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ありのままの自分、という言葉をよく聞きますが、それって何なのでしょう?何を指すのでしょう?
講座でお話しした内容を元に、レクチャー形式に纏めて見ました。
あくまで私の見解ですので、他の方は違う説明をされてるかもしれませんが!
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「ありのままの自分って?」という講座を昼間っから梅田でやっておりまして、平日なのにヒマな人たちが集まって下さって(!?)(すいません)、気持ちよく話をさせてもらったところです。
ちなみにこの講座は11/17(金)に東京で開催します。
12:00-14:00 大人の心理学講座「ありのままの自分ってなんだ?どうすりゃ見つかるんだ?」(神楽坂)
>https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/21260
その後は、これもあります!
15:00-17:00 公開カウンセリングセミナー(神楽坂)
>https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/20184
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ネタバレになりますけれど、ありのままの私って話を今日は少し。。。いや、多めに。。。
私たちは潜在意識に「マイ・ルールブックス」を持っているわけです。
自分の行動や考え方、感じ方、価値観、性格等々、あらゆるものに適用される無敵のルールブックで、おそらく、広辞林サイズに変換すれば200冊程度は持ち歩いているモノ、と思われます。
例えば、「あ」の項目を見てみましょう。「あ」だけで数冊分はありますけど。
さて、パッと開いたページにこんなことが書いてあります。
「赤信号、車が来なければ渡っても良い」
なので、普段は赤信号でも、周りを見渡して車が来なければ渡ってしまいます。
ただ、この項目には付帯条項が付いておりまして。
1.ただし、周りに人がたくさんいるときは渡らない方がよい
2.恋人といてかっこつけたいときは赤信号を待つ、というのもあり
3.急ぎの時は車が来ていても注意して渡っても良い
なんてことが書いてあるわけです。
ところが、ある日、根本くんは駅を出るなり猛烈な便意に襲われました。駅の便所は改札を通らなければならない上にちょっと遠いことを知っています。
この状況ならば50メートル先のコンビニに飛び込むのが最も社会人としての尊厳を維持する方法だと考えたのです。
ところが、駅前の信号は赤。
折しも帰宅時間帯でみんな信号を待っています。
車の往来も少しありますが、ダッシュすれば渡れてしまうくらいの余裕はありそうです。
便意に耐えかねた根本くんは衆目の中ダッシュしてコンビニに駆け込みます。
間一髪ズボンとパンツを下ろすことに成功した根本くんはホッと一安心すると同時に、不安や恥ずかしさが込み上げてきます。
「ルールブックでは禁忌とされていることをやってしまった・・・。ここはコンビニだ。トイレから出たら、あの信号待ちをしていたうら若き女子もきっと買い物をしているだろう。僕の顔を見たとき『あ、あの赤信号を守らなかった奴だ。』と思うに違いない。
いや!僕は普段は渡らないんだ!でも、今日は特別なんだ!と言い訳したい・・・。」
そんな葛藤を顔と共に隠しつつ、根本くんはコンビニを後にするのでした。
「あっ!コンビニでトイレを借りたら、水やコーヒーを買って店員さんに感謝する」という項目があるのに、それを破ってしまった!あかん!あかん!!!
うわー、もう、俺、何やってんだよー!!!
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皆さんもそういうことは頻繁にあると思うのですが(まじ?)、私たちはこうして「マイ・ルールブックス」に縛られて生きているのです。
この「マイ・ルールブックス」のことを、心理学では「観念」とか「ビリーフ」とか「思い込み」とか「自分ルール」とか「傷つかないためのルール」なんて呼びます。
このルールは、大きく二つの流れから生まれます。
ひとつは親や周りの人からの影響で書き込まれるもの。
もうひとつは自分の体験や考えを元に書き込まれるもの。
様々な行動、思考、感情、価値観に対して「これはこうすべき」とか「こうすべきでない」とか「こうするのが良い」とか「それはあかん」とか「これが望ましい」とか「これが正しい」「間違ってる」などという書き方をしています。
厄介なことにこの条項は時に付帯条項により矛盾が生まれることがあります。
例えば「約束の時間に遅れてはいけない。遅れると嫌われるぞ」って書いてあるのですが、その付帯事項を一部抜粋すると・・・
1.気の知れた友人や妹に対しては遅れても構わない。その時は謝らなくてもいい。
2.彼氏とのデートにはわざと数分遅れて行くのが正しい(らしい)。
3.すっかり手の内に落ちた彼氏の場合は少々待たせる方がいい。
4.その彼が野良猫男子だった場合は、向こうも遅れて来るので時間は適当に潰すべし
5.・・・・・・
なので、時に
「えーっとこの彼は野良猫?真面目な人?どうしよ、どっちなんだろ?」って混乱することになります。
そして、恋愛をするたびに、この項目は追加されていくので、気が付けば付帯項目が184番まで行っちゃうこともあるんです。(184=イヤよ、ってことね?気付いた?)
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この「マイ・ルールブックス」を持つ理由は「嫌われない、見捨てられない、褒められる、愛される、好かれる、必要とされる、認められる」等々のもので、過去の知識や経験を総動員して作られ、その検索速度はGoogleを遥かに凌ぐと言われます。
そして、このルールブックスを用いて私たちは自分の感情や行動をチェックするのですが、たいてい、ダメ出しになることが多いんですね。
このチェックする行動のことを「判断(ジャッジメント)」と呼びます。
つまり、自分の行動・思考・感情等に対して、常に裁判官が六法全書を持って寄り添い、いちいち「有罪!」とか「ま、無罪でええやろ」てやってようなもんです。
しんどいでしょ?そういう生き方。
だから、このルールの項目が細かくてたくさんあればあるほど、私たちは「窮屈」だし「生きにくい」し「イライラ」してしまうのです。
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この生きにくさ、窮屈さ、イライラ、不満感というのは、そのルールによって自分を裁いているから起きるものだと思ってください。
私たちはありのままの自分でいたときに、否定、批判、干渉されてきました。
子ども時代のことね。
そのままじゃだめなんだ、と思い込んでしまっているのです。
そして、周りから愛されたい、必要とされたいと思ったり、見捨てられたくない、嫌われたくないと思うたびに、自分の行為を戒めるためにそのルールブックに書き込みを繰り返してきたわけです。
だから、この「マイ・ルールブックス」というのは「私たちが傷ついた分だけ分厚くなる」という傾向にあるのです。
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ところが、それによって裁かれる自分はそこで犠牲や補償行為を繰り返すことになります。
「今日はしんどいなあ。友達とご飯行く約束だったけど、家で休みたいなあ」と思っても、そのルールによって縛られている自分は、そこで鞭を打って頑張って出かけていくようになります。
「そうしないと嫌われる」と思っているからです。
でも、やっぱり、それ、しんどいですよね?
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さて、ちょっと考えてみてください。
「疲れてるんだから休みたい」と思っている自分がいます。
そこにルールを適用して「そんなのあかん!嫌われるで!」と脅迫をしている自分がいます。
そして、「そうだよね、やっぱりドタキャンはダメだよね」と思って立ち上がり、メイクをして、出かける自分がいます。
そして、楽しそうに友達との食事を楽しむ自分がいます。
そして、家に帰って来て「はあ、疲れた・・・」とベッドに倒れ込む自分がいます。
さて、「ありのままの自分」とはどの段階、どの自分を指すのでしょうか???
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はい。まあ、正解された方も多いと思いますが・・・
ありのままの自分、というのは、これ全部ですね~。
これ、全部、自分です。
そうですよね?
途中から別の人に入れ替わっていませんよね?
「ドタキャンはダメだよね」ってしんどいけどちゃんとメイクして出かけちゃうのも自分だし、疲れていても楽しそうに友達とおしゃべりできるのも自分だし、家に帰って来て「あー疲れた・・・」ってのも自分です。
途中で別人に入れ替わってるわけじゃないですよね???
これ、全部、私。
だから、これ、全部、ありのままの私。
自己肯定感ってのは、そのありのままの私にOKを出すことです。
そうして、頑張ってしんどいのに友達とご飯食べて疲れて帰って来た私に「よくがんばった!えらい!すごい!!」って褒めてあげることです。
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そうしてありのままの自分を受け入れた次に「で、どうする?次は?どうしたい?」って問いかけをするのです。
私たちはついつい
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自己嫌悪に陥る
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そんな自分を変えたいと思って正解や理想の形を探す
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そういう自分になれるように頑張る
とうプロセスをたどりがちです。この方法が悪いってんじゃないですけど、自己嫌悪がベースになってるので長続きしにくく、かつ、成功しにくいんです。
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それも私だ!と自己肯定する
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どうなりたいか?という希望を自分の心の中に探る
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そのなりたい自分に向かってできることをやっていく
これが理想的なプロセスです。
否定はどこにも入っていません。
また、常に選択を続けています。
そして、ポイントは「外」ではなく「内」に答えを見出そうとするところ。
これを「自分軸」って言うわけです。
ありのままの自分を受け入れる=自己肯定する、その上で、どうなりたいか?という問いかけを自分にしてあげると、否定がない分、気分的に楽に自分を変えられるのです。
さて、いつものように宣伝タイムです。
そんな自分軸で生き、自己肯定感をあげるための本、絶賛発売中ですぞ!
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「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)