このタイトルは最近ハマってるエックハルク・トールのDVDを見ていたら思わずメモを取ってしまった言葉です。
私も「今を生きる」「今、ここにいる」ということに意識を向けたいと思っていながらも、長年の習慣で、気が付けば「現在よりも未来を重要」としてしまっているのです。
「今」「現在」しか存在せず、「今」「現在」が重要なのに、意識(思考)は常に「次、次」と未来を指し示そうとします。
「未来」なんて永久に来ない。
「未来」を体験した人は誰もいない。
「未来」は時間という概念が作り出した「思考」に過ぎない。
私たちは存在しない「未来」のために膨大なエネルギーを使っている。
そんな言葉が刺さりました。
『このブログを書き上げたら、facebookとnoteに投稿して、子どもたちのお弁当の準備を手伝いつつ、朝食を作って・・・あ、今日の味噌汁の具は何にしよう、、エノキがいいな。白味噌も少し落として。
あ、早めに自動車の税金を払いに行かなければ・・・明日から東京。おっと、出張の準備をしなければ。天気はどうだろう?昨日見たときはぐずつく日もあったような。気温は?・・・』
放っておくと思考がじゃんじゃん先に進んで、パソコンのキーボードを叩いているはずの私は、リビングでエノキを切っていました。
でも、今はブログを書いているのであって、味噌汁を作っているのではないんですよね。
実際はブログを書きながら他のことを考える、なんて芸当はできないので、思考が進みだしたら手が止まるか、訳の分からない文章を書いてるか、になるんですけどね。
それでも、時計を見ながら、あと数分でキッチンに行かなければ!などと焦りだしてる私もいるのです。
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一昨日、家族がいない独身の朝だったので、朝食を摂りながら、ひたすら「今」に集中するレッスンをしていました。
玄米を口に入れてひと噛み、ふた噛み、味わいながら。
すぐにどこかに行きたがる思考に気付けば戻し、気付けば戻し、しながら。
そもそも私は大変落ち着きがなく、止まると死ぬサメ人間で、常に思考をしているので、このレッスンは大変難易度が高いものです。
意識をしていないと数秒後には「この先のスケジュール」を思考してしまっています。
でも、それでも「今」に意識を戻して、「ご飯を食べる」ことに集中していくと、とても心地がよいのです。
天気がよく、風が気持ちのいい日だったことも幸いしたのでしょう。
セミナー明けで、気分が良かったことも幸運でした。
ものすごく幸せな気分になれたのです。
ただし、それに気付いたとき、「あ!これはブログのネタになる!」とすぐに思考が未来に飛んでしまいましたが・・・(涙)
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「今」を生きるための歩くレッスンというのも、気が向いたときにしています。
すごくゆっくり歩くんです。この早歩きのプロである私が。
自分が動き景色が移りゆく、のではなく、
景色が動き、自分は留まっている、という感覚を味わうために。
時々その感覚にパチッとハマるときがあります。
ああ、今、自分はここにいる、と感じられます。
しかし、やはり次の瞬間、「それって本当なん?そう思ってるだけじゃないの?」という疑いの声が聞こえ、すぐに思考が動き出してしまいます。
そして、再び、「この経験もブログに書けるな!しかし、読者に変に思われないだろうか?分かりやすく伝えるにはどう表現したらいいんだろう?」と思考モードになってしまいます。
うーん。難しい。
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「今、ここに、生きる」
まだまだ始めたばかりですが、何とか、この意識を大切にしていきたいですね。
少なくてもこの1,2か月で変化したことと言えば、
・夢やヴィジョン、将来に対するこだわりが軽くなった。
・心も思考も行動も自由になれた。
また、後々報告させていただきたいと思います。
では、お弁当作りのお手伝いと、エノキの味噌汁を作りに行って参ります!