リーダーは自己肯定してもいいのか?



リーダーシップ論を珍しく展開したいと思います。
「自分らしさを発揮して見本になること。」
これが私にとってのリーダー像です。

根本先生、はじめまして!つい先日根本先生のブログに出会い心がとてもかるくなりました!
と、同時に1つどうしても聞きたいことができました。「リーダーは自己肯定していいのか?」です。

現在大学の武道系の部活の主将をやっているのですが、最近全然頑張れません、仕事してません(笑)
先生のブログに出会って、そんな自分でもいい!と思えて楽になったのですが、このままでは部活が終わってしまいます。組織の責任を負うリーダーは頑張れない時、そんな自分を肯定して何もしなくてもいいのでしょうか?

——

高校帰宅部だった僕は元来ダラけることが好きなのですが、失恋経験などもありこんな自分は嫌だと大学で部活に入りました。
「自分が嫌いだ、努力できる人間だって証明したい!」という気持ちと、自分嫌いな気持ちを埋めるために「周りに認められたい」という気持ちだけで頑張ってきて、それが認められて主将に任命されたのですが、、

メンバーを背負って責任を感じたり、自分の苦手な「計画を立てる」という段階で不安や苦手意識が勝り、元来の怠け症が出てきて逃げる癖がでてしまいました。頑張れなくなって、そんな自分を責めて責めて死にたくなりました。周りからの目も不信感に満ちてきました…

そんな中、根本先生のブログに出会い先述のように心が軽くなったのですが、「リーダーがこれでいいのか?」という気持ちと板挟みになっています。

このまま逃げ続けると部活は終わります。
僕としてはそんなのは嫌なので頑張りたいのですが、いざ仕事をしようとすると「面倒くさい…まあそんな自分でいっか(笑)」となってしまいます。どうすればいいでしょう?
(Yさん)

ま、いっか。で、いいと思うのですけどね・・・(笑)

でも、自分を変えるために武道系の部活に入るなんてすばらしいですね~
しかも、主将に任命されるってことは、それだけ人望と信頼がある証ですね!

私の考えがYさんの部活で使えるのか?受け入れられるのか?という疑問は残りますが、リーダーシップというのは意外と質問を頂く機会が多いのでこの機会にお話しさせて頂こうと思います。

Yさん、皆さんにとって「リーダー」とはどんな姿をイメージされますか?

リーダーとはこうすべき、こうあるべき、というものがあれば、それも考えてみてください。

リーダーってかつては「俺に付いてこい!」というスタイルで、メンバーをガンガン引っ張っていく力強い姿が理想とされていました。
もちろん、それもリーダー像の一つなのですが、昨今は別の形のリーダーシップもあるんじゃね?という考えがあちこちから出てきます。

私が思うリーダー像というのは「見本であること」です。

これにもいろいろと説明が必要で「じゃあ、見本ってなんだ?」というわけですが、「この人に付いていきたい!」とか「この人みたいになりたい!」と思わせてあげられるだけの存在と言えましょう。

ところが、そうすると「べき論」が湧き上がって来て、「じゃあ、立派な人格を備え、主体的に行動し、かつ、みんなを鼓舞するような発言をし、積極的にみんなと関わる人」みたいな定義付がされてしまうのです。

もちろん、それも間違えではないと思うのですが、それより大切なことは「どんな自分をメンバーたちに見せたいのか?」という自分軸に則った自らの在り方だと思っています。

「べき論」というのは、自己否定を誘発します。

リーダーとは立派な人格を備えているべきである、という正論を振りかざされると、「俺ってそんなに立派じゃねーし」と否定が生まれたり、「立派な人格を備えるために頑張らなきゃ」と鞭を入れたりしてしまいます。

「そうなりたいんだ!」と意気揚々と自分軸でそれを目指すのはいいと思います。
しかし、「そうならなきゃリーダー失格だ」と思うのであれば、それはバリバリ他人軸ですから、お勧めは致しません。

メンバーや外野の人たちが「リーダーなんだからこうあるべきだ」という理論を押し付けてくるケースもままありますが、それに対して「ありがとう!」と言いつつ、心の中で「そんなん知ったこっちゃねーよ、俺は俺だよ」という自己肯定感がものすごく大切です。
そうでないと、他人軸によって周りの人たちにぶるんぶるん振り回されることになってしまいますね。

それではリーダーは幸せじゃありません。

幸せじゃない、苦しそうなリーダーの元にいるメンバーたちはどんな気持ちになるでしょうか?

たいていこういう無責任な外野の声や、親切という名の押し付けによって振り回されるリーダーを多く見せられるので、たいていの人は「リーダーなんてしんどいだけだから、なりたくねえ」という思いを抱くようになりますね。

リーダーが「見本」であるならば、リーダーにこそ、自己肯定感が必要だと思いませんか?

話は飛ぶようで飛んでないのですが、よく子育てや教育のお話をする際、こんな質問をすることがあります。

「あなたは自分の子どもにどんな大人に育ってほしいですか?」

愛する子どものためですから、いろんな意見が出てきます。
「自分の意志で道を決められるようになってほしい」
「自由に生きてほしい」
「好きなことをやって幸せになって欲しい」等々。

もちろん、中には「多くの人に愛される人」「他人から認められる存在」みたいな他人軸な意見も出てきますが、私の提案は「それは今、あなたがすべきことじゃないでしょうか?」なのです。

家庭においては親はリーダーです。
そして、子は親を見て育つ、という言葉にもあるように、親の生き方を見て子どもは育ちます。

つまり、「自由に生きてほしい」と願っている親が、口ではそう言いながらも不自由な生き方をしているならば、子どもからすれば「自由に生きるってことは、不自由に生きるってことなのね」という解釈をしてしまいます。

子どもに自由に生きてほしいと望むならば、その見本である親が自由に生きることが大切なんです。

もちろん、その質問は子どもをダシに使って(つまり投影の法則)、自分がほんとうにしたい生き方を探り当てる、という意地悪な目的もあるんですけどね。

さて、そこでリーダーと自分らしさという葛藤が多くの場合芽生えます。
Yさんのお話はまさにそこだと思います。

Yさんの中にある「リーダーとはこうあるべき」という姿は一旦手放されることをお勧めします。
だって、それはやりたくないんですもの。
自分らしいものではないんですもの。

そして、自分なりのリーダー像を新たに作っていく必要があります。

リーダーが自己否定していれば、それを見ている部員たちはどのように感じるでしょうか?

Yさんのケースでは、

>「自分が嫌いだ、努力できる人間だって証明したい!」という気持ちと、自分嫌いな気持ちを埋めるために「周りに認められたい」という気持ちだけで頑張ってきて、それが認められて主将に任命されたのですが、、

というお話がとても興味深いポイントです。

自己嫌悪を克服するために、努力できる人間になるために頑張って来たんですよね?

それは素晴らしいことではないでしょうか?

ただ、その背景に「認められたい」という他者承認を求める部分があると、それは他人軸ですから、苦しくなってしまいます。

でも、間違ってるわけではないですよ。
他人軸がダメだって言ってるわけじゃなくて、他人軸は苦しくね?と言いたいわけです。

どちらにせよ、Yさんはその目的は成功されたんですよね?

自己嫌悪はなくなりましたか?
周りからの承認をちゃんと受け取れていますか?

もし、主将になったことで新たな義務感が生じてそれに押しつぶされそうになり、そんな自分を否定しまくっているのであれば、ちょっと一時停止ボタンを押して振り返ってみてほしいのです。

「努力できる人間で、周りから認めらたくて頑張って来て、それが認められたんだよなー。俺ってすごいよなあ。よくやってるよなあ。偉いよなあ」

このプロセスを飛ばしちゃっていませんか?

自己承認ってものすごく大事なんです。
そして、Yさんは自分の目的を努力によってきちんと達成されているわけです。
もし、そのことがYさんの自信になっていないとするならば、それは100万円あげるよ!って渡された現金をそのままゴミ箱に捨ててしまうのと同じことです。
もったいないですよね~!

そして、

>メンバーを背負って責任を感じたり、自分の苦手な「計画を立てる」という段階で不安や苦手意識が勝り、元来の怠け症が出てきて逃げる癖がでてしまいました。

という風に、他人軸のまま、「リーダーはこれをしなければならない」としたくないことを何とか頑張ろうとしてしまうわけですから、

そりゃあ、

>頑張れなくなって、そんな自分を責めて責めて死にたくなりました。

こうなりますよね?

メンバーを背負うことってしたいことですか?
「計画を立てる」ってことは苦手なことですよね?

したくないこと、苦手なことにエネルギーを注いでいたら、そりゃあ、やる気もなくなるし、逃げたくもなるし、死にたくもなるもんです。

ちなみに、死にたくなるってことは責任感が強い証拠ですから、Yさん自身はリーダーの器をちゃんと持ってらっしゃると思います。

なかなか規律や伝統のある部活を変えることは難しいかもしれませんが、そんなことよりも自分自身の方がずっと大事です。

だから、「できない、やりたくない」って認めちゃった方がいいと思います。

そして、私が推奨するリーダーシップは「周りに助けを求める」ということ。

背負わなくてもいいんですよ。
話を聞いてあげるだけで。
他人が求めるリーダー像は、そいつのものだからYさんのものじゃないんですよ。
計画立てることが苦手なら、部員の中でそれが得意な奴を見つけて頼んでみればいいんじゃないでしょうか。

人間って不思議なもので、眉間にしわを寄せて難しい顔をしているリーダーの元では緊張して委縮するのですが、ニコニコして幸せそうなリーダーの元ではみんな自由に自発的に行動を始めます。

だから、主将であるYさんの一番大切な仕事というのは、その武道を愛し、メンバーを愛し、そして、楽しみ、喜んでいることなんです。

私が理想とする究極のリーダーというのは「何もしない人」です。
周りの人がリーダーを助けたくなって自由に動きます。
そのリーダーを喜ばせたくて頑張ります。
そして、リーダーの仕事はニコニコして「ありがとう!」て感謝することです。

そのために必要なことはやはり自己肯定感ではないでしょうか?

そういう自分を肯定すること。

もし、その時、もし自分らしさを発揮できない環境にいるのであれば主将を降りればいいことです。
逃げちゃっていいんです。

大切なことは主将という立場・肩書よりも、自分自身ですから。

ということで、「何も役に立たない主将な俺だけど、みんな、付いて来てくれてありがとう。みんなのお陰で素晴らしい部になったよ!ありがとう!!」って涙ながらにみんなに感謝する卒業式をイメージしてみてください。

リーダーにこそ、自己肯定は重要だと思いますよ。


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