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できないことや失敗したことは、次、できるようにすればいいし、
相手は自分と同じじゃないから、同じように感じるとは限らないし、
何よりも自分は良かれと思って愛の行動をしたんだから、何も間違ってないんです。
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個人セッションでもセミナーでも「そのベースに愛があるとしたら?」という目で見るように心がけています。
心理学を知るとつい「分析」に力が入ってしまい、「問題探し」にエネルギーを向けてしまいます。それって意外と楽しいし、謎解きのようで面白いのでハマってしまうんですけど、でも、クライアントさんはそればかりを求めてるわけじゃないんですよね。
むしろ、「どないしたらええねん!?」という答えが欲しいわけです。
で、その時にどこに視点を置くか?というと、私はなるべく「それが愛だとしたら?」という見方をしたいと思っています。
これは私のお師匠さんから学んだこと。
「なんでそんな愚痴ばっかり言うお母さんの話を聞き続けたの?」
お母さんとの癒着があって離れられないからお母さんを背負うしかなかったから、という分析をするよりも、それだけお母さんを助けたい、楽にしてあげたいって愛があったからだよね?という見方をしたいんです。
「なんでそんな野良猫くんのために自分の気持ちを我慢して付き合ったの?」
自己肯定感が低くて自分にはその程度の価値しかないと思ってるから、というよりも、それくらい彼のことが好きだし、追いかけちゃうんだよね~?そういう情熱の女だし、愛したい人なんだもんね~という見方に比重を置きたいと思います。
「なんで自分の仕事だけでもしんどいのに人の仕事まで抱え込んでるの?」
そうしないと必要とされないと思っているんだよね?それくらい自分の価値を低く見積もっちゃってるんだよね?という分析も悪くないんだけど、それだけ人を助けたい人ってことだよね?武闘派だもんねえ?という見方の方が好きです。
その状況やできごとを「愛」から見るのか?「問題」として見るのか?というのは大きな違いがあります。
愛というのは必ず存在しているので、どんな状況にあっても、どんな問題であっても、そこに愛を見ることは可能です。
例えば、本日発売の『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』の中ではそんな見方を紹介しています。
ある女性の体験。
「特殊な場所での仕事を丸投げのような形で任され、求められる仕事を期待に応えるべく頑張った。しかし、仕事の難しさや忙しい状況を上司に言わずに抱え込んでしまったため、いざ、手が回らなくなったときに上司に『仕事量が多いです』『無理です』と伝えても理解されず、一人で頑張らなければならなくなった。
その結果、周りに自分の状況が伝わりづらく、求められる仕事のレベルがどんどん上がっていった。他部署の協力なしにはこなせない事案が発生しても、理解や協力が得られにくい状況になってしまった。」
さて、皆さんは彼女に何て言ってあげたいでしょうか?
つまり、あなたの友だちがそういう状況になっていたら、どういう風に言ってあげたいでしょう?
友だちですから、彼女のことを思って話をしますよね?
「そんなの辞めればいいじゃん。無理することないよ!」
「そりゃ、一人で抱え込み過ぎてるからだよ。上司にもっと真剣に話をした方がいいよ」
「うーん、それはしんどいよねー。ほんと。よく頑張ってるじゃん。私はそれくらいしか言えないけど、愚痴ならいつでも聴くからね」
どれも正解だと思います。
っていうか、こういう問いに正解も不正解もないんですけどね。
どの回答もその友達のことが好きで、助けたいからその言葉が出てくると思うのです。
じゃあ、そこで彼女が「愛の人」だとするならば、どんな見方ができるでしょう?
「周りの人を巻き込んだり、迷惑かけたくないから一人で頑張ることになっちゃったんだね。ほんとに優しいね~」
「期待されると頑張っちゃうキャラなんだよね?それくらい人の役に立ちたいとか、助けたいって思いが強いんだよね~。素晴らしいじゃん」
そんな風に見えてくると思います。
彼女は愛の人だから、頑張ったし、抱え込んでしまったんですよね。
でも、それを繰り返していったら孤立してしまったみたいで、ますます一人で抱え込まなきゃいけなくなっちゃったんです。
「しんどい!って言えばいいじゃん!」って意見もあるけれど、それが言えないのが彼女の優しさだし、奥床しさかもしれないですね。
ちなみに根本先生は、そういう彼女に対して内心「そうか、頼まれると断れないキャラなんだ。ほほー。それなら色々僕の仕事をやってもらおうかな。うふふふ」と悪だくみを考えるらしいのですが(笑)
そして、ちょっと難しい話になるんですけど、あなたが一人で頑張って仕事をしていると、周りはあなたに「甘える」ようになるんですよね。
「この人なら任せて大丈夫」とか「何とかしてくれるはず」とか。
だから、それだけ信頼されてるって見方もできますよね?
こんなケースも紹介しています。
「納期前でとても仕事が忙しい彼なので、週末は疲れているのかなと思って『今週は無理に会わなくてもいいよ』ってラインで伝えたら、既読スルーになってしまったんです。
比較的にマメに返事をくれる彼なのでどうしたのかな?と思って聞いてみたら『なんでもない。忙しいから』と不機嫌そうな返事。私、何かいけないことをしたのかな、と思ってすごく不安になってしまったんです。」
この彼女を愛で見るのはとても簡単だと思います。
彼のことを一生懸命考えて、配慮し、そして、伝えていらっしゃるんですよね。
「ちゃんと自分の気持ちを説明した方がいいんじゃない?」と思われる方も多いと思いますし、私もそう思います。
けど、そこまでなかなか思いつかないのかもしれません。
特に人の気持ちを考えて行動できる人は、その行動そのものが「愛」なわけですけれど、ある落とし穴があります。
それは「投影の法則」が働いてしまい、「私が人の気持ちを考えて行動しているのだから、きっと相手もそうに違いない」と思ってしまうんです。
頭ではそんなことはない!と思っていても。
だから、『今週は無理に会わなくてもいいよ』の言葉に、彼女の優しさや配慮や愛情を込めてしまうんです。
でも、現実問題として、そういう配慮や気遣いは案外相手に届かないことが多いのです。
つまり、あなたの愛がなぜか伝わらない、ということになるんです。
これは「お察し上手」な方々がよく陥りがちな罠ですね。
人の気持ちが分かるから、あまり強くアピールすることが憚れるんです。もちろん、そこにも愛があります。
こんなこと言ったら迷惑かな?とか、言わなくても分かってるよ!って言われるかな?とか。
でも、実際はあなたのように人の気持ちを考えられる人ばかりではないですし、そこまで思いが及ばない人も実際多くいます。
『今週は無理に会わなくてもいいよ』というセリフだけが伝わるとしたら(もちろん、その前後にやり取りはあるんですけど)、「俺と会いたくないのか?」と思われてしまうのも無理ないですよね?
私のクライアントさんには人の気持ちをよく考えられるお察し上手な方が多いのですが、いつも思うんです。
「その全文をちゃんと彼に言え!そうしないと伝わんねーぞ!」と。
全文って何か?っていうと“納期前でとても仕事が忙しい彼なので、週末は疲れているのかなと思って『今週は無理に会わなくてもいいよ』”という部分です。
お察し上手な方にとってはめんどくさいんですけど。
これもちゃんとした愛のアピールです。
そういうコミュニケーションのすれ違いって皆さんも体験されたことがあるでしょう?
「違うのに!そういうつもりで言ったんじゃないのに!」って。
そんなコミュニケーションについても私は仕事柄いろいろ学ばせていただきました。
コミュニケーションってスキルですよね?
英会話と同じなわけです。
だから、磨けば磨くほどうまくなっていくし、逆に磨かなければ忘れちゃうものです。
自分の思いを伝えたり、自分の頑張りをアピールしたりするのはお察し上手な人たちは苦手なんです。迷惑かな?嫌味かな?とかいろいろ考えちゃうし。
だから、そういうコミュニケーションについては「初心者マーク」を着けてることを忘れてはいけません。
これから学ぶんです。
“This is a pen.”からスタートするんです(笑)
だから、今すぐにできなくてもいいのです。
だんだんうまくなっていきましょう。
こんな事例も紹介しています。
「プロの棋士みたいに相手の心を30手先まで読んじゃうんだよね?」というお察し上手の方々はよくそうした罠に引っかかってるみたいです。
「母が疲れている様子だったので、『楽になるといいな(する事が減らしてあげよう!その分休んでもらおう!)』と家事を手伝うと、その仕上がりが母のルールややり方とは違っていたため、ダメ出しをくらう。
そんな事があった後、また別の何かを手伝おうと『これやっておこうか?』と尋ねると、『いや、いいよ、(母が)自分でやるから。』と言われる。
私にやらせても出来ないから意味がない。非戦力と思われているのかと思って、落ち込むし、腹が立つし、悲しい。」
難しいよね~、人間関係って。
でも、この方が愛の人だってことはすぐに分かるんですが、こういうことが起きると自分を全否定されたように感じちゃいません?
お母さん思いの優しい娘なのですが、その思いは残念ながらすれ違ってしまってます。
こういうこともよく起きていませんか?
良かれと思ってやったのに迷惑だと思われたり、拒否されたり。
でも、そこで自分を責める必要はないんです。
自分なりに良かれと思うことをやったんでしょう?
何も間違えていないのです。
じゃあ、なんでうまく行かないのか?というと、もうちょっとお母さんのことを理解してみると分かるかもしれません。
ここにも「投影の法則」が登場するんですけど、私たちは自分を基準にすることからは逃れられません。究極、客観的に見る、というのは無理と言ってもいいんです。
だから、「もし、私がダメ出しをして、『いいよ、自分でやるから』と言うなら?」という想像をしちゃうんです。
その結果、「私がそういう風に思う時って、相手のことを役立たず、非戦力って思ったときだよな~」という結論を勝手に出して、勝手に凹んでしまうんです。
そして、猛烈な自己嫌悪です。
「私は大好きなお母さんのことを助けることもできない」って。
これって実は自作自演って分かりますか?主観的にモノを見てしまっているから起きることなんです。
お母さんを理解するって何か?というと、例えば「受け取れない人じゃないか?」という想定をしてみることです。
「お母さんって人の好意を素直に受け取れない人なんじゃないかなあ?
娘に手伝ってもらって嬉しいんだけど、それを素直に言えない人なんじゃないかなあ?むしろ、それを娘に迷惑かけてると思ってるんじゃないかなあ?」
そう思えたら少し気分が軽くなりませんか?
「愛」というベースでみることで私が目指してるのは「否定をなくす」ということ。
初心者マークなんだから失敗して当然!自分を否定する必要はないんです。
お母さん、受け取れない人かもしれないから、自分が非戦力とか思う必要はないんです。
そんな自分を否定しない考え方を身に着けてみたいと思いません?
自己肯定感もぐんぐん上がりますね。
できないことや失敗したことは、次、できるようにすればいいし、
相手は自分と同じじゃないから、同じように感じるとは限らないし、
何よりも自分は良かれと思って愛の行動をしたんだから、何も間違ってないんです。
そう思えたら、今の生活がものすごく楽になる人が多いんじゃないかなあ?と思うのです。
さて、ここからが本題です。一番重要な話です!
そんな方々に向けて書き下ろした本がいよいよ本日発売となります!!ぱちぱち!!
>『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)
ぜひ、ご一読ください!
そして、ここでは3名しか紹介できませんでしたが、本文ではもっとたくさんの方の事例を紹介しています。
どんな人がいるの?と思われたら1章を無料公開してるのでぜひ読んでみてください。
↓
どうぞ、よろしくお願いいたします!!!!!