真実のパートナーとは何か?ほんとうにいるのか?



自分自身が本来の自分に戻れば、真実のパートナーと出会える確率はぐーんと上がります。
なぜならば、自分が真実に戻れば、誰もが真実のパートナーになるからです。

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こんにちわ。
いつもありがとうございます。
最近離婚についての記事があったので確認したいことがあり、メールさせていただきます。
色々な問題を問題としておこること、苦しい辛い体験も、「本来の自分に戻る為」「その生き方を実践するため」とありますが、それは誰と生きていくか、ということはさほど重要ではないのでしょうか。

つまり、本来の自分に戻ることが一番の目的であり、必ずしも誰かと実践してく事が最重要課題ではない、ということでしょうか。
例えば夫や不倫相手や、新しい恋人や、最終的にこのパートナーと生きるために今までの辛いできごとがあったと捉えたとすると、少しでも上手くいかないことがあると辛いし、どうにか上手くやらなければ、という義務感に突き動かされ、とても悲しくなることがあるからです。
真実のパートナーは、本来の自分に戻れた時、また戻ろうとしている最中でも、今隣にたまたまいる人であったととらえると、すこし気が楽になるのです。
そうすると別れなくちゃいけなかった相手への執着が少しでもやわらぐし、今隣にいる人への義務感からも少し解放される気がするからです。
わかりづらい表現ですみません。
私は今不倫関係にあった彼とお別れし、旦那さんとやり直そうとしているも、頑張りすぎて虚しくなっている主婦です。
旦那さんは大切ですが、時々虚しく、上手くいかない自分を責め、旦那さんも責め、もと彼への執着も手放しきれず、辛くなってしまうのです。
そして本来の自分がどんななのか、分かるのでしょうか。
自分の感情さえも自信がありませんし、なにもかもいつ何時の自分でさえ偽りの自分ではないかという気がしてならないのです。
(Yさん)
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なかなか難しいテーマをありがとうございます!!
いい目覚めのテーマになりました!!(笑)

ま、難しいって言うのは答えが難しいんじゃなくて、これを言うてしまうとなあ、元も子もなくなるなあ・・・みたいな感じになっちゃうんですよね。。。

これってね、どのレベルでとらえるか?って問題なんです。

例えば、スピ系の考え方でもいいし、「投影」を突き詰めてもいいんですけど、要するに『自分以外の人間ってほんとうに存在しているのか?』という話になるわけです。
だって目に見えるもの、感じるもののすべてが投影ってことは、自分が見ているものすべては自分自身を写したものなんですよね。
そうすると、そもそも他人なんていないんじゃね?という話になるんです。

いきなり訳のわからない話でしょう?(笑)

でも、「本来の自分に戻る為」にあらゆる問題が起こるとするならば、自分以外のすべての人は(それがたとえ、自分がお腹を痛めた子供であっても)あなたのために登場してくれたボランティアなんですよね。

だから、ある意味、それは誰でもいい、と言えばいいんです。

「真実のパートナーってどこにいるんですか?出会えるんですか?」って1年に34,0000回ほど聞かれるんですけど(もちろん嘘です)、ほんとうのことを言えば、真実のパートナーというのは誰でもいいんです。

それすら投影なんですから、自分が真実に戻ればすべての人が真実のパートナーになり得ます。
要するに選び放題になるんですね。

実際、自分が本来の姿に戻っていくと自己肯定感も上がるし、自分のこと大好きだしって状態になっていきます。
それを投影するとどうなるでしょう?
すべての人を肯定し、すべての人が大好きになるんです。

ということで、真実のパートナーは目の前のすっごく嫌味ばかり言う上司でもOKなんですね。

>真実のパートナーは、本来の自分に戻れた時、また戻ろうとしている最中でも、今隣にたまたまいる人であったととらえると、すこし気が楽になるのです。

だから、これは正解ですね~。
誰でもいいんですから・・・(笑)

ただ、人生ってドラマを生きていく上で、それって面白くないでしょう?
もっと脚色があって、山あり谷あり谷あり谷あり時々ちょっと山があってまた谷あり谷ありの方が情熱女子としては燃えるわけですね。

人生が大きな遊園地で、そこで起こるイベントがアトラクションとするならば、私たちは「安全」な環境の中でジェットコースターに乗ってきゃーきゃー騒げるわけですよね。
ジェットコースター乗る前に係員さんが「今日、ちょっと調子悪くて途中で止まったり、ブレーキ効かないことがあるんだけど、たぶん、大丈夫だと思うよ」って言ってたら乗る?乗らへんよね?
人生に起こるすべてのアトラクションもそうなんですよね。
安全の上に成り立つ問題が起こるんです。(=乗り越えられない問題はやってこない)

だから、人生という遊園地を楽しむためには「真実のパートナー探しアトラクション」はけっこうハードにした方がいいと思うんです、情熱の女は。

だから、「すっごくいい男に出会った!!!でも、振り向いてくれない~!!」「優しくて穏やかですごく私を愛してくれる男に出会った~!!でも、退屈して浮気しちゃった~!」「私を振り回すめっちゃひどい男に出会った~!!こんな奴無理!と言いながら離れられない~!」みたいな“演出”を付けたがるんだと思いますよ。

そういう見方をすると「真実のパートナーは必ずいて、あなたと出会うのを楽しみに待っています。自分の気持ちに忠実になれば必ず出会えるのです。」という話ができて、それすら、そのアトラクションの一部に組み込まれます。
アトラクションの中で迷子になったあなたを助けてくれる「案内板」みたいな役割を示すわけです。

Yさんにとってみれば、不倫関係にあったおそらくトキメキをいっぱいくれた彼を手放して、ある意味退屈だった旦那さんとやって行こう!というステージに入ったんですよね。
その時、指南の書を開いて「真実のパートナーはいるかどうか?」という難題をクリアする任務を今受けてるのです。

当然、そういういきさつがあるわけですから葛藤しますよね。

>旦那さんは大切ですが、時々虚しく、上手くいかない自分を責め、旦那さんも責め、もと彼への執着も手放しきれず、辛くなってしまうのです。

そう、この感情を“感じたい”んです(笑)

なんだか突き放した言い方でゴメンですけど・・・

ここですんなり旦那さんとうまく行ったら面白くない私がいるんです。
彼のことをすんなり手放せたらつまんない私がいるんです。

でも、そこから「自分」ってのが見えてくるでしょう?

ああ、私は女なんだなあ。
トキメキが欲しいんだあな。
ドキドキしたいんだな。
ちょっとふしだらなところもあるけど、決して嫌いじゃないんだな。
自分に嘘つくのは嫌なんだな。
でも、そろそろ落ち着きたいのも事実なんだよな。

それを感じるのがこのステージの目的です。
もちろん、もっとあると思いますけれど。

これが「本来の自分」だとしたらどうでしょうか?

さらに、戻りたいけど戻れない、手放したいけど手放せないのが私、としたら?

常に私たちは許されているんです。
自分が自分を許していないだけで。

だから、こんなにうまく行かない自分も許されているんですね。
そしたら、少しは自分のことを愛おしくなっちゃいませんか?

そこで自分への愛を感じられたら、次のステージに進む鍵をもらえるんです。
そしてまだまだこのアトラクションは続いていきます。

それが私なのよね・・・とちょっとけだるく呟いてみて下さい。
しっくりしたら、それでOKなんですわ。

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