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暴言、否定、モラハラ、パワハラ。そんな時、私たちは傷ついてしまい、自信を失い、自分を責めたり、相手を否定したりしたくなります。
でもそれは悪循環を助長することになるんです。
そこを抜け出すために、“変態的目線”をお勧めしています。
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上司から目の敵にされてるみたいで・・・という相談を頂きます。
何かと自分にだけ酷いこと言ってきたり、書類を突き返したり、他の人には言わないであろう暴言を吐いたり。
モラハラ・パワハラ的な言動が続いて、仕事に行くのが嫌になってしまった・・・。
なんで自分がそんな目に合わなきゃいけないんだろう?
自分のどこが悪いんだろう??と悩みます。
自分の言動に問題がないか?という点も気になるかもしれません。
確かに人には相性があると言えばあるものですし、相手の「シャドウ」になってしまうことも時にはあります。
シャドウってのは簡単に言うと「受け容れられない、苦手な、嫌なタイプ」のことですが、実際は自分の内面にある自分が自分で許せない、受け入れられない、嫌っている要素を相手に投影して起こります。
例えば、自分がすごく気を使う人で、そんな自分を嫌っていると、自分に対して気を使ってくる人のことがすごく苦手になります。
きちんとしなきゃ、と思っている人にとっては、きちんとしていない人がシャドウになります。
だから、その上司にとってあなたがシャドウになっている可能性も否定できません。
ただ、なぜ、私にだけ?という点を見て行くとちょっと違う見方・・・若干、変態的な見方ができるんです。
ちょっとあなたの意識を変態レベルに挙げて頂いて・・・、そして、こう考えてみてください。
「もしかして、私のことが、好き?」
「もしかして、自分に甘えてる?」
いやいや、言動からはそうは思えません。
すごく否定してきますし、むしろ、めっちゃ嫌われてるようにしか思えません。
きっと相手も「好き」とか気付いていないと思います。
しかし、否定する、暴言を吐く、怒る・・・これらの行動は「自分のことを受け入れてくれる人」限定で起こります。
これは事実です。
もし、その上司が街行く全然知らない人に同じことをしたら、間違いなく逮捕ものでしょう。
だから、私たちは怒りをぶつけるとき、無意識に「自分のことを受け入れてくれる人」を選びます。
全然嬉しくないですよー。
もっと素直に好きって言うてくれたらいいですよねー。
まあ、それが出来ないんですけどね。
まったくもって信じられない(信じたくない)ですが、だから、変態レベルなのですが、「もしかして、私のことが好きなの?」という思いはかなりあなたを救ってくれます。
だから、その怒りをちゃんと愛情だと思って受け入れなさい、ということを言いたいんじゃないんですね。
モラハラやパワハラはとても心に傷を残すし、決して良い行為ではありません。
あなたの中の解釈を少し変態レベルに移行するだけです。
怒りを使う、攻撃するってものすごくエネルギーを使うんです。
だから、よほどのことが無い限り、そのエネルギーを放出することを人は望みません。
すごく疲れるし、自己嫌悪だってしますし、罪悪感もハンパないです。
でも、わざわざそのエネルギーを使うってことは、それだけ相手にとってあなたは特別な人なのです。
もちろん、これは無意識的な行動です。
自覚もありません。
言動から読み取れません。
でも、「私のことが好きなのね」と思った時に、あなたはある種の自信を受け取ることができます。
そうすると、相手のその攻撃から自分を自由にすることができるのです。
そこで「私が悪いから」「相手の言うことは正論で確かに私はちゃんとできていないから」と自分を責めると、どんどんその関係性は悪化していきます。
ましてや自分の正しさを主張したり、表に出さなくてもその上司を心の中で否定したりしても同じことです。
その攻撃性はますます過激になって行くでしょう。
「好きなのね」という思いは、そんな悪循環を断ち切る力があります。
そして、あなたに自由を与えます。
だから、逃げることも、交わすことも、できるようになるんです。
「私、愛されてるんだ」という“変態的な”(けれど真実の)思いはそこで素晴らしい力を発揮してくれるのです。
でも、本当なんですよ。
あなたの大きな器に相手が甘えてるってこと、あなたのことを特別視していること、あなたのことが好きなこと。
あなた自身が自分の器、愛を信じていないだけで。
実際、こういう変態的なアプローチを提案するとどのクライアントさんも「ええーっ!無理ですー!!」ってドン引きされます。
だから、そう思い込んで下さいね、と「思い込み」おお勧めします。
だって理屈でも感情でも全然そう思えないですから。
「だから、もっと自分を愛しましょう。自分のことを好きになりましょう」というのが本筋なんですね。
自分が素晴らしいこと、愛の存在であるということ、それだけ大きな器を持っていること、そこに甘えたい人がいること、その人は不器用過ぎて素直に愛を表現できないこと、そういう間違った形でしか甘えられないこと、それを受け取りましょう。
それくらい自分が偉大であることを受け入れましょう。
そういう目線で相手を見られたら、きっとあなたの感じ方も見方も変わります。
それがこの関係性を変えるきっかけになるのです。
※もちろんこのことはパートナーシップや親子関係にも当てはまります。