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他のテーマにも通じることですが、今日はこの4つのお話をさせてもらいました。
・なぜ、そのブロックが生まれたのか?
・イメージの世界から実践の世界へ
・人に会いに行く
・許可すること
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私は色気のある女性にとても憧れます。私もそうなりたいと思うけど、自分の中に何か心のブロックがあるような気がしています。
私は幼稚園児の頃から運動会で上半身裸で踊らされたり、トイレに鍵がついていなかったり、下着姿でお昼寝させられたり、裸でプールに入れられたりするのが物凄く嫌でした。
周りの子達はあまり気にしている様子がなく、自分だけが過剰に気にしていることがバレるのも恥ずかしくて悟られないように我慢していました。
でも、そういった感情を抱くのは普通、思春期からではないのかな?と疑問に思っています。
また、男の子と仲良く遊んでいたのを母にからかわれた時に感じた羞恥心、惨めさ、屈辱、恐怖が入り混じったような何とも言えない不快感が今でも忘れられません。
私は幼稚園児の時からすでに自分の女性性を否定していたという事でしょうか?
また、どうしたら心のブロックを外せますか?教えて頂けると有難いです。
(Aさん)
>でも、そういった感情を抱くのは普通、思春期からではないのかな?と疑問に思っています。
そうですね。ふつうは思春期からが多いのですが、多いだけで個人差はめちゃくちゃあります。
Aさんと同じような感覚をお持ちの方、私もすぐに何人か思いつきます。
また、幼稚園の頃からオナニーを覚えた方も実は珍しくありませんし、裸を見られるのがすごく嫌で幼稚園の頃から一人で隠れて着替えてた方もよくいます。
それくらい「女性性が豊か」だったり、「感受性が強い」のだろうと思います。
まあ、例え話っちゃ例え話ですが、前世というものがあるのなら、前世でもほんとうに豊かな女性性を持っていらっしゃって、それを十分に味わい尽くすことなくその生を閉じてしまい、それが現世にまで影響を与えているようなものだな、などと話したりします。
ちなみに、Aさんのご家族や親せきで、すごく色っぽい感じの女性、もしくは、女性であることを極端なまでに否定している女性はいらっしゃいませんか?
もしかしたら、血にまつわるところなのかもしれません。
>私は幼稚園児の時からすでに自分の女性性を否定していたという事でしょうか?
羞恥心や惨めさ、屈辱感や怖れなどを感じるのは、女性性を否定していた、というよりも、それだけ豊かな女性性を持っていた、ということだと思います。
分かりやすく言うと、とても背の高い男の子。
幼稚園児にしては飛びぬけて背が高いので目立ちますよね。
で、別に背が高いのは悪いことでも何でもないんだけど、目立つのがイヤだったり、恥ずかしかったりすると、猫背気味になって背の高いのを隠そうとしますね。
そして、背が高いことをすごく嫌悪すると思うんですね。
Aさんの女性性もそんな感じに捉えて見るといいかも。
恥ずかしいことでも何でもなく、個性なんだなあ、と。
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さて、そういうAさんですから、当たり前のように色気はふんだんにお持ちだと思います。
>私もそうなりたいと思うけど、自分の中に何か心のブロックがあるような気がしています。
Aさんにとって色気ってどんなものでしょうか?
こんな風になりたいなあ、という具体的なイメージって湧きますか?
もし、そのイメージ通りのファッションを身に着けたとき、誰の目が気になりますか?
そこで気になる人が「心理ブロックのシンボル(象徴)」となる人です。
例えば、よくセクシャリティの問題で出てくるのがミセス・ラスボス「おかん」ですね。
「あら、そんな恥ずかしいかっこして」とか「いい年してそんな女、女した服着て」とか、いろんな言葉攻撃によって娘に嫉妬したり、否定したりしています。
で、娘もおかんには敵わないというか、長年の習性で気を使ってしまいますから、そう言われるのがイヤで、そんな部分を隠してしまいます。
女性性(セクシャリティ)や色気というのは「恥ずかしい」という感情が動きますよね。
で当然ながら恥ずかしいのは嫌なので、そこを回避する行動に出るのです。
だから、セクシャリティが強い人ほど、隠す力が強くなるので、表向きそういう空気を漂わせなくなる人もいます。
だから、「興味はあるけど、全然私、色気とかセクシーさとは縁がないの」と思っている人ほど内側にふんだんなセクシャリティを隠しているかもしれません。
で、人目が気になるとどうしても意識が「外」に向いちゃいますね。
自分の気持ちは無視して人に気持ちを優先するようになるわけです。
それってやっぱり辛いっすよね?ということで、「自分」に意識を向けていくんですね。
内側の世界をまずは楽しみましょう。
それは想像の世界でも構いません。
自分がとても色っぽい服を着て、素敵な男性とデートしてる・・・という妄想でも構いません。
自分がそういう女性なんだなあ、ということを意識して、そういう女性であることをまずは自分が許すことが大事なのです。
Aさんが憧れる女性になったイメージをしてみる、ということです。
もちろん、よりイメージがしやすいように、スマホの待ち受けにしたり、部屋に写真を飾ったりすることもステキなことです。
自分がその人のようになることを許可する、ということがまずは一歩目なんですね。
で、やっぱりそうするとAさんにとって色っぽい女性ってどんな女性なのか?ということをお聞きしたくなっちゃうわけですが、こういう女性が色っぽいというルールって一切ないんですよね。
あくまで自分の感覚が正しいわけです。
その自分にとって「色っぽい女性」に意識を向けて行き、その人はどんな服を選ぶだろうか?どんな下着を身に着けているだろうか?どんなコロンを振っているのだろうか?どんな靴が好きなんだろうか?
というファッションから始まり、どんな生活をしているだろうか?
というイメージをどんどん広げていきます。
そして、そのイメージの中で「今、自分にできることは何か?」を見つけて一つ一つ実践していくことです。
心理ブロックを外す、ということは、すなわち、行動に出る(思考が変わる)ということですから、実践が大事ですよね。
例えば、「私のイメージする色っぽい女性は外国製のミネラル・ウォーターを飲んでいる」と思うのであれば、ちょいとオシャレなスーパーに行って調達してきましょう。
例えば、「彼女はきっと湯船に長く浸かって美容のためにいっぱい汗をかいてるんだわ」と思ったら、それを実践してみましょう。
例えば、「彼女はとてもセクシーな下着を着けて、服もとても体のラインがでるものばかりだわ。ああ、でも、さすがにそれは無理!でも、下着くらいならばいけるかな?」とできることをやっていくのです。
そうした実践こそが、心理ブロックを外すことにもなりますし、自分の確実な変化と成長を促してくれるものです。
でも、できないことを追いかけるのはいたずらに自己嫌悪を加速させるだけなので意味はありません。できることを見つけてやる、ということなのです。
お金がかからない方法もいっぱいありますよね。
例えば、色っぽい人はどんな風にスマホを見るんだろう?どんな風に電車の席に座るんだろう?スタバでコーヒーを飲む時はどんな仕草になるんだろう?という風に。
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女性性が豊かな人は人にもよりますが、和服なんかをお召しになるのがいいのかもな、と思うんです。夏なら浴衣、それ以外も着物などを。
着付けやお花、お茶などの日本古来の習い事もステキですよね。
日本の女性って女性であることを大切にしてきた歴史があると思うのです。
男尊女卑になったのもここ150年くらいのもので、元々女性が強い国ですし、伝統的な日本の文化には女性性の豊かさを感じることができます。
だから、そういう日本的な文化に触れるのも女性性を開花させる方法ではないのかなあ、と思っています。
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カウンセリングやセラピー的なアプローチを踏むのならば、やはりお母さんなり、周りの人たちの目線を克服する方法を採り入れることもできます。
また、自分のそうした女性性の強さを受け入れる、許す、愛するアプローチを一緒に考えていくこともできるでしょう。
それが素晴らしいものであり、ほんとうに価値のあるものだという認識ができれば、だいぶ変化も起きて来るのです。
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私がよくお勧めしてるのは「人に会いに行く」ということ。
ひとつはそういう自分が憧れる色気を出して生きている人。
もう一つは、そういう女性性を解放するようなアプローチができる場所。
憧れの女性に会えるというのは最高です。
セミナー講師をやってる方でステキな女性もたくさんいらっしゃるので、ぜひ、探して愛に行くのがお勧めですよ。
また、そういうセミナーの中には直接女性性の解放を謳ったものも少なくありませんので、一挙両得ではないでしょうか。
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女性性に限らず、豊かさや成功などもそうですが、結局のところ「自分がそうなることを自分に許す」ことが何よりも大切なのですね。
例え準備も環境も整っていても、自分がそれを許せなければやはり受け取れませんね。
それを「心理ブロックを外す」と言うのかもしれませんが、「許す」という意識、すごく大切だと思います。
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