(6/7)自由



いよいよ梅雨入り宣言だそうで、大阪は夕方から激しい雨が時折降っていました。
その前は暑いながらもいい天気だったんですけどねー。

僕や原の共通のお客さんで今、宮古島に長期旅行に行っている方がいらっしゃるんです。
彼女が僕ら宛に、宮古島のパンフレットや写真や色んなものを送ってくれまして、カウンセリングの待ち時間にじーっと眺めてました。

「行きてぇ・・・」

沖縄でも宮古の海岸がもっとも美しい・・・なんて言われているそうですね。
空も海も、もう、うん、何と言っていいのかすごくキレイで、心はすっかり宮古島に飛んでいました。
体も飛ばしたい・・・。

因みに原はその写真に刺激されたようで、「じゃらん」の沖縄・北海道特集号を早速購入したようです。
自分でも言ってますけど、ほんまに影響されやすい奴ですねえ・・・。

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昨日の最後は「自由」で結びましたので、今日は「自由」をテーマにしてみたいと思います。

僕のカウンセリングの中ではよく解放・自由をテーマにしたセラピーをしています。
自分を解き放つ、自分を自由にする、そんなイメージを作っていくんです。

でも、自由というのは、じゃあ、何でもしていいのか?というと、もちろん違うんですよね。

自由には必ず責任が付いて回ります。
その責任というのは、そのシーン一つ一つに関係する人や社会性に対するものです。

好きにしてるだけだとしたら、それは自由ではなく「わがまま」「自分勝手」と呼ばれます。

だから、子どもは「自由」ではなく「わがまま」と言われることが多いんです。
つまり、「自由」というのは大人に与えられた一つの特権かもしれません。

「自分を自由にしてあげる」ということは、いつの間にか自分を縛ってしまっていた鎖をほどいてあげること。
その鎖というのは、親や周りから押し付けられたり、あるいは自分自身で作り出した「ルール」です。
「~してはいけない」「~しなければならない」という「観念」です。

このルールや観念があると、縛られて自由を奪われる代わりに安全は保障されるかもしれません。
でも、その分、退屈したり、窮屈だったり、希望が見えなかったり、問題が起こったり、あまり幸せになれないことが多いような気がします。

自由というのは、そこから抜け出して、自分自身の責任で物事を選択していくことではないでしょうか。
だから、自由というのは、とてもクリエイティブな響きがするんだと思います。
マニュアルに縛られることなく、ルールに振り回されることなく、クリエイティブに生きたいですね。


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