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自分を愛し始めると「自己充足」ができて心が安定していくものなのですが、その一方で、子どもの頃に感じた強烈な寂しさが顔をのぞかせたり、燃え尽き症候群のように動けなくなったりすることがあるんです。
その背景と、どうしたらいいのか?の方法を4つ提案しています。
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私は長らく当たり前のような自己否定を動機に何事もエンジンをかけてきました。
私は足りないから頑張らないと、と。
愛されたい繋がりたいから前に前に進んで来た感じです。
でも自己肯定感を学ぶと、愛されるための行動にストップがかかりました。
でもそこでずっと止まってる感じです。
だってそれしかなかったというか…
愛されたいが唯一の生きるエネルギーだったようです(無自覚でしたが)
自分で自分を愛そうとそれ以来2年自愛活動に勤しんできました。
ですが、今改めて…やっぱ愛されたいたい!今の自分のまま愛されたい!
自分でじゃなくて、私以外の誰かに愛して欲しい…!という振り出しに戻る状態です。
自分で自分を愛そうと思うほど、強烈な寂しさがやってきます。
とりあえず寂しさは甘いものと美味しいご飯を多めにとって(ボディラインの崩れには目を瞑って)刹那的に満たしてます。
あとお恨み帳に「さみしい、やだ、やだ、なんで自分で穴埋めちゃいけないの!?埋めてほしい!私の穴にぶち込んでほしい!(下みたいな表現ですみませんあくまで心の話ですハイ)」と書き殴ったりしてます。
ちなみに野良猫属性なので、自分を好きにさせてその好意でうっすいニワカ自尊心を何枚も重ねて着込んで寒さを凌いで来た人生だと思います。
野良猫行為を自主規制した禁断症状に苦しみ中です。
お酒全く飲まない方だったのに最近休日毎に昼から飲んでます(手酌1人酒)
また燃え尽きがあるので女性性に取り組もうとするほど受け身の自分が強くなり、自分で自分を満たすアイデアや行動を前ほどやれなくなってただぼんやり「いつか王子様が…」な痛い中年女に仕上がりつつあります笑
自愛へのモチベーションを復活させる考え方や、女性性活性化で受け身幻想に陥った場合へのアドバイスなど説いて頂けたら大変ありがたいです。
(Yさん)
>私の穴にぶち込んでほしい!
きゃっ!(〃ノωノ)
えろーい!!やらしーー!!
>私の穴にぶち込んでほしい!
きゃっ!!(*ノωノ)
好きです。こういうストレートな表現(はあと)
・・・で、なんでしたっけ?そこだけ切り取るなって?笑
あ、寂しい、ですね。
5月にそんな本が出る予定なので、それ読んでください。(冷たい)
>私の穴にぶち込んでほしい!
きゃっ!!!(/ω\)
やだー。
じゃ、今日はこの辺で!!!
・・・・というわけにもいかず、Yさんのカラダ、あ、いや、お話をネチネチと攻めてみたい思います。
ツッコミどころ満載なので(下みたいな表現ですみませんあくまで心の話ですハイ)、どこからイこうか迷いますね・・・。
けど、共感される同志のみなさまも多くないでしょうか??
これ、結構あるあるだと思うんですよね。
>私は長らく当たり前のような自己否定を動機に何事もエンジンをかけてきました。
>私は足りないから頑張らないと、と。
>愛されたい繋がりたいから前に前に進んで来た感じです。
ああ、分かる分かる。あたしもそうだわー。同じ同じー。という声がそこかしこから聞こえてきそうです。
そして、ほとんどの人が幼少期から頑張る理由ってこれです。
愛されたい!!という思いから頑張るんです。
けど、頑張っても愛されないから「そんな私はダメなんだ!」と自分に鞭を一発入れて(自己否定して)、さらにエンジンを吹かして「もっと頑張らなきゃ!」と頑張るんですね。
それってめちゃくちゃ疲れるんですが、それでも「愛されたい」という欲求が勝るので、もっと頑張らなきゃ!!とひたすら自分に鞭を入れるのが当たり前になります。
やがてそれが癖になります。
「愛されるために」が「必要とされる」「求められる」「頼られる」「任される」などと意味変しながら頑張り続けるのが当たり前になります。
ところが、なかなか思うように愛されないし、多少は望みが叶ってももっともっとと思うようになるだけなので、全然楽になりません。
その先に待ち受けるのが「燃え尽き症候群」ですね。
何かの拍子にエンジンがストップしちゃって「動けない」となるんです。
もちろん、そのときに感じる不安や焦りは猛烈ですし、そこでさらに鞭を振るう自己否定もまたすさまじいものがあります。
で、どうしたらいいんだろう?とネットをさ迷っていると、ふと「自己肯定感」という言葉が目に留まるんです。そこには「自分を受け入れなはれ」」「自分をまずは愛しなはれ」というメッセージが並んでいます。
で、思うんです。
「自分を愛するって何それ?日本語?自分を受け入れるって何?どうすんの?」
そうして「愛されるために頑張ってもむなしいだけなんだ。そうか、自分で自分を愛してあげればいいんだ」ということに気付きます。
そして、自分を愛することにエネルギーを向け始めるのですが、今まであんまりやったことがないので要領がすぐにつかめないだけでなく、いまいち満たされる感覚がありません。
さらに、それまで自分の主要なエンジンだった「愛されるために」が使えなくなってしまったので、全然エネルギーが湧いてこないわけです。
それでよく「自分軸と自己肯定感を実践してたら無気力になっちゃった問題」が出てきます。(これは最近のブログでもちょくちょく扱ってるテーマですね)
で、どうしたらいいのー?ねえ、何をしたらいいのー?という疑問にぶち当たるんですよね。
そして、Yさんの場合はこんな気持ちになっちゃったんですね。
>自分でじゃなくて、私以外の誰かに愛して欲しい…!という振り出しに戻る状態です。
>自分で自分を愛そうと思うほど、強烈な寂しさがやってきます。
まあ、そうですよねー。「誰かに愛してほしい」という欲求ってやっぱり強烈ですから。忘れようにも忘れられないし、誰の心の中にもしっかりとあるものだと思います。
子ども時代はそれだけで頑張ってきたとも言えるものですし。
そして、誰か、を求める分だけ、寂しさ、も付いてきます。
「私を愛して!誰か愛して!」と思っているのに、誰も振り向いてくれなかったら、そりゃあ、めちゃくちゃ寂しいですよ。
この気持ちが痛いほどわかる方も同志のみなさまには多いと思います。
結局、寂しいのよね・・・。何してもむなしくなっちゃうのよね・・・。結局、誰かに愛されることを実感できないと安心できないのよね・・・。と。
なので、5月に出る本を読んでね!(はあと)(丸投げ)(2回目)
ってことで、まあ、どうしたらいいんだろうね?って話を今からさせてもらおうと思うのです。
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本質的な問題から。
子どもたちが「愛されたいから頑張る」のは親の愛を独占したいがためです。
きょうだいがいれば、自分が一番愛されるように頑張るものですし、一人っ子であれば、両親と自分の3人の中で一番自分が愛されてることを実感したいものです。
だから、ここではYさんの両親との関係、そして、きょうだいの関係を見つめ直す必要があるんです。
そんなに愛されなかったのかな?
そんなに頑張らなきゃいけないほど、愛されてなかったのかな?
ただ、ここがややこしいのは、自分の記憶や今の自分が考えることと、当時の自分が感じていることは別だということ。
「いやあ、けっこう愛された方だと思うんですよ!」という自覚がある方だって、当時はそう感じてなかった可能性もあります。
なので、カウンセラーってのは、そこで両親の性格やその関係性、そして、両親と自分との関係性などを見ていきます(きょうだいも同じ)。
そこで「ああ、そういう傾向があるなら、こんな問題もあるんじゃない?」なんてところを見つけていくんですね。
なので、さっさとカウンセリング受けちまいなよ!という話になるのですが(宣伝)。
そのゴールは「親なりに自分を愛してくれていたんだな」という“悟り”みたいなところです。
>ちなみに野良猫属性なので、自分を好きにさせてその好意でうっすいニワカ自尊心を何枚も重ねて着込んで寒さを凌いで来た人生だと思います。
この部分って「愛されたい!」という強烈な欲求を少しでも満たすために、自分を好きにさせて満足する「キャッチ&リリース」的なパターンだと思うんですよね。
確かにちょっとは満たされるかもしれないけれど、ほんとうに求めているのは「親の愛」だったりするので、全然つまんないんです。だから、野良猫化しちゃうのかもしれません。
※それにしてもYさん、表現力が素晴らしいですねー。面白いっす!笑
で、次なる見方は「大人の私vs子どもの私」バージョンです。
早く自立して大人になっちまうと、心の中に「見捨てられた少女の私」が残っているものです。
これはしっかり者の長女だったり、親やきょうだいに問題児がいたりするときに起こりがちなのですが、「早く大人になった分、子ども時代に子どもをちゃんとできなかった!」という問題です。
そうすると常に心の中では「自立した大人な私vs愛されたい子どもの私」の葛藤が生まれます。
Yさんがぶつかってるのはたぶんここで、「自立した大人の私」は自己肯定感を学び、自己愛を実践することで納得してるんですけど、親を求める子どもの私は「いやいやちゃうで。それちゃうで」と自己愛を否定するんですな。
結局のところ「大人の私が子どもの私を愛すること」が必修科目なのですが、なかなかこの単位が取れずに留年しちゃうんですよね。
そこで大事なのは子どもの私を説得することではなく、その子に寄り添うことです。
早くに自立した大人の私はけっこう自分に厳しいです。
あたしは自分に甘いと思っていても、かなり厳しいです(断言)。
だから、ついついその子に対しても厳しく接してしまうんです。
その子を甘やかすこともその一つなので、ボディラインを気にせず甘いモノや美味しいモノを自分に与えるのは確かに良いことです。
愛されたくて頑張ったのに全然愛されなくて拗ねてしまった「内なる子ども」にただ寄り添い、話を聞き、甘えさせてあげて、そして、徐々に満たしてあげます。
このプロセスを誰かにやらせると、当然ながらその人への依存心が強烈に出てきて、その人に親を求め始めて関係性がこじれるので、ここは覚悟を決めるときです。
私が私を愛する、というひとつの側面は「大人な私が、子どもの私を愛し、育てる」というところにあります。
「子どもの私」っていうと悪いように感じますが、とんでもない才能の宝庫です。
情熱やフットワークの軽さ、無邪気さ、笑顔、インスピレーション、想像力、創造力、バイタリティなど、大人にとっても大切なエネルギーをその子は抱えてます。
けど、拗ねちゃってるから、「無気力」になってしまうのです。
だから、その子と対話します。その子の話を聞きます。抱きしめてあげます。温めてあげます。
※象徴的にやる場合は、自分のお腹(みぞおちのあたり)に手を当てて温める感じ、膝の上に子どもを抱っこしてるイメージでやってみるとより効果的です。女性ならば、子宮に手を当ててみても良いっす。
そして、3つ目のカギはお気づきの通り「女性性」です。
これもまたうっかりすると「ニーズ(欲求)」として出て来てしまうので注意が必要なんですよね。
ただ受け取ること。
ありがとう、ありがとう、と感謝の言葉を口にすること。
これは内なる子どもにとっては生ぬるく、物足りないと感じさせるものかもしれませんが、しっかりと心の奥に響いていきますので、継続的に続けてみると効果が如実に現れます。なんなら、自分の素顔とも出会えます。
Yさんの今の日常で、感謝できる人を探して、その人に感謝の思いを贈ります。
今まで出会った人に対して、感謝の手紙を書いてみます(出さなくてもいいので)。
そうして常に感謝する気持ちと寄り添ってみると、そのニーズも収まっていきます。
※ただ、こういう方法はあるのですが、これを「やってみよう!」と思えるか、それとも「いやだ。誰かに愛される方がいい」と思い続けるかは大きな分岐点になります。愛されたい欲求ってのはそれくらい強いものです。
それで、4つ目のテーマが必要になってきて、これはもう専門的な領域なんですけど、そんなYさんの才能やヴィジョンを見つけていくってことです。
私のカウンセリングの大きなアプローチなんですけど、情熱系で自立系で武闘派で頑張り屋さんで、というのは十分伝わるし、文才もあるし、女としても魅力的だし(キャッチ&リリースができるわけで)、仕事もデキる人だと思うんですが、そして、もっと才能や魅力は満載されてると思うんですが、はてさて、その先にどんなヴィジョンを描いていけるのでしょう?
愛されたいって欲求を強烈に持てるってことはそれだけ情熱がほとばしってるということなので(うちの読者にはよくあることで)、そのエネルギー自体は素晴らしいものなんですよね。
それを何とか平和利用したいと思うんですけど。。。宇宙の平和のためにも。。。
・・・と言った視点で自分と向き合ってみれば、一人酒(手酌)ももう少し楽しめるようになるか、それも必要なくなるかだと思うんですよね。
・・・ま、Yさんの穴にガンガンぶちこんでくれるヘラクレス君が現れたら今日の相談なんてどうでもよくなっちゃうのかもしれないですけど・・・。(所詮、そんなもんよねー)
★そんな頑張りすぎちゃう人のための記事をうちの弟子がたまたま連載してるので、よかったら読んでみるといいと思います。うちの弟子ですから筋金入りの武闘派ですの(はあと)
>もう頑張りたくないあなたへ① 〜疲れちゃったよね。もう頑張らなくていいんだよ〜
★素の自分で生きるための心のメイク落としの本&動画
*『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房)
*セミナー動画:心のメイクを落として本来の自分らしさを取り戻すワークショップ3days
今日の話を無料アプリのvoicyで音声でラジオみたいに聴けます!
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