夫の家族に嫁は合わせるほかないんでしょうか?



合わないものだから適切な距離を取ることがポイントです。
「私は私、相手は相手」と線を引き、期待を手放していきます。
「相手に合わせる」と「相手を理解する」の違いを学んでいきます。

さて、今日もリクエストにお応えしたいと思います~!
***
こんにちは。
いつも楽しみに読ませてもらってます。
投影の心理で片付きそうで、取り上げてもらえるか分かりませんが、嫁姑、義理家族の付き合いのテーマを取り上げてもらえないでしょうか?

私自身、結婚して二年ちょっとの新米ですが、もう義理家族、特に義母が苦手です。
私から見ると義母や親族はデリカシーがなかったり、常識がないです。
(長くてすみません。私の場合です)
義姉は自分の結婚の時、旦那から2~30万ももらっていながら、私達には一銭もありませんでした。
家族で行く旅行代はあるのに…。

義父は気さくさはあるものの、自分の話ばかりし、疲れます。
体型の事を言われ、失礼だ!と思った事もあります。

義母は、髪の毛が入ったハンバーグを出してきたことがあります。
「ごめんねー、気持ち悪かったね。さっき落としたんだ」
飲食店に勤めているくせに、それを私に出すの?とビックリ。

携帯代も家族割で旦那が払っていた頃、足りないのでは?と思い、明細が義実家に届いていたので見せるよう旦那に言いましたが、義母が見せることはなく、足りなかった分は時効と勝手に仕切ってました。

おまけに私の被っていたニット帽を○○みたいとバカにして義父と笑いだし、旦那が「流行ってるんだよ」と言うと、「そうなん?私は嫌い!」
失礼過ぎると思い、初めて反抗して、無視して帰りました。

旦那は私に謝ってくれるものの、やはり親なので、悪気はないと甘く見てる気もします。

正直関わりたくないですが、ずっと無視というわけにもいかず、気が重いです。
実親にも子供時代は苦戦しましたが、今は配慮があり、ずっとマシだと思えます。
やっぱり嫁が流したり、合わしたり、するしかないですか?
(Yさん
***

ごもっともなお話ですね。
嫁姑問題というのとは違うかもしれませんが、価値観の違う者同士の結婚、家庭ということになると、どうしてもこういう問題って起こり得ると思います。
大体、義母(姑)というのは価値観が合わないことがふつうと言ってもいいですから(笑)

とりあえずは周りに愚痴をぶちまけて日々の気持ちを解消することは大事ですね。

このYさんからのご相談なんですが、昨日のMさんとかぶるところがあるんですね。
「自分にはどうしようもないことをどうにかしようとしている」んです。

Yさんのケースでは「正しさの争い」が起きています。

義姉の結婚祝いの件。
義父が自分のことばかりを話す件。
携帯代の件。
ハンバーグの件。
ニット帽の件。

「私が正しくて、先方が間違ってる。だって、そうでしょ?」という戦う嫁姿勢になっていませんか?

もちろん、一つ一つはそりゃあいいことだとも思いませんし、ハンバーグの件はむしろ嫌がらせか!?と思ってもいいんですけど、問題はそんな表面的なことではないんですね。

「こいつらは敵だ」という風に意識してしまったら、彼らの一挙手一投足がすべてネガティブにしか見えなくなってしまうのです。
このモードになってしまったら、表面的な問題が解決したって何ら気持ちは収まりません。
すなわち、今さらながらとお金をくれたとしても、義父が話を聞いてくれたとしても、美味しい食事を提供してくれても、携帯代をきちんと精算しても、そのニット帽似合うね、と言ってくれても、今度は別の不満が目に付くんですね。

あれを言われた、これを言われた、という風に。
それがだんだんご主人にも矛先が向いていくでしょう?

「謝ってくれるけどでも甘い」から、だんだん「夫も結局は家族の味方。私は一人だ!」に変わって行きます。
まだそうはなっていませんか?

「期待」があるんです。
「彼らが自分と同じ価値観を持ち、同じ考え方、思いで行動する」ということに。
それを私たちは良く「常識でしょ?それが正しいでしょ?」と持ち出すのです。

私の大好きな沖縄では「7時からの飲み会に7時に行くと顰蹙を買う」という逸話があります。みんな7時なったからそろそろ準備しようかって感じだし、店側もまだ準備してない、みたいな。うちなータイムと言ってとても時間にルーズなんですね。もちろん、時間にルーズなわけですから、仕事内容も・・・(苦笑)
だから、内地から転勤した人はまずこの習慣に打ちのめされて悩む人が多いそうです。

でも、「ああ、沖縄ではそうなんだね。分かった。じゃあ、7時になったら家を出る準備をするようにするよ」って「相手の価値観を受け入れられる人」じゃないと沖縄ではやっていけないそうです。

海外に行くと「違う」って思い込んでるから、たぶん、違和感や理不尽さを感じても何とか理解しようとします。
でも、日本人同士の場合つい「同じ」って思い込んでるので、つい、自分と相手の価値観が同じになってしまうんです。

「正しさを追求すると幸せが逃げていく」と言いますし、このブログでもよく書いてます。

彼らがやっていることは確かに「正しい」ことではないかもしれません。
100人に相談したら、100人が「そりゃあYさんは悪くないよ。彼らが悪いよ」って言ってくれると思います。

でもそれが証明されたからって、彼らと仲良くなることはできないんです。
むしろ「お前らが間違ってんだよ。ほら、ここにひれ伏して謝れ!」って思いを強めてしまいます。

「そっか。彼らはこういう風な価値観を持ってるんだ」という「理解」が必要なんですね。
「理解」は「合わせる」とは全然意味が違います。

Yさん、いい人なんです。
場の空気を乱したくなくて、旦那さんの家族と仲良くしたいと思って、頑張ってるでしょう?
旦那さんの家族だからって何とか気に入ってもらおうと色々と気遣って来たんじゃないでしょうか?
だから、「私がこんだけ頑張ってるんだから」とか「私がこんだけ妥協してるんだから」と相手にも自分と同じことを求めたくなるんですね。

でも、そうすればするほど相手との違いが明確になります。
だから不平不満は一方的に増えるのです。

自分を押さえて相手に合わせようとすでにしちゃってるんですね。
郷に入っては郷に従え、と彼らの風習に何とか迎合しようとしてるんです。

「合わせる」と「理解」の違いを一言で言えば「違いをありのままに受け入れる」と言えばいいでしょうか?「我慢」があるのが「合わせる」、「我慢しない」のが「理解」と言えばいいでしょうか。

「そっか、この人たちは味噌汁の味噌は赤味噌を使うのか。でも、私はもっとあっさりした味噌の方が好みなんだよな」
「お義父さん、やっぱり男尊女卑な傾向があるんだな。うちのお父ちゃんもそうだったな」
「お義母さん、人の気持ちが分からないんだろうな。いつも一方的だしな。私、そういう人、苦手なんだよな」

そういう風に色を明確に分けていくんです。
私、あるクライアントさんに「お姑さんとの違いリストを作ってくださいね」って伝えることがあります。

何が正しいか?ではなく、どう違うか?に注目するんです。
そうするとYさんも自分と彼らとの間に「線」が引けます。
線が引けるということは、期待もないし、迎合もないし、我慢もない状態です。
「私は私、義母は義母」です。

そしたら「それなりの付き合い」ができるようになるんです。
職場とか習い事とかでも「合わない人」っているでしょう?でも、それなりの付き合い、しますよね?「あの上司は絶対仲良くなれない!」って給湯室で愚痴っても、頼まれた資料はちゃんと作るでしょう?「仕事だからしゃあない」って自分を納得させるでしょ?

そのニット帽、笑われたら傷つきます。
でも、それは無意識でも「かわいいって言って欲しい、受け入れてほしい、これがファッションなんだからと分かって欲しい」という期待があるからなんです。

でも、もし、Yさんがそれが本当にオシャレでやってて、自分に似合ってて、好きなものだとしたら、なんやこいつ、と思うかもしれませんが、堂々としてられるんですね。だって「ああ、この人たちにはこのセンスが分からないんだな」と線を引けるからなんです。
そしたら「これって可愛いと思いません?今、流行ってますし、きっとお義父さんも似合うと思いますよ~。かぶってみます~」なんて言えます。

でも、分かって欲しいって期待があると、ただただ裏切られて傷ついてしまうんです。

「自信」と言えば「自信」です。
自分の感覚に自信を持つ、ということです。
線を引くためには大切な心がけなんですけどね。

ずいぶんと長くなってしまいました。
「投影」でももちろんお話しできますけれど、今日は「正しさの争い」「価値観の違い」などの軸でお話させて頂きました。

あと最後に一言。
彼らのお陰で「私の親はまだまともなんだ」と思えて親しみと有難みを感じませんか?
それは彼らからの大きなプレゼントかもしれませんね。

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☆根本本。
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