10周年。



「ねむねむ、プロにならへん?」
あれは確か6月のヒーリングワークに参加していたときだと思う。
お昼休みか、休憩時間か、ともかく一服しながらぼーっとしてたときに、そんな声がかかった。
その主は皆から“社長”と 怖れられていた 慕われていた女史のもので、「平さん(一応、本物の社長)が、そう言ってるんやけど、どう?」と。

意外と物事を深く考えない私は、据え膳を食う感じで「え?ほんま?ありがとう」みたいな返事をした。「じゃ、詳しくはまた平さんに聞いて連絡するね」とその場は終わった。

この“詳しくはまた”には、スケジュールの管理の仕方、報酬の額、支払い方などの基本的なことも含んでいる。要は、白紙で、今から考える、ということなのだろう。
わが社は極めて関西色の強い会社であり、具体性はともかく気持ちだけで突っ走ってしまう勢いが当時は色濃く残っていた。



さて、プロになったらどうなるんだろう?とぼんやりと考えながら、「きっとお客さんを優先的に回してくれたりするんだろうか?」と一方的に都合の良い妄想に浸っていた。

まさか、師匠達と対等な立場でやっていくとは想像もしなかった。

考えてみても欲しい。
師匠達は競馬に例えれば、バリバリのオープン場であろう。GIなどの大レースにでも出走できるような馬達なのである。それに比べれば、プロになったばかりの私など、未勝利戦をようやく勝ち上がった500万下クラスの馬に過ぎない。
オープン馬と500万下のレースなんて見るにもおぞましい。きっと何十馬身も離れたぶっちぎりの最下位を独走するはずである。

ただ、そういうわけでハナから競争する気にもならなかったのは幸いであった。
現実を知るにつれ、「自分ができることしかできない」と思うほかになかったからである。このポリシーはトラウマのように深く心に刻まれ、今でも床の間の掛け軸のようにデンとそこにある。

当時はお客さんが指名をしてくれるたびに「なんで、僕のカウンセリングを選ぶんだろう?師匠達の方がよほど楽になれるだろうに」と思っていた。
でも、逃げるわけにはいかないので、むしろ、レベルは違えど自分にしかできないことは何だろう?を模索しながら向き合うしかなかった。

今だから話せるのだが、当時、カウンセラーの育成システムはまだ生まれたばかりの曖昧なもので、私の元でもイレギュラーなケースがいくつか起きていた。

ボランティアカウンセラーというのは、ボランティアである。何度使っても無料のカウンセリングをするものである。
しかし、私がボランティアデビューして2、3ヶ月目に、あろうことか有料のお客さんが付いてしまった。それには心底びっくりしたと同時に、とてもビビッた。

それまでの当社のカウンセリングといえば、初回無料の後は有料の4回セットだけだったので、ボランティアカウンセリングというシステムをまだご存知でないそのお客様は「1回、根本と話してよかったから」と4回セット分の料金を振り込んでくださったのである。

事情を説明して「何度使っても無料で話せますけど」と伝えると、「そうなの?知らなかったわ。でも、無料よりも有料の方がしっかりやってくれそうだから、そのままでいいわ」などとおっしゃっられて、そのまま継続することとなった。

経営的にはありがたいかもしれないが、困るのは私なのである。

しっかりやるも何も、デビューしたてでこっちは必死である。それに目の前のお客さんに対して、有料だから、とか、無料だから、と線を引くことなどできるわけがない。

なのに有料の4回セットというのは有限である。
しかし、無料のボランティアは無限である。お客さんが自分の意志で止めなければ10回だろうが100回だろうが終了はしないのである。

これは大きな矛盾だろうと思う。良心がとがめるし、罪悪感も嵩む。

どうしたらいいんだろう?と思い悩んでいたところに、更にもう一人、そのようなお客さんが出てきてしまったのである。

もう開き直るしかない、と悟りを開いた瞬間、冒頭の話が舞い上がった。
何となく天からの助けに思ったことも事実である。

さて、そうした経緯を経て、わずか10ヶ月、合計50本程度の経験値を引っさげてプロデビューすることになった。

それが、2000年の7月から8月にかけてのことであった。
曖昧なのは、その辺の記録が私の手元に残っておらず、大雑把な記憶を辿るしかないからである。

「2000年のデビューということは、後々何年キャリアを積んだか分かり易くていい」と思っていたのをよく覚えているので、年は間違いない。

今年は2010年だから、10周年、ということである。

なお、その1年後、2001年7月はカウンセリングサービスのキックオフミーティングが開かれた月である。7月は何か新しいものが始まる月であった。

さて、当時は10年後なんて何も想像ができなかった。
自分がカウンセリングをしているのかすら分からないし、何か全然別のことをしていそうな気持ちも案外ずっと残っていた。実際、その当時はサラリーマンとの二束のワラジを履いていた訳で、500万下クラスの馬に将来を描け、という方が無理だろう。

ただ、カウンセラーなどという仕事は5年やったところで、まだまだビギナーで、10年経ってようやくスタート地点に立てるような気持ちはずっとあった。
いわば、10年経って、ようやく本物、みたいな感覚である。

そのため常に私の妄想は次のようなシーンをイメージしていたのである。
つまり、雑誌やラジオのインタビューなんかで「根本さんってカウンセラーになられて何年なんですか?」って聞かれるわけである。
事実よく取材の冒頭で質問されることが多い。
ところが、「5年や8年では、まだまだ半人前で恥ずかしくてちゃんと言えない」くらいに思っていたのである。

「ちょうど10年になります」

これはちょっと堂々と言えるかな、と思う。でも、まだまだ、という感は否めない。

「かれこれ20年になりますね」

これは重みを感じる。経験も十分積み、油が乗ってきてるな、と感じる。

「30年になります。」

これは重たい。いっそのこと、リッツカールトンで祝賀会を開いて欲しいほどである。

この仕事の素晴らしいところは、年季が入れば入るほど、年を取れば取るほど利点が多いことである。そういう点ではまさに職人の世界と同じだと思う。

それにしても、この10年で、いったいどれくらいの人と会い、話して来たんだろう、と思う。

4,5年前から、カウンセリングよりもセミナーの方に比重は移ってきてるから、増加ペースは減っていると思うが、電話と面談を合わせるとざっと7,8千くらいにはなるだろうか?時間に換算すれば優に1万時間は越えているはずである。
1DAYワークやヒーリングワークでの個人セッションもカウンセリングの数に入れたとしたら、さらに千本くらいはプラスだろう。

それだけの人と出会い続けられることは嬉しいし、有難いと思う。
出会った人たちの中には、申し訳ないけどすっかり忘れてしまっている人たちも多いし、電話だけの方はお顔も拝見したことはない。
でも、少なくても一度はお話した人が、ずっと笑顔でいて欲しいし、お会いしたときよりも幸せになっていて欲しいと、それだけは心から願っている。

もちろん、全員が笑顔ではわけではないことも知っている。
こういう仕事をしている以上、「根本憎し」と思っている人だって少なくはないだろうと思うし、心に触れるわけだから嫌われる覚悟がなければ10年も続いていない。
とはいえ、そんな彼らだって幸せになって欲しいと、都合よく私は思っているのである。

数年前より、10年で一つの区切りにすべきだ、と思っていた。
次のステップに踏み出すときだと。

しかし、多忙にかまけて、すっかり次の方向性を見定める作業を怠っており、何ら特別な準備をするわけでもなく、カウンセラーとしての10歳の誕生日をもうすぐ迎えようとしている。

せっかくキリのいい数字なんだから、かっこよく、「じゃあ、次の10年はこんな風に進んで行きたい」と力強く所信表明ができればいいのであるが、実は私、けっこう思い付きで生きているところがあって、そういうのは苦手なのである。

仕事人間で、きっちりしているように見られる私であるが、多くのハードワーカーがそうであるように、実は怠け者である。一度、立ち止まったら動けないから、ハードに働き続けるわけである。

だから、実は10周年というのも、私にとっては特別なものではなく、単なる通過点にしか過ぎないのが実情で、特に深い感慨もない。
むしろ、ネタとして使えるなあ、くらいにしか思っていないのである。

実は案外物事を深く考えず、深刻なときも心のどこかで「なんとかなるんちゃうかな」と気楽にやってきた。
忘れっぽい性格で、辛いこと、しんどいことがあっても、気がつけば忘れていることも多い。喉もと過ぎれば何とやら、の実に都合のよい性格なのである。
私のプライベートをのぞき見た人が口を揃えていうように「落ち着きはないが、でも、なんだかボーっとしている」ため、深みにはまることなく何とかやってきたように思う。

もし「なぜ10年もカウンセラーができたんだと思いますか?」と問われたら、きっと、それらの答えを言うと思う。面白みも何もないけれど。

ただ、でも、一つだけは言えることがある。
元来、私はとてもわがままな人間で、自分が嫌だと思うことはどう頑張ってもできない性格なのである。
だから、何だかんだカウンセリングやセミナーが好きで、だから、10年も続いたこと、それは間違いないと思う。

たくさんの人に出会え、その人が成長していくプロセスに立ち会えるのは何て貴重なことであろうか。
こんな贅沢なものが他にあるだろうか?と正直に思うのである。

そんな風に好きで、楽しいからだろうか?
10年経っても未だに「仕事」という認識が持てず、「趣味の延長」みたいな感覚で捉えてしまうところが甘さではある。


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