隠れた罪悪感~なぜかうまく行かない、の影にある恵まれてることへの罪悪感~



先週末の土日、東京でヒーリングワークをしてきました。
今回もまた濃密な2日間。
参加者がいつもより少なかったので、少ないなりにできることをしてみました。
私も研修生も全員参加してグループワークをやったりね。

そのワークのテーマの一つは【隠れた罪悪感】。

まあ、これはなかなか複雑なところがあります。
少し前にもネタにしましたが、大切なことなので改めて触れてみたいと思います。


例えば、「健康であることに罪悪感を持ってる」って言われたらどう思います?

「ええーっ!そんなの問題じゃないじゃん。罪悪感なんてないよ!?」

って感じませんか?
でも、自分の周りに病気の人、健康じゃない人がいて、その人が苦しんでいるように見えたとしたら、「ごめん。自分、健康で」と罪悪感を感じてしまうのです。
しかも、その人が大切な人であればあるほど。

(逆に言えば、そんな罪悪感を感じるということは、その人のことがそれだけ大切ってことの証ですけどね)

自由であることに、
恵まれていることに、
お金があることに、
仕事があることに、
目が見えることに、
体が動くことに、私たちは罪悪感を感じてしまうことがあるのです。

それが家族やパートナーなど長年付き合う相手に対して感じてしまうと、慢性化するくらい見えなくなります。

小さい頃からお母さんが病気がちで床に伏せがちだったとしたら、健康であることに罪悪感を感じ、成長してきた可能性もあります。
お母さんが健康でないことを悲しみ、寂しく感じると同時に、元気になって欲しいって気持ちもあります。

もちろん、麻痺しますから、罪悪感があることに気付けません。
ただ、麻痺しているわけで、無くなったわけではないので、罪悪感に基づく現象は起こります。

罪悪感は自分を縛ります。そして、罰します。傷つけます。
幸せになることを許さず、補償行為という名の犠牲を繰り返させます。
うまく行かないように策略し、ネガティブな結果を引き寄せます。
それは自分を攻撃することでもあり、また、その相手を攻撃することもあります。(お母さんが病気がちなせいで、友達を家に呼べないじゃないか!とか)

でも、気付けば手放すことができます。

「お母さん、僕が健康でごめんなさい。」
「お父さん、僕が自由に生きてごめんなさい。」
「お母さん、嫌ってごめんなさい。」
「お父さん、遠ざけてごめんなさい。」

そして、感謝し、愛情を伝えます。

健康に感謝します。
自由に感謝します。
お母さん、ありがとう。愛しています。
お父さん、ありがとう。愛しています。

お母さんのお陰で健康の大切さを学び、自分が健康でいられることの喜びを感じました。
お父さんのお陰で自由の大切さを知り、自分が自由でいられる喜びを感じました。

もし、何も問題がないように思えるのに、なぜかうまく行かない、幸せを感じられない、窮屈さを感じる・・・という時は、そんな隠れた罪悪感があるかもしれません。

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