天職って何?ほんとうにあるの?(心のアンケート集を受けて)



心のアンケート集でも公開されましたが、コメントを寄せている関係で、天職について私の思うところを改めてコラムに纏めさせていただきました。

天職については私も以前からとても興味があるテーマで、カウンセリングはもちろん、ワークショップでも積極的にこのテーマを扱わせていただきました。
カウンセリングというと悩みを聴いてもらう、あるいは、問題を解決する、そんなイメージがあろうかと思うんですが、時々世間では成功者と呼ばれる天職にめぐり合えた方も足を運んでいただき、普段なかなか口に出せない愚痴や悩みを話していただいたり、あるいはお茶会のように世間話に興じたりして、ひと時を過ごさせて頂くこともあるんですね。


そうした皆さんに共通するのは、とても“自然体”であるということ。
話の仕方も聞き方も、所作も、ほんとうに自然で、また謙虚でいらっしゃるんですね。
専門領域に関するところでは語気を強められることもありますが、全般的に穏やかで、かつ、明るく面白く元気に振舞われるんです。
そして、とても個性的。一度会えば忘れられないような、そうした魅力を振りまいてらっしゃるんです。

そうした経験や私が心理学を学ぶことを通じて分かってきたことは、天職というのは、そんなに力を入れなくても、無理に頑張ろうとしなくても、自然にそこにあるもの、という感じがしているんです。

私の天職探しのセミナーでは、「これがどう仕事と結びついていくの?」なんて実習をすることが少なくないんですね。
例えば、「あなたが幼稚園や小学校低学年の時に夢中になったこと、楽しかったことってなんでした?」なんて質問をしたりするんです。
冷静に考えれば「へ!?」と思うでしょう。そんなことがどう関係しているんだ、と。
でも、私から見ると天職というのはハローワークで案内してもらえるものでも、就職情報誌に掲載されているものでもなく、自分が好きなものに素直に、また、自分の感覚を大切に、また、その時々の流れに委ねていけば自然とめぐり合えるもの・・・いや、正確には、気が付けばそこにあるもの、だと思うんです。

だから、「やっぱりな・・・」という感覚や「なんだ、これだったのか。でも、納得」とか、そんなに大きな感動はないものだろうとも思うんですね。
「そりゃあ、好きだもんなあ・・・」というものだろうと。

私の好きな小説家たちは皆さん、幼い頃から勝手に「自分は小説家になるんだ」と決めて、当たり前のように本に没頭し、何度も原稿を持ち込み、批判されても、体がボロボロになるまで締め切りに追われても、決して投げ出さないんですね。
エッセイを読んでて、何でそこまで本を読めるんだろう?と思ったりするんですけれど、彼らにしてみれば、それが自然で当たり前で好きなことだからなんだと思うんです。
だから、苦労も苦労でなくなってしまうところが彼らの表現力を通してヒシヒシと伝わってきます。

だから、セミナーでも、カウンセリングでも、天職探しといえば、自分の「好き」とか「自然」とか「当たり前」とか「普通」とか、そういう部分を探していくことに注力しています。

そうすると、自然と参加者の皆さんの表情が明るく、元気に、そして、楽しそうに変わっていくんですね。
で、その表情を見て私はこう伝えるんです。
「きっと皆さんが天職に就いたときも、今みたいな気分で、今みたいな表情をされてると思いますよ」って。

そうしたセミナーを重ねたり、カウンセリングを通すことで、私の中には、天職というものがそれほど特別なものではなくなっていったんです。

例えば、私は今の仕事はとても天職に近いもの(=まだ決め付けたくないので(^^))と思っているんですが、はっきり言ってカウンセラーやセラピストになりたい!と強く思ったことってあんまりないんですね。
なれたらいいけど、まあ、無理ちゃうかな~、でも、好きなことだから関わっていきたいな~程度だったんです。

それが仕事の話をたくさん頂くようになって、周りの人からは変態扱いされるほどにカウンセリングの本数をこなし、周りの人たちが呆れるほどに出張生活に勤しんで、確かに疲れたり、もうイヤだ、と思うことはあっても、でも、これが普通というか、当たり前なんだろうな、と思ってやっています。

以前勤めた会社では残業が続くのはしんどかったんですけれど、おそらく今はその時代よりも働いてる日は多いんですけど、それがイヤとか思わないんです。自然でごくごく当たり前のこと、って思うわけです。

でも、よくよくそれを見つめていけば、私が昔から好きだったこと(の要素)は何かというと、

・人と話すこと、人と接すること=苦手で得意ではないけれど、やっぱり好きだった

・物事を企画したり、アイデアを考えること=創造性は私にとってはほんとワクワクするもの

・自由であること(動けること)=私に会った方は分かると思いますけど、じっとしていることは無理なのです!

・空想家(妄想?)=色んなことを想像(妄想)するのは好きなことでした。

などというところなのですが、これって今の仕事が多いに持つ要素なんですよね。
逆に言えば、これらの要素が揃えばカウンセラーじゃなくてもいいんだろうな、と思うんです。そして、それもまた天職なんだろうな、と。

だから、前の仕事は色々と就職活動をして、企業分析もして、おそらくこの仕事ならば頑張っていけるだろう、と思って就いた仕事でした。
幸い色んな企業の方に気に入って頂いたので選択肢も多く、それゆえに、自信を持って選んだんですけれど、結果は・・・大変申し訳ないことになってしまいました。
それでも与えられた仕事には責任持って、できるだけ後を濁さずに飛び立ったつもりなのですけど、今から思えば、その仕事は「周りに流されたり、カッコつけたり、自分のことを分かったつもりになって就いたもの」で、自分らしくない、そもそも合わない、理解できないことがたくさんあり過ぎたんですね。

だから、今の仕事に来るのも流れだったのかな、と思うんです。
そして、その流れはほんとうに絶妙に組み合わされていて、一つ間違えばここにはいなかったな、というところでもあるんです。

というのも、前の会社をほんとうに辞める前に、一度、仕事に行き詰まって、辞めようと思ったことがあるんですね。そして、上司にもそれを伝え、日もある程度決まったんです。
でも、その後のことは全然見通しが無かったし、無謀だったんです。
それに気付いた(というか、ほんとうは始めから気付いてたんですけど)時、恥を忍んで辞意を取り下げ、会社に留まった事があるんです。
結果的に、そのとき自分の苦しみから逃れるために会社を辞めてたとしたら、今の私はないと思うんです。
一度恥をかいて、でも、もう一度きちんと仕事を頑張り、きちんと責任を全うして、今度は胸を張って“卒業”させてもらったんです。
そのとき、当時の上司がこう言ってました。
「1年前に君が辞めたいと言ってきたときには正直危ないな、大丈夫だろうか、と思った。でも、今の君はきっとうちを辞めた方がうまく行くんだろう、という気がする」って。
それは大きな励みになりましたし、同時に以前の見通しの甘さを見透かされていて、また自分の未熟さを感じたものです。

だから、そうした経験を踏まえて改めて考えてみれば、ほんとうの天職というのは、自分の好きなことを大切にし、今目の前にあるものに全力を投じていれば、自然と流れがやってくるもの、と思うんです。
後はその方向に舵を切る勇気。でも、それが天職であれば、その勇気すらちょっとした工夫で乗り越えられるものだと思うんですね。

そして、セミナーでもお伝えするんですけれど、天職なんてものは食える保証もないものだと思うんです。(だから、天職に対して適職という、天職を支える仕事が生まれたりもします)

正しくは食えるかどうかは自分次第で、食えるようにしていくのも自分自身だと思うんです。
なぜなら、その道では自分自身がリーダーで、パイオニア(開拓者)ですからね。

もし、皆が自分が好きなこと、楽しいことを仕事にしながら毎日を過ごせたら、きっと世の中はもっと明るく平和になると思いませんか?


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