Mさんからご感想をいただきました!ありがとうございます!!
元ネタはこちらです。
「女でいることが難しい人生だったけど、ほんとうは女を表現して生きたい。」
今回は、「女を表現して生きたい」というネタに、丁寧にご回答いただいてありがとうございました。
見ず知らずの私に、そっとあかりを灯してくれるような文章で、
読んでいるうちに涙が出てしまいました。
雨も降っているので、若干、センチメンタルな文章になってしまっていたら、
お許しください笑。
「女を表現して生きたい」の言葉に、具体的な問いを投げかけられて、
それってどういうことだろう?と考えています。
ただ、生きられなかった場所を表す言葉として、漠然と使っていたのだと思います。
女として開いていく思春期に、肌を喪失し、隠して生きるようになったのですが、
そこで止まってしまっている私の「女」がいます。
外に出たかった、私の「女」、認められたかった「女」。
そう考えていくと、「女」というより、その「女」をも内包した「私」のお話なのかもしれない
と思いました。
愛されないなら、表現しないでおこう、みたいな感じでしょうか。
だけど、別の部分で存在を表現しようとして、空周り。
なんでそんなに必死なの、とそう遠くない過去を振り返って思いますが、
だからといって、別の選択肢で救われたわけでもなく。
「女」の才能は、どうでしょう。
「女」を密かに研究してきたわけではなく、自分の不利さに傷つかないように
目をそらしてきたので、「女」が遠いと感じてきました。
だから、そこには疑問ですが、
「女を表現したい」が出てきたのも、
年齢的に身体が「女」の機能を終えていく今、仕舞い込んでいた願いのようなものが
最後に出てきたのかもしれません。
「心の美しさ」の面も、自信は全くありません。
自然に滲みでるもの・・・ないですね。
生真面目で暗そう、仲良くなれなさそうと思った、そんなことを同性から今も時々言われる
くらいなので。
安心感も、与えるも(小心者なので、気だけは遣いすぎと言われますが)
楽しく生きようっていう気概も、生まれないままでしたが、
根本さんのおっしゃる「これからは私の時代やね」を、少しだけ心に留めていようと思います。
根本さんの文章をまた読み直していたら、また涙が出てきました。
そして、関西のことばっていいですね。
いまだに「女」を表現する、の具体的な意味を見つけかねていますが、
“「ああ、やっぱあたし、女で良かったわ!」と深く実感しながら大ジョッキでビールを飲む“
日に出会えるように、まずは、泣きたいくらいに自分は女であるってこと、認めたいと思います。
ありがとうございました。
これからも根本さんの文章を楽しみにしています。
(Mさん)