自分の弱さを受け入れると、自分らしい生き方がしやすくなる。



私たちは「愛されるために」「嫌われないために」自分の中でよい自分とよくない自分を区別して来ました。
それが自己嫌悪を生み、親密感への怖れを作ります。
「自分と仲直りする」ことで、より自分らしい生き方が選べるようになりますね。

自分らしい生き方とは何ぞや?という研究を長年しています。なんだかんだそんな本も書きましたし、そんなセミナーも開催しています。

私たちは子どもの頃から何らかの期待をされてきましたし、「こうすれば愛されるんじゃないか?」とか「こういう自分ならば嫌われないのでは?」という目的のために理想主義になってきましたし、思春期以降は完璧主義になっちゃうこともありました。

そうした人間関係に揉まれて生まれたのは「自分のようで自分じゃない自分」の姿でした。

要するに「愛されたいがために、こんな自分では愛されないと思った部分を切り捨てて来た」とも言えるでしょう。

それは処世術としては成功するかもしれませんが、ある問題を含むようになります。

「自分がいない」

というアイデンティティの喪失問題です。

例えば、あるクライアントさんはとても美人でかつスタイルも抜群でよくおモテになるのですが、心の内には人に対する怖さを抱え、自分に自信がありません。

きれいなメイクをし、オシャレなファッションを身にまとい、立ち居振る舞いも、話し方もとても上品な雰囲気でいらっしゃるから、とても意外でした。

「あなたが人が怖くて、自分に自信がないなんて、周りの人は誰も気づいていないでしょう?」

内面に抱えるそんな恐怖心を隠す術を上手に身につけられたんだと思います。

この記事を読んでいらっしゃる方にも「あなたに問題があるなんて分からなかった」とか「あなたは悩みなんてなさそうね」とか「あなたがそんなことで悩んでるとは思いもよらなかった」なんて言葉を掛けられたことがある人も多いと思います。

上手に自分を隠す処世術を身につけられたのでしょうか。

とはいえ、そんな器用さも長所のひとつなんですけどね。

「愛されるため」に自分で考え、創り出した仮面(ペルソナ)を上手にかぶっているので、それがあたかも真実のあなたのように見せることに成功しているのですから。

でも、ひとりになると得体の知れない不安や、心の奥底に潜む疲労感や、誰にも理解されない寂しさや、そして、これから先に思いを馳せたときに出てくる絶望感を覚えていらっしゃるかもしれません。

「自分が作った仮面も自分らしさの一部」には間違いありません。

でも、その仮面の影に隠れた素顔は、いわば「こんな自分では愛されない」と思って隠すことにした要素ばかりなわけですから、「ほんとうの私はダメな人間なの」という思いに絡めとられるのも無理はないでしょう。

「愛される、と思った要素を表に出し、愛されない、と思った要素を裏に隠す。」

でもね、それは決して悪いことではなく、いけないことでもなく、嘘をついているわけでもなく、自然なことだと思います。

わがままな自分では愛されない、と思えば、わがままな部分を自己嫌悪し、隠すのは人間関係をうまくやるには必要だったのです。

言いたいことを言ってたら人に嫌われる、と思って、発言に常に注意するのは、決してネガティブなことだけではありません。きっとそれでうまく行ったことも多いはずですし。

でも、愛されることと引き換えに、自分を隠したり、変えたりしたのであれば、何らかの犠牲を伴うのも事実です。

それが不安や疲労感や寂しさや絶望を生み出すのかもしれません。

自分らしい生き方をするには、そんな自分の中で闇に葬ってしまった「もう一人の私」との再会が求められるものです。

理想主義を捨て、完璧主義を手放すためにも、そんな「私の中の弱さ」と向き合うことが大切になってくるのです。

「自分の弱さを愛すること。」

自分らしい人生を生きるためには、避けて通れない道なのかもしれないと今の私は思っています。

弱さ。

何かに依存しないと生きられない自分。
嫌われるのが怖くて人に合わせてしまう自分。
気まぐれで、わがままな自分。
頑張ることができない自分。
続けることが苦手な自分。
決断できない優柔不断な自分。
いつも強がってばかりいる自分。
ええかっこしいな自分。
失敗するのが怖くて挑戦できない自分。
お酒に飲まれる自分。
エッチなことばかり考えている自分。
逆にエッチが嫌いな自分。
怒りっぽくてイライラしている自分。
だらしなくて、お片付けができない自分。
自己管理ができない自分。
いつも人の欠点ばかりを探している自分。
人と比べて優越感に浸っている自分。
実は自分は特別なんだと思っている自分。
負けることが嫌いな自分。
悩んでいることを人に言えない自分。
そもそも悩んでいる自分。
ウソばかりついている自分。
期待に応えようと無理ばかりしている自分。
失いたくないために相手にすがり付いてしまう自分。
タバコ、お酒、甘いもの、ギャンブルが辞められない自分。
いつも人目ばかりを気にしている自分。
お金がない自分。
友だちが少ない自分。
意地を張ってばかりで謝ることができない自分。
結局自分には何も価値なんてないと思い込んでる自分。

そんな自分を愛してあげるんです。

愛してあげる?どうやって?

勇気がちょっと必要かもしれません。

「それが自分だもんね。しょうがないよね。そんな自分でも大丈夫なんだよね」

と言ってあげることから始めましょう。

「そんなの無理だよ!ぜったい愛されないよ!」と反発するのはエゴの声。

その声にも耳を傾けてあげます。

「そうだよねえ。それでずっと頑張って来たんだもんね」

リトリートセミナーや1DAYセミナーではロールプレイというセッションをします。
先日はその美しい人にイメージワークと組み合わせて個人セッションでもやってみました。

人に愛されるために作った私が立っています。
その後ろには俯いて三角座り(体育座り)をしているもう一人の私がいます。

前に立つ私は、後ろで俯いている自分をいつも否定し、叱責し、ダメ出しをしてきました。
そんな自分は人に愛されないからと必死に隠してきたのです。

でも、誰かが近づいてくるとその後ろに隠している自分がバレてしまいます。
だから、そこで人と距離を縮めることが怖くなりますから、一定の距離を保つようになります。
そうすると親密感を感じることができません。

その俯いて三角座りをしてる自分と仲直りすることが目的です。

いつも前に立っている私がどんな風に後ろにいる私を扱っているかを想像してみましょう。
どんな風に自分を攻撃してきたのかを想像してみましょう。

今度は立場を入れ替えます。

三角座りをして俯いてみます。そんな惨めな自分をいつもあなたは感じていたでしょう?
その子になったつもりで、腕組みをして立って自分を見下ろしてる自分にどんな感情を抱いているのかを感じてみます。
悲しいでしょうか?
ひどく怒っているでしょうか?
寂しいでしょうか?
申し訳ない気持ちでいっぱいでしょうか?

その気持ちを言葉にしてみます。

そうして、両方の立場を感じていくんです。
否定せずに、ただ、受け入れるように。

そうするとね、ちょっと気持ちがすっきりして来ます。
そして、内なる自分との対話が進んでいくと、どちらの自分も許せるようになり、そして、「まあ、そのままでいいじゃないか」なんて思えるようになるでしょう。

少し時間はかかりますが。

そうして、自分と仲直りしていきます。
それが自分を愛することのひとつの象徴です。

そんな風に弱い自分を受け入れ、肯定し、愛してみるのです。

なんか不思議と楽になるみたいです。

それがありのままの自分を受け入れる、ということ。

良い自分も良くないと思っている自分も「それが自分なんだ」と受け入れることです。

そうして、弱い自分を許せると、とても生き易くなるのです。

そうすると「自分らしい生き方」ができる準備ができあがります。

つまり、そんな自分は、愛されるために生きるのではなく、自分らしくあるために生きられるようになっているのです。

弱い自分を受け入れる。

勇気のいるテーマですが、チャレンジする価値は大いにあると思いますよ。

★そんなありのままの自分を受け入れ、愛する方法

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