元ネタはこちらです。
「分かってる!できてる!知ってる!は危険なサイン。」
>http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/17686
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昨日ちょうど思っていた所でした。
ここ1、2年心理学とまではいきませんが、子育てにつまずいたきっかけから心に興味を持つようになりました。
そしたら、最近自分がちょっと生意気になってきました、
服が破れているのに、着続ける人を見ては、あの人絶対自己肯定感低いな、
義母の悪口ばっかり、言ってるけどさ、貴方もそっくりだけど?やっぱり鏡の法則だわ。
それに本人は気がついてなくて、言ったらきっと逆上するだろうな、
とか、、
ジャッチし始めちゃったんです。
新しい環境に引っ越したので、友達は欲しかったのに、そんな目線でしか見れないので友達もできず、、。
でも、考えてしまいます。
ジャッチしないにしても、義母の悪口ばかり、言ってる人との会話はつまらないし、服が破れている人とランチは行きたい気がしません。
それは、おかしいですよね??
(Yさん)
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おかしい?どこがですか??
自然なことだと・・・思いますけど・・・。
ジャッジはいけない、という思いにとらわれ過ぎているかもしれませんね。
たしかに、ジャッジ(判断)は人間関係にとってマイナスな要素があります。
けど、しちゃうものはしょうがないですよね~。だって人間だもの!(笑)
シンプルに考えてみませんか。
そもそもYさんは「義母の悪口を言う人が嫌い」「服が破れてる人が嫌い」なんですね。
嫌いなものを無理に好きになろうってのは難しいです。
私も子どもたちに「パパ、一緒に乗ろうよ~」とせがまれたって、嫌なもんは嫌です。
よりによって家の近所のエキスポシティに日本一と言われる観覧車ができたんですよ。高所恐怖症の私にとって、それは嫌がらせ以外の何物でもありません。
だから、あれこれ理由を付けて乗らないように全力を期します。心理学のありとあらゆる知識と経験を総動員して乗らないようにベストを尽くします。
なんせ、奥さんですら「あれ、あたしでも怖かった・・・」って言うんですよ。
うちの奥さんが怖いっていうものを私が乗れるわけないじゃないですか!!!
すいません。つい、感情的になってしまいまして・・・。
いや、ほんと、アレに好き好んで乗る人々の気持ちが知れません・・・。
シースルーですって。。。もう、ほんとヤバすぎますよね・・・。
ということで、嫌いなものは嫌い、でいいんです。
服の破れた人に対して自己肯定感が低いな、
とか
義母の悪口ばかり言う人に鏡の法則だよな、
とか、
そんなジャッジメントしなくてもいいんですよ。
あたし、あいつ、嫌い。
これでいいんです。
つまり、嫌う理由なんて付けなくてもいいんですよね(^^)
まあ、なんかこの記事は私の正当化のためにあるようなものですけど・・・(笑)でも、嫌なものは嫌ですもんね~。
だから、生意気になってきた、のではなく、素直になってきた、とポジティブに捉えてみましょう。
だって、Mさんが生意気なのは本人以外周りの人はみんな知ってるはずですから、何を今さら感が漂って、ダダスベリです。
その空気を回復できるだけのギャグをお持ちであればいいんですけど、なかなか難しい空気感ですよね。
なので、あたしは生意気だ!わがままだ!でいいんです。
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私のクライアントさまにはそんなわがままで生意気なお嬢がいっぱいいるんです。
「あの男、むかつくし、キモくなってきたから別れた。なあ、あたしに合う男ってどこにいんの?カウンセラーでしょ?教えてよ」
そんな、超生意気なクソガキもいるんです。(クソガキって言ってますけど気が付けばアラサー、アラフォーですけどね。ふふふふふふふ)
だから、Mさん、どうぞ、素のまま、生意気で生きてください。
全然、マシです。すごく、かわいいです。
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嫌なもんは嫌、と認めるとね、好きなもの、がはっきり見えてきます。
ああ、やっぱりあたし、こういう人とランチしたいわ!という人が見えてきます。
その方が人生、楽しいですよね。