ライフワークを生きようと思ったら、おかんから爆弾が落とされたんですけど。



ほんとうにしたいことをしようとすると、潜在意識のエゴが暴れて妨害工作を始めます。
それに流されちゃうとライフワークを生きられず、しかも、それを誰かのせいにしてしまうのです。
まずは自分軸で、そして、その上でやりたいことを選択する、という意志がとても大切ですね。

こんにちは!根本先生のお言葉を生かして、今日は女らしく着飾って根本先生の新刊片手に気持ちよくお茶をしています♪

今日メッセージさせて頂いたのは、ライフワークと家庭環境についてです。

ライフワークのセミナーを受けて「好きなことを好きなだけやって生きていい」と花柄の便箋に書いて貼っていました。

ですが昨日母親から大きな爆弾を投げつけられライフワークを邪魔されそうです。

母は私が高卒した頃から糖尿病がひどく、今年は入退院を繰り返しました。
自武女である私の母ですから神経質・ヒステリック・感情や心の声がダダ漏れ・家族を責め続けていて、病気や経済苦を家族のせいにしています。

父は母を愛していましたが、最近は母にバレない程度の浮気をし始め、母への愛は感じなくなりました。

母の糖尿は重いですが、少ない収入で借金体質の父に養って欲しいと素直に可愛く頼めない為、正社員で働いています。

それを周りは「家族に養ってもらいなよ」「旦那は何で見舞いに来ないの?」等色々言われるようで、それを不満としてぶつけてきます。

母の家庭環境も悪かったので、家族の愛を受け取るとか、自分軸で生きるとかが母には皆無です。

そんな母は昨日の診療で、病状は深刻だと言われたそうで、不安や不満を怒鳴り続けて暴れた後、私に「病院代ももう自分ではどうにもならなくなっている。仕事と療養食の両立が難しい。転職して養ってほしい」と言いました。

そこで、私のライフワークはどうなるのか?
私は母が死ぬまで母の人生を生きなければならないのか?
ライフワークがまだ見つからなくて転職先も無理くりになるような。

私が有給をとって行った見舞いや迎えでさえ、「毎日家族が来ていた隣りのベットの人に比べたら、そんなものは来たうちに入らない」と言う母の不満は、何をしても変わらないような。

長くなりましたがライフワークと、やらざるを得ない状況との合理性の付け方とかありましたら、教えてください。
(Yさん)

ライフワークを生きるぜぃ!と宣言した途端にあらぬ方向から爆弾が飛んできて邪魔される、という現象って不思議とよく起きるものでして、それを私たちは「神様のテスト」なんてオサレな名前を付けているわけでございます。

ま、ほんとの神様はテスト何てしないわけで、そこで起きてるのは自分の潜在意識にある「怖れ」「抵抗」が目の前に現象化したと見るのが正しいものです。

そして、その怖れや抵抗と向き合い、乗り越えることで、よりライフワークへのコミットメントも高まろうというもんです。

さて、今のままだとYさんは「お母さんを理由にしてライフワークを生きない」という選択をしそうになってますよねー?

Yさんのライフワークとお母さんって関係あるのでしょうか?

 そりゃ、お母さんだから。
 お母さんのことを大事にしてるから。
 お母さんのこと、放っておけないから。
 愛してるし。
 お母さんが体調悪いとなったら娘としてはサポートしなきゃいけないし。

こういうのを「母軸」と言います。「他人軸」のひとつ。

私たちのエゴは巧妙に自らを幸せにしない方向に導こうとします。
だから「その手には乗らねーぜ」ってことを肝に銘じる必要があります。

特に自らの人生を輝かせるライフワークを生きようってもんなら、時にエゴは総動員をかけてそれをストップさせようとします。

 急にまとまったお金が必要となる

 旦那が離婚を言い出した

 子どもに問題が発生した

 仕事がどんどん忙しくなる

 ほんとうにやりたいことなのかどうかわからなくなった

 家族が病気(怪我)になった

そういう一大事が起きると「自分の人生を生きる」よりも「お母さんの人生を生きる」方に意識が取られてしまいます。
だから、「その手には乗らねーぜ」ってことなんです。

ただ、その辺はほんとうによくできていまして。
文面から察するに、Yさん、子ども時代よりそんなお母さんとだいぶ距離感が近く、支配されてきましたよねー?癒着とかもありましたか?
すなわち、そもそもが「母軸」だったんじゃないでしょうか。

ある人に結婚を考えられる彼ができました。
母と二人暮らしの彼女は、母にバレると妨害されるので、密かにその恋を育てていました。
しかし、はっきりと言ってはなくてもお母さんはそのことを察したようで、やれ、あそこが痛い、やれ、将来が不安、やれ、最近のあんたは冷たい、などあれこれと文句を言い始めたのです。
帰りが遅くなれば今まで以上に電話がかかってきます。

かつての彼女であれば、お母さんに意識を取られて彼よりも母を選んできました。
けれど、彼女は自分軸を確立していたし、癒着も手放していたし、何よりも彼のことを大切にしようと思っていたので、そんなお母さんに振り回されないようになっていました。

そしたら、あれほど彼女に依存していたお母さんが、なんと、自立し始めたのです。
家に引きこもり勝ちだったのが、近所の集まりに顔を出すようになったり、買い物でも病院でも彼女が車を運転しなきゃ行かなかったのに自分一人で出かけるようになったり。

「あんたもいつまでも家にいるわけじゃないから」って話もしてきたそうです。
それまでは「結婚しても私はあんたについていく」的な感じで重たかったのに!

癒着があるとき、
心配しちゃうとき、
私が何とかしなきゃと思うとき、
お母さんを背負おうとしてるとき、
お母さんのこと、信頼してませんよね?

そして、お母さんがしていることと同じことを自分もしちゃいますよね?

「お母さんは周りの人のせいにするし、私のせいにする。私もそんなお母さんのせいにする」

という連鎖が起きます。

また、お母さんが愛してくれないから、私も愛さない、というやり取りも生まれます。

そうすると泥仕合ですね。

Yさんもここでライフワークを生きることを諦めたら恨むでしょ?お母さんのこと。
まあ、もう昔から恨んでるのかもしれませんけれど。

でも、それを選ぶのは自分自身ですよね。

「やらなければならない」と思うことによって、「だからライフワークを生きられなかったんだ」という自己正当化の準備を始めちゃってるんです。

お母さん、大人ですよね?
Yさんも、大人ですよね?
じゃあ、お互い自由に生きられますよね?

>そこで、私のライフワークはどうなるのか?
>私は母が死ぬまで母の人生を生きなければならないのか?
>ライフワークがまだ見つからなくて転職先も無理くりになるような。

こういう時、私がよく何てお伝えするのかはYさんはご存知ですよね?

「で、どうしたいの?」って。

「自分はどうしたいの?」ということを選ぶことが「ライフワーク」じゃないでしょうか。

だから、お母さんがそういうことを言ってるのは長年の経験から想定内だと思うので、「まあ、そういうことだよね~」って言いながら、自らのしたいことを優先してみましょう。

妨害があるなら、まだ私の潜在意識は準備ができていないんだ、と解釈して、また一歩、また一歩、夢に向かって進んでいきましょう。
そうして潜在意識の抵抗が薄まっていくと、お母さんの態度も不思議なことに変わり始めるのです。
これ、ほんとのことね。これもあるあるだから。

とりあえず現実的には改めて「母軸」から「自分軸」に移行しましょうね。

「私は私、おかんはおかん。
私はおかんに関係なく幸せになるし、
おかんも私に関係なく幸せになる。
だから、大丈夫じゃ!」

あたりのアファメーションからスタートしましょうか。

ライフワークってのは仕事に限らず、自分らしい人生を生きることと私は定義しています。
だから、ライフデザインそのものなんですね。

お母さんのこと見捨てられないし、愛情もあるのならば、自分軸になった後に、お母さん込みのライフワークを描いてみるのもアリです。

***

私は好きな仕事をバリバリやってキラキラと輝き、周りの女子たちから「Yさんみたいになりたいです~!」と憧れられる存在になっている。
みんな可愛い部下であり、後輩たちだ。

もちろん、男たちは私の足元に跪いて赤いハイヒールに口づけしては「美しいYさま。今日もお会いできて光栄です」と口々に呟いている。

とはいえ、私が彼らに心を動かすことはない。
私にはお互いに惚れ合い、尊敬し合い、愛し合い、いちゃいちゃし合う超絶素敵なダーリンがいるのだ。今朝も彼の情熱的なキスで目を覚ますと、リビングには豪華な朝食がもう用意されていた。

もちろん、彼はビジネスでも大成功していて、私に豊かさと喜びを常に与えてくれている。
私のことが好きでしょうがないらしく、仕事中であっても「声が聴きたいから」と電話をかけてくるような男だ。かわいい。もちろん、男前だ。

そんな私の成功を始めは嫉妬していた母も今は応援してくれている。
病気の治療にも私のお抱えの運転手(熟女好き)が喜んで付き合ってくれているし、いつしか病状も落ち着いて元気かつ穏やかな老後を送っている。

こんな未来があるとは正直私は想像もしていなかった。
やりたいことをやりたいようにしていたら、いつしか王宮のような家に住んでいた。

さて、そろそろダーリンがしびれを切らして会いに来る時間だ。
今日もまた情熱的な愛でとろけてしまうのだろうか?ぐひひひひ。幸せだ。

***

まあ、ちょっと大げさではございますけれど、お母さんを見捨てろ、というわけではありません。
お母さんを手放して、自分らしい人生を生き、そのライフワークを生きるプロセスにお母さんを再びキャスティングしてあげたらよいわけです。

お母さんを選ぶのか?
ライフワークを選ぶのか?

ではないのです。
どっちを先にやるか?という順番の問題ですよねー。
だってお母さんのこと、それだけ愛しているのだから。

ということで花柄の便箋に、より大きな字で「好きなことをして、自分らしく生きるんじゃ!!!」と書いといてくださいな。

まあ、和紙に墨痕鮮やかに書き込む方が自武女(自立系武闘派女子)の皆さんには似合ってるかもしれませんけど・・・。


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