神楽坂に住まう。



今回は心理学とは関係なく、コラム的なお話なので気を楽にして読んでいただくか、興味なければすっ飛ばしていただいて一向に差し支えない話である。

神楽坂で仕事をするようになってもうすぐ8年になる。当時は「名前は聞くけど行ったことがない街」であったので、まさかその後こんなに長くここを拠点とするとは想像もできなかった。
そして、初めて神楽坂駅を降りて商店街を歩いているときは「なんかふつうの都会の住宅街って感じ」と思っていた。料亭とか高級飲食店が連なる街だと思っていたので、下町風情を残した街並みに拍子抜けしたことを未だに覚えている。
お世話になった知人に「根本さんがきっと好きな街だから」と言われた言葉に乗ってここに来たのだが、まだその魅力には気づいていなかったのである。

始めはカウンセリングルームを提供してくださるパレットさんで1対1のセッションを行い、後々うちの会社で管理することになるセミナールームにて講座などを開催していた。
幾度か通ううちに飲食店が連なるのは飯田橋寄りの坂下側であり、この狭いエリアに800店もひしめき合っていることが分かるようになる。
調べても調べても次から次へと魅力的な飲食店が出てくるので、その後数年間は「神楽坂ローリング作戦」と名付けてスタッフや仲間たちと様々なお店を巡るようになった。

そして神楽坂2丁目にある「アグネスホテル東京」を定宿とし、歩いてカウンセリングルームやセミナールームに通い、食事をし、バーを巡ってはそのホテルに歩いて帰る日々が当たり前の日常になっていたのである。

そうこうするうちに2018年に「根本さんがここを引き継いでもらえませんか?」と声をかけていただいたことで、予定にはなかったセミナールームを運営することになってしまったのである。
このセミナールームが大好きだったし、これからもこの場で引き続きセミナーをしたいという思いが強かったので「固定費はできるだけ抑える」という経営方針を覆して、高いと言われる神楽坂に物件を借りることになった。
そして、それ以来ますまる神楽坂は我が町になっていったのである。

そして、その後もホテルからセミナールームに向かい、個人セッションやグループセッション、セミナーをし、神楽坂の街で飲み食いをしたのち、歩いてホテルに帰るという日々が続いていた。
それが当たり前だったし、それが変わるとも思っていなかったのである。

それが2021年3月、突然、アグネスホテルがクローズになるというニュースをスタッフから直接聞かされたのである。
ショックで頭が真っ白になるという経験を久々にしたと思う。
コロナが原因ではない、という。
スタッフもつい最近聞かされた、という。
そして、彼らは全員、解雇になる、という。
職業柄、つい彼らの今後を心配してしまい、その日以来、フロントで親しくなったスタッフの方々と日々会話を重ねることになる。
しかし、どうしようもなく、大好きだったホテルは閉鎖してしまったのである。

その後も私の出張生活は続くので、新たな定宿探しをしなければならなくなった。
飯田橋はもちろん、水道橋、神保町、九段下などの近隣から、半蔵門、溜池山王、銀座などあちこちのホテルを放浪することになった。
様々なホテルに行けるのは素晴らしいことなのだけど、こちらは仕事で来ているのでホテルライフはほとんど楽しめない。
せいぜいルームサービスでコーヒーや朝食をオーダーするくらいである。
お陰でその辺のコインランドリー事情にはたいへん詳しくなったのであるが、仕事の拠点が神楽坂であることに変わりないので、その通勤距離に徐々にストレスに感じるようになってきた。

それまでの定宿は非常に融通を利かせてくれた。アパートメントを併設していたホテルだったので、荷物を預けることもランドリーをお願いすることも、そして部屋番号を指定することも可能だったし、こじんまりとした低層の建物で、部屋数も少なかったからスタッフとの距離が非常に近かったのだ。
だから、ほんと家のように寛げたし、甘えることができたのである。
そして、何よりも部屋の窓が吐き出し窓になっており、窓を開けてベランダに出られるのが素晴らしかった。
その窓の向こう側には木々が映える景色も好きだった。

その感覚を補ってくれるホテルには残念ながら巡り合えず、また都度変わるホテルに荷物を送ったり、受け取ったりする作業も、数日間分の洗濯物を抱えてコインランドリーを往復することも徐々にストレスになっていった。
知らなければ何も問題はなかったのだが、アグネスホテルという理想のホテルを知っていたから問題になってしまったのである。

そして、そんな生活に徐々に嫌気がさしてきた頃、ふと賃貸情報のサイトを開くと神楽坂のマンションの価格が思ったよりも安いことに気付いたのである。
その額は私が毎月ホテルに収めている金額とさほど変わりなく、ランニングコストを入れてもホテルへの往復のタクシー代や宅急便代を考えれば同額と言っていい程度であった。

妻にそのことを相談すると「いいんじゃない?いつも荷物を送ったりするの大変そうだと思ってたから」と二つ返事でOKをもらう。ありがたい。

そして、私はそのわずか3日後に神楽坂のマンションを契約するに至るのである。
ふだん武闘派女子たちに塗れているがゆえに、行動力はなかなかなのである。

この辺の物件は非常に動きが良いことは以前より知っていたし、何より私が東京に来れる日は限られており、さらに東京にいて物件を内見できる時間などとても少ない。
だから、めぼしい物件すべてに内見依頼をし、可能な時間のすべてをそれに費やそうと思ったのである。

運が良かったのはちょうどその3日後がお弟子さん制度6期の講座の日だったことである。
この日は竹内えつこに前半部分の講座を託す日で、私はその間、たいへんヒマになるので、喫茶店でブログを書いたり、鼻くそをほじったりして時間を潰すのが毎月の恒例だったのである。
その時間を5,6軒の内見に充てることができ、もとより本命だった今の家とその日のうちに仮契約を済ませたのである。

そして、年明けから鍵をもらい、部屋作りを始めることになる。
昨年7月に大阪の家を引っ越ししているから、その感覚を覚えていてそれも役立った。
でも、まさか半年に2回も新たに部屋を借りるとは思ってもいなかったが。

部屋の鍵をもらって初めて入った日。

そして、少しずつ東京に滞在している間に荷物を揃え、部屋を借りてから1か月後にようやくベッドのフレームが届いて部屋が完成した。
始めはカーテンもなく、お客様用に買った布団で寝る日々だったが、徐々に住める部屋になってきたのである。

実は部屋を借りるときに奥さんやお弟子や身近な方々にそのことを伝えるとみんな一様に「自分の思い通りに好きに部屋を作れるからいいですね!」と言われたのである。
テーブルもベッドもラグもカーテンもその他諸々のものを好きなもので揃えられるというわけである。

そこで私はふと気づいたのである。
全然部屋の内装に興味がないことに。

言ってしまえば何でもいいのである。
ベッドは寝られればいいし、テーブルは作業ができて飯が食えればいいし、カーテンは日をさえぎってくれたらいいのである。

ゆえに全然統一感のない部屋になることは請け合いだったし、「それはあたしが困る!!」となぜかこの家に寝泊まりする気満々の娘に言われたので、「大阪の家と同じようなもの」をコンセプトに、あとは床や壁の色に合わせて「ナチュラル色で統一しよう」ということだけを決めて、奥様にすべてを一任することにしたのである。

それもあって東京にいるけど大阪の家にいるような気分になれる部屋が完成したと思う。

ただ、家具が全然揃っていないときでも「家と言うものはこんなにも精神的に落ち着く場所なのか」ということを思い知った。
逆に言えば、それくらいホテルでの生活には気を張っていたのだろう。
何よりも睡眠の質が違うので、翌日の目覚めも過ごし方も全然違うのである。

ということでひょんなことから神楽坂に住まうことになった。
もちろん、ホテル代わりなので東京に滞在する日は以前と変わりなく、多くて月10日である。
しかし、そこにも精神的に安らげる場があることが自分に与える影響はとても多いだろうし、なによりも仕事場まで徒歩2分という近さは罪深いほどに素敵な環境だろう。

そういうわけでより地に足が着いた生活ができそうなのであるが、以前より懇意にしている飲食店の方々は目を輝かせてこう言うのである。

「今まで以上にうちに来れるじゃない!」

今の体形をキープするためにはジムに通う日数を倍にした方がいいのかもしれない。


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