どれだけ愛をもって接しても攻撃的になってしまう人とどう接したらいいのか分かりません。



傷つくということはまだまだ無償の愛ではないということ。
でも、それだけ与え続けている自分もいる、ということ。
自分の愛にどれくらい自信を持てるのか?が試されています。

***
さて、今日は根本さんにあつかっていただきたいネタがあります。

私の友人に、とても気性の激しい人がいます。
いい時はいいのですが、怒っているときは本当にひどくて、周りの人たちほとんどをこき下ろし、攻撃します。
時に、仲良くしているはずの私やほかの友人にさえ、その攻撃は飛んできます。
才能あふれ、魅力的な女性なのですが、いつも賞賛や承認を求め、あまり他人に興味を持たない感じで、このあいだネットで調べていたら自己愛性人格障害の診断基準の9項目全部に該当していました。
とはいえ、彼女が苦しい状況だからそうなっているのか、本当に人格障害なのかは、私には判断できません。
彼女には彼女の繊細な感覚や才能があり、傷つき続けてきたが故の優しさも、垣間見えることがあるからです。

私はと言えば、昔からかなり我慢ばかりでいい子、いい人を演じてきたことが多かったのですが、心の中は不満ばかりでした。

今は決して自分が「本当のいい人」だと思っているわけではないけど、たとえ自分が傷つけられたとしても、他人を傷つけるくらいなら我慢して飲み込むのが当たり前だと本気で思っています。
だから何でも人の所為にして他人を見下し続け、周りの人を傷つけ続ける彼女のそばにいるのが、本当は苦痛でした。
私自身、どれほど愛をもって接したつもりでも、共感しきれないと攻撃となってしまうので、何度も傷ついてきました。
でも、せっかくのご縁だと思って、私なりに彼女を大切にしてきたつもりです。
そのおかげで、普通ではできない勉強をたくさんさせてもらって、私自身もかなり成長できたと思っています。

ということは、先日のメルマガで取り扱っていらした、「こんな厳しい状況でないと愛を受け取れない」という方と同じパターンなのでしょうか?
たしかに、私が心から信頼している友人たちは、私の努力を認め、慰めてくれて、本当に私は恵まれている、愛されているなと感じます。
それとも、そこまでしても私は、自分を成長させたいのか、ということ?

どちらも嫌というほど心当たりはあるのですが、何十年もこういう生き方をしているからか、どうしたらいいのかわかりません。
このパターンをやめたいと思っている私もいるし、出来るならこれ以上傷つかずに、でも彼女をそのまんま、丸ごと受け止めてあげたいと思っている私もいます。
私も周りの友人たちに、感謝状を書くべきでしょうか(笑)?

何かアドバイスをいただければ幸いです。
お忙しい中、すみません。
でも、ほかのだれかでなくて、根本さんのご意見が聞いてみたかったので、もしよかったら回答をお願いいたします。
(Mさん)
***

>私自身、どれほど愛をもって接したつもりでも、共感しきれないと攻撃となってしまうので、何度も傷ついてきました。

それなのに彼女と友達で居続けるのはどうしてなのでしょうか?
それだけの魅力がある、ということなのでしょうか。

Mさんの中に「愛を与えれば攻撃されない」という思い込みはありませんか?
逆に「愛を与えるからこそ、攻撃される」ということもありますよね。
相手が愛に対して不信感が強ければ強いほど、愛されることに怖れを抱き、攻撃的になってしまうのです。
Mさんの愛が本物かどうか試したくなるのでしょう。

最終的に愛は相手の怖れや攻撃心を癒す力があります。
しかし、そこに至るにはその傷が深い分だけ生半可なコミットメントでは難しいんです。
逆に言えば、彼女を傷つけてしまうことになるのです。

もし、Mさんが「自分なりに愛を持って接してきたのにこんな目に遭うなんて」と少しでも感じていれば、それが彼女に対する攻撃心です。
表向きは違っても、心の中はそうではないわけです。

「これだけ愛情を与えてもダメなんだな」という“判断(ジャッジメント)”があったり、“諦め”があったり、はたまた「なんで分かってくれないのよ!!」という“ニーズ”が出てきたりもしませんか?

それが彼女を愛するが故に出てきた「攻撃心」と言ってもいいんです。

もちろん、それは誰にでもあるもので、彼女の周りの人はみんな感じていることでしょう。

誰かに対する攻撃は、必ずと言っていいほど攻撃を招きます。
吐いたツバは帰ってくるわけです。

だから、彼女がこうして周りを攻撃しているということは、表では平和的でも内面的には彼女とその周りの人は戦争状態になっていると考えて間違いはないのです。

彼女の攻撃というのは「それだけの愛ではまだまだ足りない。私の傷は癒されない。」という思いの主張でもあろうかと思います。
「本気なの?本気で私を愛してくれるの?こんなこと、あんなことしても?」とテストをしてきているのかもしれません。

その彼女の痛み、怖れ、不安に対して、ひたすら堂々と、毅然とYesと言い続けるためには相当の愛が必要になりますよね。

そんな彼女に挑み続けるMさんはさすがは「修行僧」ですね(笑)

だから、彼女が暴れてMさんが傷ついた、と思ったら、まだまだコミットが足りないんだな、もしかしたらコントロールしようとしてたのかな、もっと愛が必要なんだな、と気付けばいいんです。

「傷つくならばそれは愛ではない」という格言があります。

傷つくには怖れ、ニーズなどの「我」が必要です。
いわゆる「無償の愛」には「我」がないので、どれだけ拒絶されても傷つくことはありません。

その彼女は「無償の愛」ではなければいらない、と言い、Mさんは「無償の愛を与えましょう」という行動をずっとし続けている、ということなんです。

だから、今までも傷つきつつも与え続けたMさんは、自分も分かるくらい、どんどん成長されたんだろうと思います。

ここで求められるのは「自分の愛への信頼」です。
言い換えれば「自分の愛に自信を持つ」ということです。

100点満点の愛を与えることなんて必要ではありません。
今日与えられるベストの愛を与えられることこそが重要だと思います。

ニーズを手放し、自分を越えて、与え続ける、ということこそが今求められていることなのかもしれません。

そうすると、相手がだれか?なんてもう関係ないんですよね。
人格障害であろうと、ふつうの人であろうと、誰に対しても同じです。
試されてるのは自分の愛への信頼度なんですから。

でも、それだけのことを彼女に対して与えて来たと思いませんか?
今まで精一杯、自分なりのベストを尽くしてきたと思いませんか?
そんな自分を承認してあげること、忘れないでくださいね。
そして、そんな彼女を愛し続けている自分の愛の力を信じてあげましょう。

彼女にそれくらい惹かれるということは他人ではないんですよね。
いい子をすることによって抑圧してきた過去の自分を見ているのかもしれないし、助けられなかったと思っている誰かを投影しているのかもしれないし、だからこそ、どうしても何とかしてあげたいと思うのでしょう。

「どれくらいあなたが暴れても私はあなたを愛し続けます」

彼女にとっては最高に恐ろしい言葉でしょう。
それを胸を張って伝えられるだけの愛を自分自身が持っていると信じられた時、彼女の暴言で傷つくことはなくなります。
それどころか暴言だとは感じられなくなるでしょう。
ただただ愛しい人の愛しい言葉にしか聞こえなくなるはずです。

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