自分を変えるとは?(2)



「ヒマワリなんてだっせーんだ!俺は桜になるんだ!!」
そうしてせっせと春に咲こうとしてる人いませんか?

昨日は「自分を否定してちゃ変わるものも変わらねーよ」という話をしました(笑)
今日はこのテーマをお話ししたかったほんとの目的を果たします。
ついつい前戯が長すぎて本番までたどり着かずに果ててしまった感じではございますが、一晩明けて復活ののろしを上げたいと思うわけです。

さて、テレビなのかネットだったか覚えてはいないのですが、こんな話を目にしまして、そうだよなあ~と思ったので勝手にパクらせていただきます。

「ヒマワリはどう頑張ったってヒマワリで、桜にはなれない」

そういや、似た話は私も何度もしておりますね。

ヒマワリもけっこう人気があるんですけど桜に憧れちゃうんですよね。
「いいなあ、あんなにも人が集まってくれて、しかも、川沿いとか人通りが多いところにたくさん植えられて。
しかも、可憐だの儚いだのと言われるところが羨ましいなあ」と。

ところがそのヒマワリに憧れる奴もいたりする。例えば百合とか。
「ヒマワリは華やかでいいなあ、いかにも夏!!って感じで元気な感じがいいなあ」と。
「私のことをきれいって言ってくれる人もいるけれど、でも、なんか地味なのよね」と嘆いているのかもしれない。

いやいやその百合に憧れる奴もいるわけで・・・と私たちの自己否定&変身願望は後を絶たないわけです。

ヒマワリが自分のことをヒマワリだって気付いて、
ヒマワリでいいんだってことを受け入れて、
ヒマワリ最高!夏、カモン!と楽しめること。

これを「自分を変える」と言います。

買えるってのはヒマワリが桜になることじゃないんです。
だってなれないもんね。

でも、なろうとしてる人、いっぱいいませんか?

「ヒマワリなんてだっせーんだ!俺は桜になるんだ!!」

そうしてせっせと春に咲こうとしてる人いませんか?
まだ寒いよ。
だからうまく咲けないよ。
しかも、咲いちゃったら浮くよ。ヒマワリなんだから。

「自分を変える」ってのは「本来の自分に戻る」ということ。

子どもの頃はまだ「本来の自分」が全開でした。
ところが、様々な事情によって「本来の自分」では生きられませんでした。

「わがままだ!」って怒られて自分の意見を言わなくなったり、
「お前には無理だ」と否定されて、やりたいことを諦めたり、
「お母さんを助けたい」と思って犠牲をしてきたり、
「人に迷惑をかけたくない」と思って自分の思いを隠すようになったり、
「嫌われたくない」と思って演技するようになったり。

そうしていつか「ヒマワリのくせに桜になった気がしてるヒマワリ」になっています。

でも、所詮ヒマワリはヒマワリ。
隠れたつもりでもヒマワリはヒマワリ。
ハムスターがあなたの種を早くよこせとせがんでいます。

本来の自分に戻る、ということは、そうやって本来の自分の周りに着けてきた鎧だの仮面だのを削ぎ落して素肌の私に戻るということ。

女子の皆さんは毎日体験されてますよね。
そう、メイクを落とすのと同じなんですね。
素顔に戻る、わけです。

(きゃー、そんなん無理―、やだー)

まあ、もっとがちがちに塗り固められてますからちょっとやそっとのメイク落としでは全然ダメなんですけどね。

でも、ほとんどの方にとっては「本来の自分」を見つけるのは、メイクの影の素顔に出会う、というよりも、発掘調査に近い場合もあります。

「おぉ、土器の欠片が出てきた。これは縄文時代のものだな。これで縄文人の生活様式がまた少し見えて来た」みたいな。

すなわち、「おぉ、そういや子どもの頃、○○って漫画が好きだったな。ワクワクしながら発売日を待ってたな。」みたいな。

そこに「本来の自分」へのヒントが隠されているんです。

自分が当たり前に手にしているもの。
自分が好きなもの。楽しいと感じるもの。
自分の嫌いなもの。嫌なもの。

全部、自分自身ですね。

それに気付いて「ああ、それでいいんだ」と思うたびに心は楽になっていきます。
もう何者にならなくても良く、ただ、自分が自分でいるだけでいいのだから。

「私はヒマワリ。ヒマワリはヒマワリのままでいい。」

当たり前のこの“事実”を私たちは忘れてしまっているのかもしれません。

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