「自分にできることしかできない」わけだから。



良かれと思ってしたことが誤解を招くこともあります。
でも、「良かれ」だからいいと思うのです。
「自分にできることしかできない」と思えば、そんな自分も相手も許せます。

「自分が良かれと思っていても、それが通じないケースもあるんだよなあ・・・。」

長い付き合いのコンサルさんがボヤいてました。「誤解されたの?」って聞いてみると「まあね。誤解といやあ、誤解。僕が悪いっちゃ、悪いんだけどね。ちゃんと相手に分かるように説明しなかったわけだからコンサルタントとしては僕のミスなんだよ」と。

「そうなんだ」と彼の話に相槌を打ちつつも、彼がそんな誤解を受けるような人物には思えず、彼にその辺の事情を突っ込んで聴いてみたわけです。その辺が彼の優しさなんだな、と思いながら。


彼としては「もっと情熱的に、本気で向き合うといいですよ」と言ったつもりでした。やる気を前面に出して、自分が本気であることを顧客に訴えるといいですよ、と。

しかし、クライアントさんはそうは受け取らなかったようなんです。
「お前、俺のやり方を否定するのか?」と。

『俺は俺で一生懸命やってるんだ。お前が言う、情熱的に顧客に訴えて来てるんだ、それでうまく行かないからお前に相談してるのに、その物言いはなんだ?』

そんな風に切り替えされたそうです。

彼としては「申し訳ありません」と頭を下げるほかできなかったそうです。
言いたいことは山ほどあれど、でも、それだけ怒らせてしまったわけで、言い訳はできないのですよね。

「そういう時、お前ならどうするのよ?」と彼に聞かれたんです。
まっすぐな問いかけでした。
そのとき、綺麗事抜きにこう思ったんですね。

「自分にできることをお伝えして、あとはお任せする」と。

そう、自分にできることしかできない、と。
周りは色々と期待するし、比較もするけれど、自分にできることしかできない、と。

「そうだよな。誤解を怖れちゃ、意味ないよな」
そう彼は笑顔で言っていました。

元々自信のある彼ですから、このやり取りも想定内、という雰囲気でしたけど。

「自分ができることしかできない」

これは私がずっと肝に銘じている言葉です。
天狗にならず、でも、卑下しし過ぎることもなく。
相手の期待に応えなければというプレッシャーも感じつつ、「でも、自分ができることをする」と開き直りつつ。

「自分ができることしかできない」

この言葉を感じ始めてから、周りの人の言葉が気にならなくなりました。
自分が良かれと思ったこと、相手のためだと思ったこと。
それらを一生懸命やっていくことしかできないよな、と。

その瞬間から世界は広がりました。
そっか、自分にもできることはある、と。
しかし、周りは「比較」もしますし、「競争」を仕掛けてきます。
『その手には乗らないぞ』と思いつつも、つい、引っかかってしまうことがあります。

私にとっては勇気をくれる言葉なのです。

毎日使える心理学講座

 ★好評発売中!根本裕幸の近著。
こじれたココロのほぐし方 頑張らなくても愛されて幸せになる方法


あわせて読みたい