「クリニック悲哀物語」



生まれて3ヶ月も過ぎれば「予防接種」が始まる。
生後3ヶ月といえば、まだまだ首も据わらず、そんな子どもに注射をするとなれば、親としてはそれだけで虐待をしてるんじゃないか?という疑念に襲われるほどである。
実際、待合室で先の順番の幼児が入室し、ものの数十秒後に「うんぎゃーーーー!!」という断末魔の如き泣き声を聞くことになれば、やがて訪れる我が子の運命に思いを馳せずにはいられず、いたずらに心は痛む。


遡ること7年前。小さく生まれ、小さく育っていたか弱い娘もまた、そのような憂き目に合っていた。
体が小さい故に血管が細く、そもそも「よく体力がもつね・・・」と呆れるくらい泣き上戸な娘であったので、注射の際の修羅場はそれはそれは辛いものであった。

そして、その歴史が繰り返されるともなれば、息子の身に再び降りかかる運命をどう捉えていいのか不安な気持ちになっていたのである。

さて、息子の初めての予防接種はあろうことか、私1人で息子をクリニックに連れて行くハメになった。
しかも、そのクリニックでは院長先生の方針により、1日に3本の予防接種を一気に済ますのである。よって当日は、何も知らぬ息子よりも、その息子を押さえつける役を担う私の精神状態が危惧される状況となっていた。

当然のように平日のクリニックは幼い子どもとママ達で溢れかえっている。
なぜかこのクリニックを利用する家は働き者のパパ達が多いようで、予防接種や定期健診で男性を見かけることはほとんど無い。
よって、息子と二人でクリニックに入ると、とても周りの目が気になってしまい、こじんまりと、空いてるソファにデカイ図体を屈めて呼ばれるのを待つのである。

話題が若干逸れるがちょっと想像して欲しい。
夏の日差しもまぶしい平日の昼下がりである。築浅の分譲マンションの2階に設けられたクリニックはママや子ども達で溢れかえっている。
そこに無精ひげを生やした冴えない男が生後4ヶ月の乳児を連れて入ってくるのである。
どこに居場所があるのだろう?

実は、今回は息子と二人だったからまだ良いのである。
これが、妻と娘を加えたオール家族体制だったりすると、話は一気に悲惨になる。
すなわち、妻は息子を連れて待合室から処置室へ移動する。
夏休みの娘はパパと遊びつつも処置室で待つママと息子の元を行き来している。
そして、娘は病院に飾られているかわいらしいぬいぐるみで遊ぶのが好きであり、処置室に行く際は「パパ、これ持っててね」とぬいぐるみを私に預けてさっさと行ってしまうのである。

そのとき、待合室には、無精ひげを生やした冴えない男がピンクと水色のぬいぐるみを両手に持って座っているのである。

これは不気味さを通り越して、悲哀すら感じさせるシーンではなかろうか。
心なしか、周りのママや子供達が後ずさる中、娘が戻ってくるのである。

私はこうして折れない心を鍛えているといっても過言ではない。

さて、話題を戻そう。
予防接種に来た我が息子にも運命のときが近づこうとしている。
待合室から、処置室に移され、あと3、4人で我が息子が泣きじゃくる時間がやってくるのである。

しかし、ふとあることに気付いたのである。
それまでは女達の園で小さくなっていた故にあまり気付かなかったのだが、処置室に入ると周りの子供達が異様に小さく見えるのである。
うちの子はまだ首が漸く据わったかどうかの4ヶ月児なのだが、周りはすっかり首が据わり、あるいは、babyというよりはkidsの顔をした子供達ばかりなのである。
すなわち、息子よりも月齢は上のはずなのであるが、とても小さく、か弱く見えるのである。
そんな子供達を見て、我が息子を見ると、思わず、「でかっ」と口走ってしまうほどである。

うちの息子、予定日よりも3週間ほど早く生まれ、そのときは未熟児に近いほどのに小さかったはずなのである。が、1ヶ月検診のときは既に他者を圧倒し、4ヶ月となった頃にはオムツのサイズが早くもBigに到達するほどの成長を見せているのである。

よって、予防接種の際も、圧倒的な存在感を処置室で放っていたのである。
それが周りにあまり悟られないのは、その息子を抱っこしているのが細身の妻ではなく、私だからであろう。

やがて診察室に通されると、先生すら「大きいわね~」と感想を漏らすほどであった。

しかし、言うても生まれてわずか4ヶ月である。
首も据わり切らぬ息子の腕を先生の指示通りに押さえる。
もちろん「恨むな、息子よ」の心境である。

そして、「これは痛いからね、泣いちゃうかな~」とかあやしながら先生はささっと注射を打ってくれた。右・左・右と順番に、3本である。

確かに泣いた。この耳は息子の鳴き声を聞いた。しかし、数秒で泣き止み、平然といつもの表情に戻るのである。

「あら、強い子ね~。偉いね~」と褒められる声に背中を押され、待合室に戻ったのである。

その後も終始息子はご機嫌で母子手帳やら次回予約やら支払いやらを済ますまで、何事も無かったかのような堂々たる風情にして過ごしていた。

後から出てきた、息子より遥かに月齢の大きい男の子は号泣してママに張り付いていた。その後に続いた女の子はしくしくかわいく泣きながら、ママも泣きそうな顔をしていた。

息子は堂々と、物珍しそうに周りの景色を見ているのみである。

そして、その態度はその1ヶ月後の予防接種でも、検診でも変わらなかった。

我が家を訪れた友人は皆、その堂々たる風情に彼を「社長!」と呼んで憚らない。個人的にはむしろ「横綱!」みたいな気もするくらいである。

ミルクは豪快に飲み、そして、夜はぐっすり眠る。
そして、今では笑顔を絶やさず、常にご機嫌モードなのである。

ありがたや、ありがたや、と感謝し、癒される日々である。

ただ、気がかりな点も無くはない。
ママを見ると、彼は心から嬉しそうな顔を見せて、ニコニコ笑う。
お姉ちゃんを見ると、また嬉しそうな顔になって、きゃっきゃ笑う。

しかし、仕事や出張から帰ってきたパパを見ると・・・、物珍しそうに眺めるだけで、なかなかニコッと笑ってくれないのである。

とても悔しいのである。
何かとても負けてるような気がするのである。

意地でも笑わせようと、抱っこしたり、遊んだりすると、ようやく満面の笑みを見せてくれる。
そうして私はようやく家に帰った実感を得るのである。

とはいえ、5ヵ月半にして、既に体重は9kgに近い。
抱っこしたり、あれこれ遊ぶと、相当いい筋力トレーニングになるほどのサイズであり、油断をすると腰に来そうな勢いである。

自らの年齢を感じつつも、今日も私は彼を抱っこして家中を歩き回っている。
なんせ、これは我が家では私にしかできない特権だからである。
これを覚えこませることで、彼の中のパパの序列を第3位から1つでも上げたいと思っているのである。

姑息な手ではあるが、何とか居場所を作るためには致し方ないと思うのであるが、いかがであろうか。

さて、来週にも再び注射が待っている。
既に3度目の予防接種ともなれば、多少は心臓に毛が生え始めており、きっと昼下がりのママ集団の中でもちゃんと気配を消していられることと思う。

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