大嫌い→自己嫌悪→ニーズ→痛み→才能。



リトリートセミナーでの解説の一部。
めんどくさがってるだけじゃなく、ちゃんと説明もしてるんです!!笑

ちなみに今回はお弟子がけっこうたくさん参加してくれてるんですけど「お弟子の講座の中でこんな説明聞いたことない!」と不満を言ってまして、まあ、そりゃわずか半年のお弟子講座で全部は説明しきれんよなあ、っていうか、これって僕の軸の一つになってる考え方なんだけど教えてなかったっけ?あれ?うそ?マジ?

大嫌いな上司がいる。

それは自分の心の中にある「大嫌いな自分」の投影である。

そもそも「大嫌いな人」というのは「同族嫌悪」であることがほとんどで、その人と自分は実は「そっくり」ということが多い。

とはいえ、その「大嫌いな自分」ってのは封印されていて、自分でも見ないようにしているから「そっくり」だなんて意地でも認めたくない。

そして自分はその「大嫌いな自分」を隠し、それを「反面教師」にしてそうじゃない人格(ペルソナ)を作り上げる。

例えば、「ズルくて、嘘つき」な自分が大嫌いだとすれば、「誠実で、まっすぐ」という人格を作る。

「感情的で心配性」な自分を嫌えば「理性的で合理的」な自分を作り上げる。

そうするとなぜか自分の前に「ズルくて、嘘つき」な男が現れ、「感情的で心配性」な女が現れたりする。

当然、その人のことが「大っ嫌い」になる。

さて、表面上はそのようなことが起きているのだけど、じゃあ、なんで「ズルくて、嘘つき」「感情的で心配性」な自分のことを嫌うようになったのだろう?

そこに「ニーズ」が隠れている。

ズルくて人をだましてでも欲しいものを手に入れたい。
自分の感情を出したい。

じゃあ、なんでそんな「ニーズ」を持つようになったのだろう?

それは「傷ついた」から。

大っ嫌いな上司がいるのは大っ嫌いな自分を投影しているからで、大っ嫌いな自分はそれだけ強いニーズを持っていて、そのニーズを隠すためにそれを嫌っていて、そのニーズの分だけ強い痛みを抱えている。

どうしてももう一個食べたいお菓子があって、でも、お母さんは「ひとつだけよ」と言っていて、でも、どうしても欲しくて「まだ食べてない」ってウソをついた。
でも、お母さんはそのウソに気付いてものすごく怒られた。
それで悔しいし、申し訳ないし、ウソをついた自分もイヤだし、ごめんなさいだし、で、わんわん泣いていたら、お母さんが「いつまで泣いてるの!」とまた怒られた。

大人から見れば小さな経験だけど、子どもからすれば人生をかけた大きな痛みになることもある。

もちろん似たような経験はいくつもあって、何度も傷ついて「ズルくて、嘘つき」な自分を封印していくことになる。

その「痛み」を癒すのも大切なひとつのアプローチであり、重要なもの。

でも、そこで終わらずにもう一つ下を見ていくとそこに私たちの「才能」がある。

この才能ってのは多岐にわたっていて心理学では「gift」と呼ぶ。「talent」ではない。

生まれてくることでこの世のために持ってきた贈り物(gift)である。

「ズルくて、嘘つき。欲しいものを手に入れるには手段を択ばない。」の裏にはどんな才能があるのだろうか?

「感情的で心配性」の裏にはどんな才能があると思う?

答えはあるようでないから考えてみてほしい。きっと自分の才能を見つけるヒントにもなると思うから。


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