

『話し合いもできずに別れて、その相手が同じ職場の場合の立ち直り方を教えてください。』
https://nemotohiroyuki.jp/manwoman-psychology/20859

『気を使い合う夫婦はお互いの愛が見事にすれ違う。』
https://nemotohiroyuki.jp/manwoman-psychology/20783

オンラインスクールのロックマンネタ
『ロックマンと付き合うと自分が弱った時に支えてもらうことは諦めなきゃいけないのでしょうか?』(2017/9/4)
http://www.mag2.com/archives/0001677732/

たくさん、ご紹介させてくださってありがとうございますっ!!!いい宣伝になります~!!!笑

>放っといて欲しいの反面で
>「どーしよもない俺を誰か何とかしてほしい、けど、どーしていいかもわからん」
>って彼もいるんじゃないかと思うんです

まことにおっしゃるとおりですね。ほんまそれ!って奴です。

つまり、ロックマンに限らず、人間関係においては

「ここは突っ込んだ方がいいのか?それとも引いて見守ってあげる(待つ)のがいいのか?」

というのは常々お感じのことだと思うのです。

さて、これだけ私の記事を読み込んでくださっているRさんなら、その質問に対する私の答えはもうお察しのことと思います。

ので、割愛させていただきたいわけですけど・・・あ、まあ、そういうわけにもいきませぬか。

「好きにしたらいいですよ」

(今日は敬語にしてみました。)

私は考え、経験では「答えなどない」というところでして。

ツッコんだ方がいい時もあるし、見守ってあげる方がいい時もあるし、どっちもあるよねーと思うんです。

Rさんの付き合ってんだかどうだか分からない彼についても、おそらく見守ってあげた方がよいシーンと、踏み込んだ方がいいシーンと両方あると思うんです。

で、それはケースバイケースとしか言えないんですね。

これがテクニック重視のブログや本であれば「こういうタイプの人はこうしなさい」という方法が書かれているんだろうと思います。

でも、私が知る限りでは「こういうタイプがこうなってこうしてこういう風になってるときで、かつ、天気気温がこうで、時間帯はこうで、彼の趣味がこういう範囲に収まるケースにおいてはこうした方がいい」という感じでそこをマニュアル化するにはものすごい細かい分類が必要になってくると思うのです。
それこそ、広辞苑何冊分にもなりそうです。

そんなの覚えられないでしょ?
そもそも私もそんなの分からないし。

ある人のあるケースではうまく行った、というのは紹介できます。
でも、それを別の人の別のケースでうまく行く保証ってのはやはりできないんです。

それならば、「好きなようにしてその結果の責任を負える自分になる方」が圧倒的に楽で簡単で早いんじゃねーかと思うわけです。

ところが、知識としては広辞苑何冊分にもなる情報量を自分の中に備えている人も実際いるんです。そういうロックマンをコロコロと手のひらで転がす奴だっていますよね?
じゃあ、彼女たちがそんなに勉強したのか?そもそも勉強熱心なのか?というと、おそらく現実は全然違うんです。

それは「経験値」ですね。
それだけ経験積んでると、何となくここはこうした方がいいんじゃねーかな、ということが分かってきます。

手前みそな話になりますけれど、私もこれだけたくさんの方にお会いしてくると、少し話を聴いただけで「ああ、この人はこんな感じの人なのかなあ」という推測が成り立ちます。
それで「こうでこうでこういう人でしょう?」なんて話を振ると「え?なんで分かるんですか?」って驚かれることがあるんです。

そうです。意外とすごい人なんです。根本さんって(笑)

とはいえ、それも決め付けになっちゃうんで、自分の推測が正しいのか?それとも違うケースとの出会いなのか?新種発見か?という思いで、あれこれとお話を伺って、それでその人となりを理解していくのが私のスタンスです。
だから、私のカウンセリングは特に一回目などは最初驚くほど無口で、あれやこれやと質問が浴びせかけられることが多いのです。

同じようにカウンセラーなんてやらなくても、客商売をされてる方は少なからず、そんな経験を持っていると思います。
お店に入って来るだけで購買意欲があるかどうか?がすぐ分かったり、目線の動きで買いたいものが決まってるのか、まだなのかも分かるでしょう。

経営者をやってる方なども、その人の本質をパッと見抜いちゃう人も珍しくないですよね?

人と接して来た経験というのは、ちまちまと辞書を読むよりもはるかに膨大な情報量を与えてくれてるのです。
それを我々は「勘」と呼びますね。

Rさんも一人のロックマンを2年間も観察し続けてるわけですよね?
だから、その関係性の中で「こういう時はこうだけど、ああいうときはああだよね」みたいな彼のキャラをだいぶ理解されてると思うんです。

そういう意味では「このタイミングだったら踏み込んでもいいんじゃないかな?」という勘は少なからず備わってきているんじゃないのかなあ?とも思うのです。
つまり、自信はないけど、情報量は十分にありそうな気もするのです。

で、その自信を付けるのは経験なわけですから、トライ&エラーの精神でチャレンジしてみるのはいかがでしょうか?

今行けるか?うーんどうだろう?あかんかな。
よっしゃ踏み込んでみよう!ああ、シャッター降りたー。何があかんかったのかなあ。
今度はどうだ!おぉ!意外とうまく行った!なるほど、このタイミングかあ!でも、難しいなあ。

この繰り返しでかなり上手に転がせるようになると思いますよ。

2年付き合ってきたので、情報量も十分あるでしょう?という自信を付けてみましょうか。

「彼が喜ぶ言葉てどんな言葉?」
「どういう時に彼は不機嫌になるの?」
「Rさんが与えるもので彼が好きなものは何?」
「彼はRさんのどういうところに惚れてるの?」
「彼が好きなものって何?彼の得意なことって何?」

これらの質問にあれやこれやと答えが浮かんできませんか?

ロックマンに限らないのですが、ここは踏み込んだ方がいいの悪いのって判断をするきっかけって、そういう経験からくる勘なんですけど、その経験てそもそも何か?というと、「与える態度」です。

彼を愛したい、彼を喜ばせたい、彼を笑顔にさせてあげたい、彼を元気にしてあげたい、彼を癒してあげたい、彼を助けた上げたい、という与える気持ちであり、行動なのです。

彼を愛するにはどうしたらいいのか?という研究をRさんも2年やってこられたわけです。
そこで何も得られなかったというのは謙遜し過ぎだと思います。

武闘派女子の中にはほとんどいないんですけど、男性女性に限らず「愛される」「もらう」ことばかり考えている方もいらっしゃると思います。そういう方は先の質問に答えられないばかりか、不平、不満ばかりを抱えるようになるものです。

私が「踏み込むのも、見守るのもどっちでもいいよ」と答えるのも、ベースが「愛」であって、「与える」ことであれば、どちらでもいいからなんです。

何をするか?よりもその動機の方が大事ですよね?

「踏み込んで彼を楽にさせてあげたい」とか「見守ってあげる」とか、どちらも愛として表現できます。

一方、嫌われる怖れや関係性が壊れてしまう怖れなどの「怖れ、不安」がベースの時は、傷つかないために自己防衛に走ります。
そういう時は失敗を怖れ、自分が傷つくことを怖れているので、そこに愛はありません。
だから、迷いも出ます。怖れは思考を動かしますから。
それで、根本さんみたいに「どっちでもいいよー」とか言われると「こいつはアテにならぬ」と思ってしまうんです。

「良かれと思ってやったんだったらそれでいいんですよ」と思っています。
だって、自分には相手をコントロールすることはできないわけですから、自分が良かれと思ってやった、ということが自信となり、自己肯定することとなります。

だから、うまく行ったかどうかの結果主義になってしまうと辛いのです。

善意が悪意になることって日常茶飯事ですよね。
でも、善意であれば、いつかは相手に伝わるし、また、自分も心地よいものです。

だから、踏み込むのも、見守るのも、突っぱねるのも、説教するのも、それが「愛」に基づいているかどうかで判断してみてください。

愛するための行為であれば、Rさん以上に繊細で傷つきやすいロックマンの彼の鋼のような心も少しずつ溶けていくってものです。

だから、そんな経営者の自立男のなりをした5歳児にたくさん愛を贈ってあげてくださいな。
それが一番の経験であり、勘であり、うまく行く方法だと思うんです。

とはいえ、最大の問題は、そうした愛によってロックマンの心を開かせた武闘派女子たちが、あっさりと「そんな男はつまらん」と心変わりし、新たなロックマンとの出会いを求め始めることです。
皆さん口を揃えて「そんなはずはない!」とおっしゃいますが、現実に今年も何にもの方が「どうしましょ。つまんなくなっちまった」と告白されています。

さて、ほんと、どうしたものでしょうね・・・
Rさん、そうなった時にどうするか?というのもちょっと頭の隅で考えといてくださいな。まじで。


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