自分は出来ている、は危険なサイン。



何かの提案や忠告を耳にしたとき、「自分はできてる」と思ってしまうのは実は危険なサイン。
傲慢さの影が忍び寄ってきているかもしれません。
そこでまた耳にする意味を考えてみるとより自然な自分に戻れます。

「今、目の前にあるものに感謝しましょう」
「ふだんから与えるということに意識を置くことがとても大切です」

そんな言葉を見聞きしたとき「あ、自分はできてる、できてる。そう、大事よね。」なんて思ってしまうことがあります。
でも、それってとても危険なサインですよね。
傲慢さ、という。

もし、本当にそれができてるときって「できてる、できてる」って自己主張しないんです。


「そうですよね。大切なことですよね。それを伝えてくれたことに感謝します」

という態度になるでしょう。

しかし、自己顕示欲、競争、承認欲求(認めてもらいたい欲求)、優等生マインド(いい子ちゃん)、頑張ってる自分、自己主張、権威との葛藤、見たくない、向き合えない等々の思いがあるときって「できてる、できてる」って思ってしまうんです。

同様の言葉に「知ってる、知ってる」というのもあって、これもまた危険なサインだと思っています。
「知ってる」けど・・・「やってる?」という意味で。

「できてる、できてる」と思っていることをまだ「耳にする」「耳に残る」という意味を考えてみます。
それはまだまだできてないかもよ、もっと学んだ方がいいよ、もっと謙虚にやってみたら?まだまだ成長できるよ、というサインではないでしょうか。

頑張ってる人ほど、その頑張りを承認されたくて「できてる」と主張してしまいがちなのですが、頑張ってるうちはまだまだ「自然」ではないのですよね。
それが「自然」になった時にきっと耳に残らないか、あるいは、その言葉も感謝して受け止められるようになるのでしょう。

そういう風になれたら、もっと自然体で、楽な生き方が出来ているのでしょう。

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