存在を誇示する「でも」。


人と話をしていて、そんな気はないのに「でも」という言葉を使ってしまいません?
「でも」は“人生を不幸にする3D”の一つですが(他の二つはDatteとDouseね)、相手の発言を否定する意味だけで使われるわけではないようです。

自分に注目を集めたい。
もっと自分の意見を聞いて欲しい。
ちゃんと自分を見てほしい。

そんな自分の存在を誇示する目的で、敢えて「でも」を使ってしまうことってありませんか?
私はありますね~。
案外、よくやります。


「川は山から海に向かって流れます。」
「でも、時には逆流するじゃないですか?河口付近では」(屁理屈を言ってしまう。)

「なかなか君と会う時間、作れないんだよ」
「でも、ずっと仕事しているわけではないんでしょう?」(嫌味になってしまう)

「今日の晩、カレーライスでいい?」
「でも、あまり胃の調子がよくないし・・・。でも、ま、いいよ。カレー好きだし」(ほんとは嬉しい)

発言してる側は「なんだよ!?」という気分になって、時には「怒りモード」になりやすく関係を悪くしてしまいます。

気難しい奴、中二病、めんどくさい奴、ああ言えばこう言う奴・・・そんなレッテルが付いてしまうかも。
少なくても胸襟開いて話そう、という態度にはなかなかなりにくいですね。

素直に「そうだね」「そっか、寂しいな」「ほんと、嬉しい!」て言えないんですね。
そんなんじゃ、注目してもらえない、分かってもらえない、負けてしまう、相手にされなくなる、という思いがあるのでしょう。
いわゆる、無価値感の一つですね。自信の無さ、と言いますか。

何か言わないと・・・という思いが、「でも」を使わせてしまいます。

あなたはあなたのままで大丈夫。

まずは、素直になれない自分に素直になるところから。

今の私は“でもでも星人”。目標は、脱・でもでも星人。で、OK。

突っ張っちゃう自分をかわいがって、愛してあげて。

心理学ミニ講座

 

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