分かってもらえなくてもいい、という勇気。


「分かってもらえなくてもいい」
「誤解されてもいい」
「通じなくてもいい」
「理解されなくてもいい」

本当にそう思えるようになったら、いかに楽なのかなあ、と思うんです。

しかも、これ、家族や夫婦の間で。

しかも、自棄になったわけじゃなく、前向きな気持ちで。

「いつか自分の愛が通じればいいや」

みたいな感じで。

相手に分かってもらおう、とすることにどれくらいエネルギーを割いてるか?を思えば、分かってもらえなくてもいい、というのはすごく自分を自由にします。

もちろん、それでちゃんと相手を信頼しているんですよ。

愛し方て人それぞれ違います。
ある人にとっては「一緒にいることが大事」だと思っているし、ある人にとっては「コミュニケーションをきちんととることが大事」だと思っているし、ある人にとっては「見守る愛」が得意だったりするわけです。

そこに正解もなければ、ルールもないわけで、自分の愛がちゃんと相手に伝わるかどうかなんて、ほんとうは分からないんです。
逆もまた真なりで、相手の愛をほんとうに受け取れてるのか?なんて分からないんです。

例えば、ある人はどうしたって怒り口調でしか、愛を伝えられないって場合もあります。
「もう、何してるのよー。そんなことしてたら風邪ひくでしょ!」って怒ることしかできないんです。

頑張って怒らないようにしようとするんだけど、ついつい怒ってしまうんです。
愛してるから、心配するし、愛してるから、注意するんです。

でも、相手はなかなかそれを愛だと受け取れないんですよね。

「もう、ぐちぐちうるせーなー」って思っちゃいます。

そこで、「怒っちゃう私がダメだ」と思う必要もないし、「それは愛なのよ!分かってよ!」って押し付ける必要もないんです。ほんとうは。

「いつか分かってくれたらいいや、こんな不器用な愛し方できない俺を」とか素直に思えたらいいんですけどね。

なかなかそれは難しいです。

私たちって「分かって欲しい」というニーズってすごく強いんですね。ほんと。
皆さんも感じると思うけど。

だから、分かってもらえない、という時にひどく傷つくんです。

でも、相手には相手の世界があるので、分からないものは分からないってことがきっとあるんです。当たり前に。

それを受け入れられる勇気を持ちたいなあ、と思うのです。

セミナーやカウンセリングをしていて「もっとこういう風にしてあげるといいんだろうなあ」ということが良くあります。

「うんうん」って相槌付きながら聴いた方がいいだろうな、もっと共感したり、笑顔で聞いたりしたらいいんだろうなって。

でも、私はそれをあまりしないから、すごく冷たいように見えることがあると思います。
それはカウンセラーとしてはマイナスですね。
でも、そこで私は話を聞きながらやってることがあるので、なかなかその癖は改まらないし、そもそも改めようとは思ってないんですね。

何してるか?って、あれやこれやと考えてるんです。
表情、声のトーン、話の中身、言い方から、その背景を。
時間がないなかで必死に情報収集しています。

だから、無愛想なので「根本さんに話を聞いてもらえなかった」なんてことが起きるんです。
まあ、実際、話聞かないんですけどね、あまり(笑)

でも、その後に「伝える」ということを私はします。
提案型カウンセラーなので。

「こうでああでそうでこうで」って。

でも、言葉の世界なんで、誤解されることもよくあると思います。

「あ、それ、そういう意味で言ったんと違うんだけどなー」というシーン。
でも、実は私、その都度その都度お話してるので、前に何を伝えたかなんて忘れてるんです。
だから、「たぶん、それ、そういう意味じゃないと思うんだけどなあ」と思うんだけど、覚えてないので何とも言えないもどかしさもあります(笑)

だから、初めから、分かってもらえなくてもいい!誤解されてもしゃあない!と思っています。

このブログもずっとそういうつもりで書いてます。

分かってもらえなくてもいいんだ、それが自分なんだしな!って思えるには、相当なレベルの自己肯定感が必要だと思います。

しっかり地に足を着けているときには、それを本気で思えます。

分かってもらえなくてもいい、と本気で思っていて、それで相手を信頼していれば、孤独にはなりません。
ちゃんとつながりを感じられます。

そんな境地にますます至りたいと思うのでした。

 

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