流れ弾の被害(説教されてる本人よりも近くでそれを聞いてる人の方が辛い)



先日のカウンセリングで「隣の席の上司がよく部下を呼んで説教するのだけど、私の側に部下を立たせてするものだから、自分に言われてるような気がして辛い」という話がありました。

そういうの、辛いですよね。
「流れ弾に当たる」みたいなもので、その上司が部下に説教している内容がすべてではないにしても、自分に当てはまったりするとなると、まるで自分に言われてるような気になります。
しかも、怒られてる当事者じゃないですから、何も言い返すこともできず、まさか席を立って逃げるわけにもいかず(説教は延々30分~1時間続くそうなので)、仕事をしてるふりをしながらただ耐えるだけですよね。


こういうことって皆さんも体験ありませんか?

お父さんがお兄ちゃんをえらく怒っていて、それを側で聞いててめっちゃしんどかった、とか。
怒られてる当のお兄ちゃんは自分のことだけど、妹(弟)の自分は間接的だから余計に堪えてしまいます。
しかも、お父さんの怒りがいつ自分に向けられるかもひやひやものですよね。

怒りそのものを向けられることが嫌で怖い、というのとは別に、その説教や怒られてる内容が自分に当てはまると感じるところがポイントなのですね。

その上司が「お前はいつも期限を守らず、周りに迷惑ばかりかけている。ミスも多いし、もっとしっかりすべきじゃないのか。それでもイチ社会人なのか。入社何年目だ?5年もこの会社にいて、そんなこともできないのは恥ずかしくないのか。」などと説教してるとします。

もし、自分で「期限を守れないことがある」「仕事でミスをして周りに迷惑をかけたことがある」「自分は社会人としてまだまだ未熟だと思う」「大人に成り切れていない」「入社10年目だけど、まだまだ分からないことがたくさんある」などの自己嫌悪や罪悪感などがあると、その流れ弾は確実にあなたの心にヒットしてしまうのです。

そんな流れ弾の被害に会った時にも学びはあります。

・怒りを怖れていること(怒られることを怖れていること)
・自分が不十分だとして、自己嫌悪していること

隣で説教されてる部下は、そのことに気付かせてくれていると言えるんじゃないでしょうか。

・怒りを受け入れること、向き合うこと。
・自分を許し、責めないようになること。

その気付きを得て、学んだとしたら、部下が隣で説教されてても嫌な気分はかなり減ります。

しかも、「部長、こっちに向けて言わないで下さいよ。話するなら、あっちの簡易応接使ったらどうです?」と言えたりするのです。

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