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罪悪感が強いと「受け取る」ということが苦手になります。
それよりも何かお返ししなきゃ、という補償行為に走ってしまいます。
大切なのは「相手の気持ちを受け取る」ということ。
ありがとう!って言いながら過ごしてみましょう。
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私はずっと子どものころから罪悪感や癒着が標準装備だったのですが、根本さんの言葉に導かれ(笑)、私は私、あなたはあなたと感じられるようになりとても楽になってきました。
そして最近は、『したい、ほしい、楽しい、好き』の気持ちをまっすぐ素直に人に伝えると、近づく、叶う、与えられる…!ということを感じることが多くなりました。
でもそれに対して、謎のプレッシャーを感じています。
楽しい、好き、したい、ほしいって言ったからには…、叶えてもらったからには、楽しまなきゃいけない。人を楽しませなきゃいけない。
好きでいなきゃいけない。喜ばなきゃいけない。一緒にいる人を楽しませなきゃいけない。失敗できない。みたいなプレッシャーを感じます。
結局、自らお誘いなどを断ったり与えられることを拒否してしまいます。好転しそうな日々に自らストップをかけてしまいます。
それでそういえば昔から、望むと、なんか叶う。みたいな感覚があることを思い出しました。それと同時に、与えられるプレッシャーみたいなのも子供の頃から感じてたように思います。
2人の姉とは年が離れていている末っ子なので、それゆえ感じる気持ちなのかもしれないとも思います。
どこかで見たようなご相談なのですが、どうすればいいのかわからないです。
ネモラーなのでたくさん根本さんの文章を読んだのに、この感覚から抜け出せません。自分らしい幸せまであと一歩!な気がします。背中を押していただけるとうれしいです。
(Hさん)
ネモラー・・・新語、頂きましたっ!ありがとうございます~(^^)
・・・にしても笑える。なんか怪しい響きがあるのもいいですねええ。笑えます。
さて、Hさん、いい人なんですよね、基本。
人の期待に応えたい、人を喜ばせたい機能も標準装備されてるんじゃないでしょうか。
>楽しい、好き、したい、ほしいって言ったからには…、叶えてもらったからには、楽しまなきゃいけない。人を楽しませなきゃいけない。
>好きでいなきゃいけない。喜ばなきゃいけない。一緒にいる人を楽しませなきゃいけない。失敗できない。みたいなプレッシャーを感じます。
うん。いい人だ、ほんと。
こういうマインドって罪悪感が装備されてる人にはけっこうありがちで、たぶん、Hさんと一緒にいる人はHさんの気分は別にして幸せだと思うんですよねー。
リトリートセミナーでは、「鬼畜生になる!」とか「基本、不義理非人情で行け!」という合言葉を連呼したりするんですけど(笑)、いい人はつい人の気持ちを大事にし過ぎて自分の気持ちを後回しにしてしまう癖があるんですよね。
それって優しさや思いやりでもあるし、道徳的には好まれるわけですけど、その実、自己犠牲です。
「私さえ、我慢すれば、いいさ・・・」と空を見上げる感じで。
ただ今、絶賛平積み中の新刊「敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法」(フォレスト出版)では、そういうテーマも扱っています。
訳の分からん本に大枚1512円はもったいねえ、という方のために簡単に紹介すると、他人との付き合い方、距離感の取り方というのは、
1.自分の気持ち
2.相手の気持ち
3.お互いの関係性
が基本原則だと思っています。
「私の気持ちをまずは一番にチェック。
そして、それを受け入れた上で、相手の気持ちを考える。
そして、その上でそこでどうしたらwin-winになれるのかをコミュニケーションする。」
という流れです。しかし、人付き合いで疲れちゃう人とか、自己犠牲をオプション装備している方などはこの順番が入れ替わってしまうんです。
1.相手の気持ち
2.お互いの関係性
3.自分の気持ち
という風に。時に「3」はカットされてしまうことすらあるんですね。
だから、この「1.自分の気持ち」になるために「自分軸になろうぜ!」という話になってくるのです。
「ほしい」と言って相手に叶えてもらったならば、喜ぶべき・・・そう、その通りです。
しかし、現実には「思ってたのと違った」というケースもよくあろうかと思います。
その時はどうしたらいいか?
罪悪感が強く、自己犠牲を得意とする方は、そこで迷わず「我慢&演技」を選びます。
嬉しくないのに嬉しいフリをするわけです。
でも、これは本当の意味で言えばお互いにとってアンハッピーですよね。
そうするとどうしたらいいのか?って言うたら、「ごめん」です。
素直に謝ること。
まあ、罪悪感が強い方により分かりやすく言えば、「敢えて悪者になる」という勇気です。
そして、もう少し心理学ちっくな見方をすると、自分が欲しいと言ってそれを叶えてもらった場合、受け取るのはそのモノやコトではなく、気持ち。
相手が自分のためにしてくれた行為ではなく、思いを受け取るんです。
それに「ありがとう」と言います。
残念ながらモノやコトは期待していたレベルに達してはいなかったけど(苦笑)、でも、自分のために動いてくれたことに感謝です。
それでいいんですね。
日本人がよく得意とするセリフがあるじゃないですか。
「お気持ちだけ頂戴しておきます。」
これですよー、これ(笑)
相手が叶えてくれて、でも、失敗しちゃったら「ごめん」て言います。
そして、その叶えてくれた気持ちに「ありがとう」と言います。
相手が楽しませようとして、でも、思ったほど楽しくなかったら「ごめん」て言います。
けれど、その楽しませてくれた思いに「ありがとう」と言います。
セミナーで時々相手の価値を伝えるワークというのをやります。
メジャー過ぎるワークなので、私のセミナーじゃなくてもどこかで体験されたことはあろうかと思います。
「きれい。優しい。気が利く。センスがいい。賢い。人の気持ちが分かる。・・・」
目の前の人があれやこれやと言ってくれます。
でも、罪悪感が強く、自己肯定感が低い私たちは、それを「いや、そんなことない」と思ちゃうこともあるし、「優しいって言われたら優しくしなきゃいけない」って思っちゃったりもします。(Hさんはそういうタイプなんでしょう?)
けど、大事なのはその「気持ち」。
言ってる内容には納得できなくても、その人がどんな思いで言ってくれたか?に思いを馳せます。
一生懸命伝えてくれたこと。
頑張って私の価値を見てくれたこと。
額に汗かきながら語ってくれたこと。
その「気持ち」「思い」を受け取りましょう。
それだけで多分、モノ・コトはあまり気に入らなくなります。
特に中身はともかく性別が女子の方はこういう思い出ありませんか?
まだ、皆さんが純粋だった若かりし頃の甘酸っぱいできごと。
付き合ってた彼があなたのために誕生日にプレゼントをしてくれました。
「わあ、うれしい!」て開けたら、そこにはでっかい飾りがついた派手なネックレス。
一瞬、「おいおい、ワシ、こんなごついの着けたことないやろ?」って思って、その場では着けてみるけど、おそらく二度と着けないことが確定したプレゼント。
でも、それ、すぐに破棄しますか?コメ兵に持って行って売りますか?
「大好きな彼からもらったモノ」として別れるまでの期間限定で大事にするでしょう?
それはアクセサリ単体としては気に入らないものだけど、彼が私のために買ってくれた、選んでくれた、というその気持ちがめちゃくちゃ嬉しくなかったですか?
覚えてます?そういう時代があったこと。
まだ、皆さんが素直だった、あの頃の話です。
そういう「気持ち」を大事にすれば、モノやコトはあまり重要ではなくなります。
相手が自分のために与えてくれた愛ですからね。
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罪悪感が強い人は受け取ることが苦手です。
相手に何かしてもらったら、感謝する前に、何をお返ししたらいいのかを考えてしまいます。
そして、相手を喜ばせようと犠牲して、頑張ったりします。
でも、それは受け取っているとは言えないんですね。
お子さんがいらっしゃる方は、幼稚園や保育園で書いたママやパパの似顔絵、嬉しかったでしょう?
全然似てないし、人とは言えない形をしている絵だけど、宝物になるでしょう?
それは「子どもが私のことを思って描いてくれた」という気持ちが感動を生むんです。
だから、Hさんも、その気持ちを頂戴いたしましょう。
そして、それに感謝してみましょう。
「受け取る」っていい課題だと思いますよー。
ということで、日々、ありがとう!を連呼しながら生活してみてください。
感謝は罪悪感を癒します。
気が付けば、そんなに頑張らなくても素直に喜べる自分になれているはずです。
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