完璧主義を直すコツとは?



怖れから来る完璧主義は苦しいです。
でも、愛から生まれる完璧主義もあるんです。
怖れは手放し、愛を受け入れることで「直す」ことができそうです。

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こんにちは。いつも楽しく勉強させて頂いてます!

潜在意識に、クセがついてる場合があると聞いて、今までどこへいっても人間関係がうまくいかないなーとだけ思ってたのですが、そこにプラス、イライラして軽く揉めて退社する形が繰り替えされてることに気がつきました。

きちんと仕事をしなかったり、遅刻が多かったり、頼んでおいたことをやらなかったりされた時に、イライラする傾向があります。
又、完璧主義と言われます。自覚もありますが、準備をしないでバタバタするのを見ていると、なんでだろーと思ってしまいます。

このままの自分を受け入れたいけど、頑張るっていうことは、いい事だと思うんです。努力も、、

その辺の違い、完璧主義を治すコツみたいなのがあったら、、教えて頂だきたいです。
人と働くの難しいのでしょうか、、
(Yさん)
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完璧主義だなあ、と思う方?ってセミナーでお聞きするとけっこう手が上がります。
私たちは思春期になると“愛されるために”完璧にならねばと思い、頑張ることを覚えます。
自分が完璧になろうとする分だけ他人の完璧じゃないところが目に付くようになります。

Yさんの場合は

>きちんと仕事をしなかったり、遅刻が多かったり、頼んでおいたことをやらなかったりされた時に、イライラする傾向があります。

ということですね~。
逆に言えば、Yさんはきちんと仕事をし、時間を守り、頼まれたことはきちんとやり遂げる主義なわけですね(できてるかどうかは別として)。

カウンセラーというのは「なんで?」という疑問を持っていろいろとお話を伺っていくのですが、Yさんの場合はどうしてそのような完璧主義になってしまったのでしょう?

両親が厳しかった?or放任だった?
抱えているコンプレックスが大きかった?
誰かとの競争があった?

完璧主義が問題だな、と思う方の心理には「怖れ」があることが多いんです。
「きちんとしなければ人から嫌われる」
「完璧にしなければ人に愛されない」
「ちゃんとしていなければうまくいかない」

完璧主義が問題、というよりも、この怖れが辛いんですね。
だから、
「きちんとしていなくても嫌われない」
「完璧でない自分も愛される」
「ちゃんとしてなくてもうまくいく」
そんな風に怖がっている自分に教えてあげると完璧主義は少しマシになっていきます。
要するに自分に寛容になっていくんですね。

もし、完璧主義を直す、というか、緩和されたいのであれば、その裏側にあるネガティブな感情を癒していくといいんです。

自分でやる場合は「完璧じゃなかったら○○になる」という怖れを見つけて、「そんなことないよ~」って教えてあげる感じです。

もし、それが他人(親など)から押し付けられたものであれば(完璧じゃないと怒られた、完璧にやることを常に求められた)、その人を許す必要があります。
つまり、その人に対して怒っている、恨んでいる、という感情が隠れていることもありますし、その人に嫌われないようにすごく気を使ってることもあります。

さて、一般的な心理学の話題はここまで(笑)

私がこういう質問を頂くと、天邪鬼なものでついついこんなことを考えてしまうんです。

「完璧主義って直さなきゃいけないもの?」

黒澤明監督やスティーブジョブス始め、有名な完璧主義者はいっぱいいますね。
彼らは完璧主義であったからこそ、それだけの偉大なものを作れたわけです。
だから、思うんです。

「直さなくてもいいんちゃう?」

どんな要素にも良い面と悪い面があります(だから、本当は良いも悪いもないんです)。

完璧主義って言うと悪い響きのように聞こえますが、じゃあ、完璧主義者のいいところってどんなところでしょうか?

ちゃんとしてる、信頼がおける、任せて安心、強い味方になってくれる、諦めない、努力家、頑張り屋さん、何かを成し遂げる力がある、諦めない強さがある、物事を体系的に捉える力がある、等々。

完璧主義を直す、ということは、このいいところを手放す、ということにも繋がりますよね。

逆に完璧主義である、ということは、

周りの人が付き合い辛い、気を遣う、頑張らなきゃいけないので疲れる、完璧さを求められるのでしんどい、なんでもちゃんとしなきゃ気が済まないので時間も手間もかかる、等

のマイナスの側面もあると思います。
でも、それはどんな要素にも言えることで、明るくて元気な人には悩みを相談しにくいし、優しい人に何かを決めてもらうと時間がかかるし、ね。

だから、完璧主義だな、と思ったら、まずはそのポジティブな側面に目を向けてみるといいんです。

そして、こういう風に自分を受け入れてあげるのはどうでしょうか?

私はきちんとするのが好き。
私は努力したり、頑張ることが好き。
私は完璧に成し遂げたときの快感が大好き。
私はちゃんとしてることが自分らしくて好き。
私は完璧主義な自分が好き。

「怖れ」からではなく「好きだから」完璧主義をやってまーす!って宣言ですね。

とすれば、好きなことを辞める必要はないわけです。

そして、意外なことに「好きでやってる」と思えると、その要素は緩和されるんです。
なぜかというと「怖れ」がなくなるので。

人に完璧さを求めるのも、自分が好きでやってることを受け入れたら、好きなものを人に勧めるような感じになります。

つまり、怖れの強い完璧主義者は

「なんでちゃんとしてこないの?昨日から準備しておけばこんなことにならないでしょ!」

って怒ってしまうのですが、好きやってる完璧主義者は

「なんでちゃんとしないのかなあ?昨日から準備しておけばすごく気持ちよくできたのにね。もったいないなあ」

って言えるんです。

要するに私が沖縄や飲み屋を語るときのようなテンションで人に接することができるわけですね(笑)

もちろん、他人に寛容になるだけでなく自分にも寛容になっていきます。
むしろ、自分に寛容になるから他人に寛容になるんですけどね。

自分自身が完璧にできなくても「次こそは!」ってチャレンジする気持ちになれるのですね。

これは完璧主義だけでなくほかの要素にも言えることですよね。
セミナーとかで「短所→長所変換」をみんなでやったりしていますが、短所だと思うものの裏側には長所が隠れていて、案外それが才能だったりすることもあるんです。

怒りっぽい人はそれを嫌う前にそのメリットを享受しましょうって言います。
バイタリティがある、とか、情熱的、とか。
それでバイタリティがあるから怒っちゃうのよ!って自分を受け入れると、人に対して意外にも愛情深く接することができます。

こうしたプロセスを大きく言えば「自分を愛する」ということだと思うんです。
「否定して直す」のではなく「愛して受け入れる」というわけです。

その上で、でもやっぱり完璧主義でいるのは辛いから手放したいなあ、と思うのだあれば、もう前向きな目標ですから意識するだけでも改善して行けます。

ちなみに「完璧主義な自分も好きだけど、それがさすがに疲れるわ~」という方には「週に1度、堕落した日を作る」(完璧に過ごさない日を作る)などの方法を提案しています。
「朝から酒を飲む」「朝食はホールケーキ」「一日パジャマでだらだらと過ごす」「会社をサボって温泉に行く」等々ですね。

「今日はそういう日」って決めて行動するだけでも、疲れが取れたりします。

私たちの行動は「怖れ」から生まれるものと「愛」から生まれるものに別れます。
いや、実際は「怖れと愛」は混在していて、どちらの要素が強いか?によってその行動がしんどいか、楽しいか、面白いか、つまんないか、に別れるんです。

その怖れを手放し、愛を受け入れる、というのがこうした問題の解決方法じゃないかと思っているのです。

ちなみに私も完璧主義だと思うんですよね。
ちゃんとして、きちんとして、優等生で、しっかりして生きてきましたし、そういう風にしたいしってところもあります。
ところが、よくよく見てると、きちんとしてないし、忘れ物も多いし、計算が苦手だし、抜けもあるし、だらしないし、高所恐怖症だし、要するにポンコツだし、社会不適合者だし、という部分もあり、それを嫌ってたんですけど、でも、そんな私も私だなあ、と今は「好き」になったのでだいぶ緩和されてると思うんです。
「ちゃんとしたいけど、できない(向いてない)」ことを受け入れられたのかもしれません。
それでもイラッとしますけどね(笑)

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